・J・M・クッツェー
・アガサ・クリスティ
・アルベール・カミュ
・アーサー・C・クラーク
・イムレ・ケルテース
・ウィリアム・ゴールディング
・エラリー・クイーン
・エリアス・カネッティ
・ガブリエル・ガルシア=マルケス
・ギュンター・グラス
・ゲーテ
・ジャック・ケルアック
・ジャン・コクトー
・ジョン・グリシャム
・スティーヴン・キング
・ディクスン・カー
・トム・クランシー
・トルーマン・カポーティ
・ナディン・ゴーディマ
・ピーター・ケアリー
・フランツ・カフカ
・ラドヤード・キプリング
・ルイス・キャロル
・その他
そして誰もいなくなった (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫) (詳細)
アガサ クリスティー(著), Agatha Christie(原著), 清水 俊二(翻訳)
「本当に怖いんです・・・でも・・・」「偉大なる作品。」「犯人を知った後でも再読したくなる」「余韻」「一生に一度の衝撃」
幼年期の終り (ハヤカワ文庫 SF (341)) (詳細)
アーサー・C・クラーク(著)
「今なお色あせない」「SFの最高峰の一つ」「SF哲学書」「自我の変貌を描く」「地球文明イコール欧米先進国文明?」
アルベール・カミュ (1) カリギュラ (ハヤカワ演劇文庫 18) (詳細)
アルベール・カミュ(著), 岩切 正一郎(翻訳)
「小栗ファンならずとも!」
百年の孤独 (Obra de Garc〓a M〓rquez (1967)) (詳細)
ガブリエル ガルシア=マルケス(著), Gabriel Garc´ia M´arquez(原著), 鼓 直(翻訳)
「世界文学史に残る傑作です。」「世界は小説? 物語?」「アゲイン、そしてまた」「愛について」「華麗じゃないダイナスティです」
ファウスト (まんがで読破) (詳細)
ゲーテ(著)
「漫画としてなら」「原作も読みたくなりました」「難しい」「なんという乙女ホイホイな!」
異邦人 (新潮文庫) (詳細)
カミュ(著)
「白い以上に白い、と語ることは虚偽である」「生きることへの違和感に素直に生きる男の話」「凝縮力をもった名作」「人間の愚かな面を描いた作品」「不条理とは?」
ゲーテ格言集 (新潮文庫) (詳細)
ゲーテ(著)
「ページからあふれるゲーテ」「人生の奥深さが短い言葉に凝縮されて・・・・」「東の孔子、西のゲーテ」「珠玉の格言集」「何度も読み返したい本」
幸運の25セント硬貨 (新潮文庫) (詳細)
スティーヴン キング(著), Stephen King(原著), 浅倉 久志(翻訳)
「キングの尽きない製作意欲に感服す。」「週休70ドルの殺し屋」「異次元の世界!?」「キングへの賞賛と批判と」「正直に言うと・・・」
ティファニーで朝食を (詳細)
トルーマン・カポーティ(著), 村上春樹(翻訳)
「同時代の訳で読めることの幸せ」「新釈 『ティファニーで朝食を』」「ノスタルジー」「村上が救助した作品であること」「これで白いリボンなら☆☆☆☆☆」
オン・ザ・ロード (世界文学全集 1-1) (世界文学全集 1-1) (世界文学全集 1-1) (詳細)
ジャック・ケルアック(著), 青山南(翻訳)
「河出書房の英断に拍手」「ハチャメチャな行動の裏側」「え、こんな本が永遠の青春の書?」「苦い味のするアメリカ。」「毎日が退屈な方へ、そして、毎日がつらい方へ」
● 読んだ本(1)
● 中学生はこれを読め!第3回本屋のオヤジのおせっかい - 6/20
● ちちんぷいぷい 本屋さんのコーナーで紹介された本 H20.2.28〜
● 中学生はこれ読め!第3回本屋のオヤジのおせっかい - 1/20
● 暇つぶし
● 読了本その1
●そして誰もいなくなった (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
・「本当に怖いんです・・・でも・・・」
本当に怖いんです・・・でも、また読みたくなるのです。素晴しい作品だと思います。テレビや映画でみる作品は誰かと一緒に見ることが出来て怖さを同時に共有できますが、本はそうはいきません。読んでいると自分1人でそこに居るみたいで恐怖に耐えながら読みました。でもまた読まずにいられませんでした。作品の完成度も素晴しいと思います。内容?トリック?が美しいと言うかスマートと言うか。うまく説明出来なくてすみません。
・「偉大なる作品。」
この作品をモチーフにしたレプリカは数知れず。近代ミステリの発展の一つの系譜です。この作品がなかったらば、どうなっていたことか。少なくとも、ミステリ好きの人間の人生の何分の一かは、つまらないもになっていたことだろう。とにかく、読まなきゃいけない、つべこべいわず。
・「犯人を知った後でも再読したくなる」
クリスティーのマスターピース中のマスターピース。
・「余韻」
個人的に、「怖い」とは思いませんでした。ひとりひとり、殺されるというより、すっと舞台袖に消えていく、という感じだと思います。でも、なんだかずっと余韻が残る作品だと思います。私は、アガサ・クリスティの作品を初めて読んだんですが、とても感動しました。何年も前に書かれた小説が、全く色褪せてない、信じられません。
・「一生に一度の衝撃」
本格ミステリの原点であり、未だに世界中のミステリ作家に影響を及ぼし続けている、古典中の古典。本書のプロットを基軸に書かれたミステリ多数。本書へのオマージュとして書かれたミステリ多数。本書をパロディ化して書かれたミステリ多数。この本を読まずしてミステリを語る事なかれ。
ということで、僕も本格ミステリファンの端くれとして何度も繰り返し読み返してきた本書ですが、なんと言っても思い出されるのは「出会い」のときの衝撃。初めてこの本を読んだのは小学校4年生の頃でした。家族で旅行に行った帰り道、旅先で買っていたこの本を車の中で読み始めました。もともと僕は車に酔いやすい子供だったので、車の中で本を読むなんて普通はありえないことで、このときも最初の数ページをちょっと眺めてみるつもりで読み始めたのですが・・・。読み始めてすぐに小説の世界に引きずり込まれた僕は、最初の数ページを過ぎても一向に読むのがやめられません。次のページまで、次の節まで、次の章まで、、、と、どんどん読み進めてしまい、なんと気づいたら家に帰り着く前に読了。そして驚くべきことに、これだけ集中して本を読んでいたにもかかわらず一切車酔いをしていなかったのです!
この衝撃の「出会い」以来、僕は車の中で本を読んでも全く車酔いをしない体質に変わりました(!)。体質すら変えてしまう、これほど大きな影響(笑)を自分に及ぼした本は、そうそうありません。ミステリの世界へ誘ってくれた大切な本であるとともに、いつでもどんな場所でも本を読める体質にしてくれた貴重な本でもあります。僕にとっては一生ものの作品のひとつです。
・「今なお色あせない」
人類が宇宙へ進出しようとした時、地球外知的生命体“オーバーロード”の宇宙船が空に現れる。以後圧倒的な知力と科学力を持つ“オーバーロード”に導かれ、人類は戦争も飢餓もない黄金期を迎えるが……
発表から50年を過ぎた現在でさえ色あせない素晴らしいSF作品です。
まず、前半では異星人“オーバーロード”たちは姿を見せないまま人間達の文明を導いてゆきます。彼らはどんな姿をしているのだろう?人型?それともグロテスクな怪物?また彼らの目的は?読者は登場人物たちと一緒にドキドキしながら、彼らの正体をあれこれ想像しながら読み進めることでしょう。
そして後半、“オーバーロード”が姿を表し、さらにその真の目的が明らかになり、読者は「幼年期の終り」というタイトルの意味を知る事となります。
まるで精緻なからくり人形のように読者に知的興奮を与えてくれる作品。オススメです!
・「SFの最高峰の一つ」
SF。普通の人がこの言葉を見ると思い浮かべるのは、巨大な宇宙船、飛び交うビーム、あるいは異型の異星人。そして描かれる物語はアクション冒険活劇、といったところだろう。そういったエンターテイメントなアメリカ映画も確かに面白いし、多数作られたためSFに対してそのような一般的なイメージが広がっているものしょうがないとは思う。
しかし、SFでもここまで深遠な哲学を描ける。ということを示したのがこの本である。
話自体は今のSFでもよくある異星人との交流がテーマで、文章は読みやすく、エンターテイメント性もふんだんに盛り込まれている。それでいて、最後に明かされるトリックの謎解きとそれによってもたらされる結末ほど、読者を感動させると同時に「人類の存在意義」について考えさせるのをSF以外の物語を含めても多分ないと思う。
この本が書かれた1953年以来、この本を持ってSFのベスト1とする人は多いのも当然といえる。私の夢として・・・誰か映画の巨匠がいつかこの本を映画してくれることを望む。
・「SF哲学書」
究極の生物とは何か?人類の生存意義とは何か?人類にとって宇宙とは何か?という人類永遠のテーマに、アーサー・C・クラークが独自の解釈で答えを出したような作品。「2001年宇宙の旅」の概念をもっと宗教的・哲学的にしたような内容。
大国間の宇宙開発競争真っ只中に宇宙から突然現れ、世界を平和に支配を始めた超生物異性人「オーバーロード(上主)」。戦争も飢餓も貧困も一掃され、一世紀の間人類は平和を謳歌していたが、「オーバーロード(上主)」の真の目的は、自分達より上の存在「オーバーマインド(主上心)」の意思を受け、人類を更に進化させる為の手助けをする事。そして、更なる進化に目覚めた人間の子供達の変貌、地球の運命は・・・
わくわくどきどきする物語である。ここでいう「オーバーマインド(主上心)」は「宇宙意思」または「神」と置き換えてもいい。そして、「オーバーロード(上主)」の正体と悲しすぎる運命とは・・・
50年ほど前に発表された作品で、随所に古臭さはあるものの、物語を貫くテーマは今の視点で読んでも感動する。
一読をお勧めしたい。
・「自我の変貌を描く」
2001年宇宙の旅の方が有名なんでしょうか?でもこっちの方がわかりやすいかもしれません。それでいて迫力がある。筆者の表現したい事が明確に分かります。
この作品は人間の進化についてのSF小説です。宇宙人が地球を訪問して、文明テクノロジーを上げる、その目的は人類の次の進化を生む為の土壌を作ること。結果として幼い子供たちが自我(人類)を捨てて、大我(宇宙体)となる。そんなお話です。
この手のテーマ(進化論または宗教的人類論)が好きな人には本当にたまらないのですが、今時はやんないかな・・同世代で見てる人なんていないだろうなぁただエヴァの人類補完計画とかの元ネタの一つらしいですよなるほどねーこんな話からも来てるんですね。
・「地球文明イコール欧米先進国文明?」
人類進化ものというジャンルを確立したSF史上に残る傑作。 進化した宇宙人にとっては、地球人の文明など、幼年期にすぎない。 幼年期を脱して地球人を成熟させる為にやってきた宇宙人との物語である。 地球文明イコール欧米先進国文明という視点があるのはやや古いイメージを持つが、 それゆえ、欧米キリスト教文化圏の人間にとっては、 ラストに明かされる宇宙人の正体には凄い衝撃を受けるであろう。 今となってはよくある価値の逆転、 SF小説では既に使い古されたセンス・オブ・ワンダーになってしまった感があるが、 このネタを長編で真面目に提示したのはクラークが最初だよね? 巨匠クラークだからこそ提示出来たネタとも言える。 日本人の我々には衝撃度が低いと思われるが、 キリスト教文化圏の人間が、キリスト教文化圏の人間達に訴えたということを忘れないで欲しい。 彼らにとってはとんでもない問題作である。
●アルベール・カミュ (1) カリギュラ (ハヤカワ演劇文庫 18)
・「小栗ファンならずとも!」
まちがいなく日本の演劇史に残るであろう、2007年の傑作舞台「カリギュラ」(作=カミュ、演出=蜷川幸雄、主演=小栗旬)の原作が、ようやく出ました。
これは紹介文にあるとおり、カミュ自ら『異邦人』等とあわせて「不条理の三部作」と名づけたという、いわくつきの作品。そして翻訳は、舞台台本の翻訳を担当した岩切正一郎さんーーとくれば、もう読むしかないでしょう。
みずから「神」を演じることで世の不条理に戦いを挑む、美しき残虐王カリギュラ。カリギュラに対するクーデターの首謀者となる、知的でクールな文人貴族ケレア。父を殺したカリギュラを憎みきれず苦悩する、ピュアな少年詩人シピオン。自分を奴隷の身分から解放してくれたカリギュラを慕う、野性味あふれる忠臣エリコン。そして、時に母のようにカリギュラを諭し支える、年上の恋人セゾニア。
カリギュラの残虐非道ぶりにただ取り乱し、保身に奔るばかりの側近たちのなかで、この4人だけが、カリギュラの残忍さが「仮面」にすぎないこと、そして仮面の下にある彼の素顔を見ぬいています。そしてそれぞれのやり方で、彼らはカリギュラを理解し、愛するのです。
気になる訳文は、一部変更が見られるものの、ほぼ舞台と同じ。(DVD版に照らしてみましたが、活字で読んでも違和感のないように調えられた個所が、多少ある程度です。)新訳ブームの火つけ役となった某文庫のキャッチフレーズではないですが、登場人物たちが「いま、息をしていることば」で語る、みずみずしい翻訳です。
岩切さんの「訳者あとがき」もステキです。舞台のリハーサルの様子も紹介されていて、小栗君たちとのやりとりを通じて、キャストの皆さんの熱意が伝わってきます。
●百年の孤独 (Obra de Garc〓a M〓rquez (1967))
・「世界文学史に残る傑作です。」
脱私小説という問題をいつまでも引き続けている日本文学とは対照的に、南米ではこんな物語が生みだされてるのです。あるひとつの村の一家の百年の興亡史ですが、骨太の物語なのに読みやすいのです。この読みやすさは異常だと思われますが、ガルシア・マルケスはおそらく読者の読むスピードを底上げさせるように文章を書いているんでしょう。それは物語の特性を考えてのことだと思います。 保坂和志は、百年の孤独ほど「小説というのは読んでいるその瞬間にしかその実体がない」ことをわからせてくれる小説はない、と言っています(ただし、家系図なしなら)。カフカの長編小説でもそうですが、怒涛のようなエピソードが壊れたピッチングマシーンから放たれるボールのようにぼんぼん投げこまれてきます。私たちはそれを読み、楽しみ、そして次の瞬間には忘れます。私たちは次のボールをキャッチしなくてはいけないからです。私はこの「忘れる」ということが、この小説のいちばん大事なところではないのかと思います。 この小説では、とにかく何もかもを忘れていきます。登場人物の名前がほとんど同じですので、誰が誰だか忘れます。誰がどんなことをして、そして死んでいったか、忘れます。私は読み終わったばかりなのですが、もう何が起こったのか忘れています。彼ら一族は小説のなかの世界でも、そして私たちからも忘れられます。 そして、私はその忘れられる過程(一族が滅びていく過程)にこそ、ガルシア・マルケスがテーマとした愛が見え隠れしているようにしか思えないのです…。
・「世界は小説? 物語?」
ああ、読んでよかった。有名な『百年の孤独』。ノーベル賞が、「世界的名作」という言葉が、重い。そんなわけで、読んだ人々の話を憎らしく思いながら、黙って聞いていたけれど。読み終わった今は、言える。これは、世界的名作の前に、最高のエンターテインメントだ。全然、重くない。楽しい。面白い。で、ついでになんだか世界の秘密に触ったような気になれる、すごい本だ。
とはいえ、正直、読み始めはかなりつらかった。
登場人物の名前が、ややこしい。お父さんのホセ・アルカディオ・ブエンディアの息子が、ホセ・アルカディオと、アウレリャノ・ブエンディア。そのまた息子が、アルカディオと、アウレリャノ・ホセ。ホセ・アルカディオ・セグンドとか、アウレリャノ・セグンドとかいう人もいた。こんな具合に、ブエンディアさんのお家は、こちらの都合もおかまいなしに、産まれた子供にどんどんおんなじ名前をつけていく。死んだ人も、普通にその辺をうろうろしているので、ますますわかりづらい。
時間の経過が、わかりにくい。時系列順に進んでくれない。この物語は、人だったり、出来事だったりを中心とした、エピソードが積み重なって出来ている。あるエピソードの途中で、「これはだれだれがなになにをしていた頃のことだ」、とか出てきて、別のエピソードと重なり合うことで積み重なっていく。気がつくと、いつの間にか時間が少しずつ進んでいるのだ。年号とか、基準になるものは全然でてこない。
ああ、もう! と思っているうちに、100ページを過ぎたあたりから、そんなことを気にしなくなりだす。すると、もう、あっという間。というのも、だんだん、ルールが、体で分かってくるのだ。
この本、「ガルシア=マルケス全小説」の中の一冊だけど、小説ではないと思う。物語だ。エピソードで世界をとらえるやり方は,小説よりも、物語のルールだ。ここでは、聞き手を飽きさせないことが何より優先される。流れを遮るものは、省略される。だから、正確な時間なんかはどうでもいいものなのだ。そして物語は、聞くものを飽きさせない細かいディテールで出来ている。だから、聞いたそばから忘れられていく。
きっと、人間は、小説が出来るずっと前から、こうやって、物語の目で世界を見てきたのだ。今の僕らは、小説のものの見方で世界を見てしまっていて、だから、家系図なんかを欲しがってしまう。物語には、こんなものはいらない。家系図は、この本を小説にしてしまうと思う。
物語は蜃気楼で、聞き終わったら、忘れられるもの。それが、寂しい。本当に、本を開いてマコンドにいる間は、それこそ自分が読者であることすら忘れてしまうのに。
でも、僕らの中には、漠然とした物語の輪郭が残る。世界を見る物語の目が残る。それが、本を閉じた今でも、もぞもぞうごめく。それが、新しい物語の芽になる。僕は、もう、間違いなくこの物語から産まれただろう物語を、いくつも思い出している。
・「アゲイン、そしてまた」
百年という歳月をかけて、人間は何を成しえるか。
20世紀と21世紀を比べると、あまりにも多くのことが変化、進歩したように思える。確かに、技術や文明は、百年前とは比べ物にならない。しかし、人間と、その心はどうだろうか。昔の小説を読んで人々が感動するように、歴史の中で同じ過ちが何度も繰り返されるように、不可逆的・直線的な文明とは違い、人と歴史は円環のようにぐるぐると回っている。
ブエンディア家は、百年かけて孤独の円環から抜け出す。メルキアデスの古文書の秘密を知るまで、愛によって子供が生まれるまで、なんと百年の歳月が必要だった。アゲイン、そしてまたアゲインと、まるでゲームのリセットボタンのように、符号がかちりとそろうまで、時間の円環は回り続ける。
多くの知識人や著名人が、この本を傑作と呼ぶのもうなずける。とにかくスケールがあまりにも大きい。目がくらむ。歴史は繰り返し、人は忘れていき、栄えるものは滅ぶ。そんな時間の物語は、読んでいる最中よりもむしろ、読んだ後にじわりと重さを増していく。
・「愛について」
コロンビアの架空の開拓村における名家一族の物語。近代化を迎えた村の繁栄を背景にこの一族は豊かで子沢山だった時期もある。が、タイトルが示す通り、なぜか徹底して愛に恵まれない。100年以上かけて代替わりも数世代進み、やっと愛によって結ばれた夫婦に子供が生まれる「その時」。この最後数ページがクライマックスなんですが、そこまで延々400ページに渡って、時間と運命の円環構造の下で何人もの一族の人間(=みんな似たような名前!)が同じような悲喜劇的エピソードを紡いでいくんだけど、クライマックスに入って怒涛の速さで物語が収束していきます。ネタバレになるので詳しくは書けませんが、このクライマックスの速度と収束感は、そこに至るまでの永久に続くんじゃないかと錯覚してしまうようなエピソードの集積の後だけに、かなり味わい深いです。
それにしても、各エピソードはユーモアに溢れてるのに、全部読み終わった時に、何でこんなに寂しい気持ちになるんだろう。
・「華麗じゃないダイナスティです」
「100年の孤独」って、そんなのありえるのか?と思える、しかもSFチックなタイトルが魅力的です。また、この作品を読んで、現在世界で起こっているあれこれを考えるというのではなく、1つの小さな村に吹きだまった一族の孤独感を感じるための本です。
ストーリー自体を読んだ限りで、ちょっと皮肉にとらえれば、ラテンアメリカ版「ダイナスティ(米テレビドラマ)」か、「華麗なる一族(山崎豊子)」かしらと思います。でも、もっと貧乏くさくってほこりぽくって陰鬱な、とある開拓村を作った一族の栄枯盛衰の物語です。そもそもこの開拓も壮大な目的のもとに…というより、ある男女の駆け落ちの果ての妥協点だったり、世の中(もちろんこの開拓村も)はそれなりに動いているのに、数多い一族の中にはまったくそれとは異質のモノが流れ込んできてよどんでしまうといった暑っ苦しい陰湿さが強烈でした。登場人物の関連も強烈にわかりにくく、さらに巻末の解説によれば「42の矛盾と6つの重大な誤りがある」と著者が述べているらしいのですが、「まぁ、この濃い物語にはこの分かりにくさがいいのよね」と思える、珍しい読後感でした。
ただ、今回の表紙よりも、99年版の表紙のほうがこの一族の中の複雑にからまり、閉ざされた状態を端的に表しているような気がする(今回の版では他のマルケス作品と装丁が統一されているので、まとめ買いする方にはこちらがよいと思いますが)のと、巻頭の系図は不可欠ながらもやや結末が見えてしまう感があるので、一工夫を望みます。少し惜しい気もしますが、合わせて星ひとつ引きました。
・「漫画としてなら」
絵は悪くない。とくにメフィストのキャラ造形は表情とかかなりいい感じ。
原作の内容が大幅に編集改変されております。200ページ足らずの漫画なので思いっきり端折った構成なのはまあよしとしましょう。マルガレーテとの恋がメインの第一部に比重を置いて第二部のギリシア冥府巡りをバッサリ削除しているのは良い判断だと思いますが、原作のラストを変えてしまったのはいただけない。なにしろ原作にはない「神話ならびに神や悪魔と呼ばれる存在は人が創造したものである」という、漫画オリジナルの現代的解釈に変更してしまっているのだから。原作の根底的な部分を独自の設定とテーマに改変してしまっているので、これを「ゲーテ・作」と表記するのは如何なものかと。
ただ、原作を読んでなかったら漫画として普通に楽しめる作品だとは思います。
・「原作も読みたくなりました」
原作は未読(序盤で挫折)なのですが、この本は面白かったです。私が持っているまんがで読破シリーズの中では一番魅力的な絵ですし「まんが」として良く仕上がっていると思います。(作者さんの好みが入ってるんでしょう、 妙に色気のある美少年なメフィストが印象的です。)
ストーリーの方は原作未読な私でもかなりはしょっているのだろうと感じられました。あれ?『ファウスト』ってヘレナが出るんじゃなかったの?とか。興味深いテーマでしたがどこまで作者の解釈が入っているのか分からないですし。これを読んでファウストを「読破」した気になるのは無理そうです。
そういった不完全さは原作既読の方にはイマイチに映りそうですが私は原作も読んでみたいという感想を持ちました。まあまた途中で挫折するかも知れませんけど、「まんがが面白かった。原作にチャレンジしてみよう」と思わせられたという意味ではいい本だったと言えるでしょう。
・「難しい」
ハッキリ言って1回読んだだけでは分かりませんでした。2回目を読む気力も起きませんでした。難解です。おそらく原作がとても分量が多く、要約しすぎているのではないかと思います。「人生をやり直したくはないか」という魅力的な内容なのですが、やはり哲学的であり私には難しすぎました。
・「なんという乙女ホイホイな!」
メフィかわいいよメフィ!メフィストがかわいい少年キャラです!一人称が『僕』ですっ!ちょっと悪ガキ風味なところがなんとも言えんです♪
いくらか原作ブレイクしていた部分があったが、これはこれで楽しめた。終わり方が日本人が好みそうなシメ方だと思った。 というのも……メフィストきゅんいい子すぎるっ! まさか原作のあの部分をこんな風に表現するとは!あの部分は違う解釈もできるだろうが、ファウストだけでなくマルガレーテやメフィストにとっても、ハッピーエンドな解釈での終わらせ方だったから読んでて幸せな気分に浸れました(^^) 自分は岩波文庫の漫画じゃないのも読んだのですが、それのとき自分はメフィストが置いてけぼりをくらってしまう悲しい&びでぇ解釈をしてしまい、「こんなラストを用意するなんてゲーテも人が悪いなぁ」と泣きそうだったので、メフィストもハッピーなエンドであるこの漫画はとても楽しめました。(^^) 原作を一度読んだ方にも、違う解釈のしかたや新しい発見があると思うので、おすすめです。
最後に。乙女男子ぶり全開な痛いレビューですみませんでした。 この本の内容は決して痛くありません。でも、女の子は好みそうかも。
・「白い以上に白い、と語ることは虚偽である」
白を黒と言うことはもちろん虚偽だが、白い以上に白い、と語ることも虚偽である。ムルソーは、私たちの言う意味で、母親や恋人を愛していないのではない。ただ、愛している以上に愛している、と口にすることを拒否しているだけだ。ムルソーは、過激なほどに、誠実に生きようとしている。
ムルソーは社長にパリ行きをすすめられるが、関心を示さない。彼にははじめから世間的な出世や野心などないのだろう。でもこれは私には、白くない以上に白くない、と語っているように見える。
カミュは貧民階級の出身である。幼い頃に父親を亡くし、母親は耳が遠くて文字を読むことはおろか日常会話にも不自由した。この母親に代わって子供たちを育てた祖母は、教育のためにムチを使った。カミュ少年は幼い頃から我桊??することを覚えさせられた。ーーただ貧しいだけで後ろめたい思いをすることを、貧しさを知らない人たちにどう伝えればいいのだろう、とカミュはどこかで言っている。
この、やがて時代を代表することになる感受性豊かな少年は、自分には世間並みの希望を持つことさえも禁じられていることを知っていた。イソップの有名なキツネは、高くて手の届かないところにあるブドウをスッパイのだ、と言う。カミュ少年は、手に入らないものは最初から欲しくなかったのだ、と考えることに慣れていた。
「言葉」には限界がある。つまり、言葉にすればすべて嘘になる現実がある。白くない以上に白くない、と語ることは、白い以上に白い、と語ることと同様、虚偽、である。だが、詩人たちはこの白を伝えるために言葉を捜し、画家たちはその色をキャンバスに移すために絵具を混ぜる。
天才とは嘘をつくことがもっとも苦痛な種族だ、と定義した人がいる。
・「生きることへの違和感に素直に生きる男の話」
異邦人を読んでいると、あることに気が付く。どこか、世界とムルソーとの間に隔たりがあるように思われるのだ。ムルソーは身に起こる多くのことに対し無関心である。ただ、淡々と目の前の問題に対処をしているだけだ。その代わり、彼は些細な自分の嗜好にとても実直である。彼は、よく眠り、よく食べ、よくタバコを吸う。隣人の恋のトラブルに対し興味を抱き、老人の小さな孤独の物語に同情をする。太陽に心地よさを感じ、そして、恋人との情事を喜ぶ。しかし、恋人が彼に自分を愛しているか。と聞かれると彼はわからない、と言い、結婚を求められてもお決まりの文句、<Cela m'etait egal.(どちらでも同じさ)>と受け流してしまう。彼は自分の人生に対する関心に欠けている。
シャンピニーは「異教徒の英雄論」の中で主張する。一方に、偽善的慣習や約束事によって成り立つ社会や宗教の「芝居的世界」があり、これはアンチ・ピュシス(反自然)でり、また一方では本来的な自発性に属するピュシスの世界があり、ムルソーはそれに従って生きている。「芝居的世界」を受け入れることを拒否するムルソーはそのために異邦人とみなされ、罪人の烙印を押されて死刑を宣言される。
物語のクライマックスであり一番の盛り上がりの部分である、アラブ人殺人の場面はあえて語らず、他のレヴュアの方に任せようと思う。フランス語の原文で読むとねちねちと皮膚に張り付いてくるような文体がこの場面の緊!張感をひしひしと高める。
私はカミュの特徴はその精緻な描写だと思う。読者は物語の始まりの部分からその孤独な老婆たちの描写に驚かされることであろう。この本は私がフランス語で読んだはじめての本であるが、フランス語で読むとまた、違った面白さが発見できると思う。作品自体そう長くはないし、フランス語も簡単なので試してみる価値はあると思う。
・「凝縮力をもった名作」
所謂古典的名作と言われる作品には、そう呼ばれるだけの内容がある。カミュの「異邦人」は、中学生の頃読んでみたのだがさっぱりわからなかった記憶がある。あれから20年以上たった今読むとさすがにわかる。不条理に生きることの窮屈さが身にしみた年齢になったからだろうか。私も主人公同様20年ほど前に母親を無くしたが、長いこと一緒に住んでいなかったこともあって、あまり悲しくなく、葬式でも涙の一滴も出なかった。人間などそんなもので、自分の肉親の死よりも、飼い犬の死のほうが悲しかったりするものだ。主人公にとって、神や死後の神の祝福などは何の意味も持たない。死ねば死にきりなのだ。それを全うして生きられる人間は強い。翻訳もなかなか格調高いが、もうすこしこなれた日本語に出来るような気がする。
・「人間の愚かな面を描いた作品」
名作と言われるこの作品だが、最初の方はなかなか頭に入ってこなかった。第2部から俄然面白くなったが、それは最初の部分を読んでいないとわからないことなので、きちんと読んだほうがよい。
人間がいかに常識や評判、見かけなどで人を判断していくのかを考えさせられる。自分と人との感じ方、価値観などが異なると、主人公のように流されるまま罪が決定されてしまう。
逆に読めば、常識に則って行動し、周りからの評判もよく、見かけもよい人、そして、自分の気持ちを偽って、心から悔いた振りをし、人々の同情を得られればこうはならないということで、そこに人間の愚かさやある種の大衆心理の恐ろしさを感じる。
・「不条理とは?」
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・「ページからあふれるゲーテ」
多くの著作を残したゲーテ。彼の言葉をまとめるには、文庫一冊ではとても収まりきれません。 ゆえにこの一冊は頁のどこをめくってもきらめく言葉であふれています。ゲーテの思想の断片を知る上でも、きっと良い足がかりとなることでしょう。
・「人生の奥深さが短い言葉に凝縮されて・・・・」
雑誌で彼の格言のひとつを目にして、かってみましたがすごいよかったです。彼の詩などはなにか饒舌すぎる気がして避けていましたが、この格言集はよいです。自分で考えたことが、とても簡潔な優れた文章に凝縮されて、しかも、詩のようでもあり、ふと思い返したりします。
とりわけ好きなひとつは、、
処世のおきて気持ちよい生活を作ろうと思ったら、すんだことをくよくよせぬこと、滅多なことに腹をたてぬこと、いつも現在を楽しむこと、とりわけ、人を憎まぬこと、未来を神にまかせること。(「警句的」から)
・「東の孔子、西のゲーテ」
東に孔子有れば西にゲーテあり。この二人の哲人に共通するのは中庸の教えだ。『論語』に親しんでいる人はこのゲーテの格言集に、言い回しこそ異なれ、同じ警句や格言を発見して思わず膝を打つだろう。座右にして開くたびに教えられ、慰められ、勇気づけられる。構成は次のようになっている:
愛と女性について人間と人間性について科学、自然、二元性について神、信仰、運命について行動について芸術と文学について幸福について自我と自由と節度について個人と社会について人生について経験の教え人生の憂鬱身辺雑記生活の知恵
私のいちばん好きな格言 「人は努めている間は迷うものだ」
・「珠玉の格言集」
おすすめです。中には同意しかねるものもありますが、琴線に触れる格言がたくさんあります。訳もすばらしいです。この後、思わずいくつか他の格言集も買ってしまいましたが、これに勝るものはありませんでした。
・「何度も読み返したい本」
ゲーテを読むのは初めてだったが、これを一読してファウストやウェルテルもぜひ読みたいと思うに至った。この書に書かれているような、人生の栄養とでもいえそうなものをさらに沢山つかみとらせてくれることは、単なる一時的な利益にとどまらないだろうと思われるからだ。読みやすいので、ぜひ多くの人に味わって欲しい。時にうなずき、時にはっとさせられる、そんな連続を、言葉一つ一つを味わうごとに感じることができるだろう。
・「キングの尽きない製作意欲に感服す。」
文章がただ長く感じられるのならばそれは翻訳家と読む人間の相性が合わなかっただけだと思われる。キングがホラーの帝王と呼ばれる理由は読み捨てのぺーパーバックに「人間の匂い」という命を吹き込んだ点にもある。だから賞賛が多いのである。文章が長いのは「緻密に書き込む」という個性であり評価の対象になるとは思えない。
キング作品は
純粋にただひたすらにオモシロイのだ。
相性の会わない作品もあるだろう。それならば好きなものだけ読めばいい。彼の力量が、そういう読み方さえさせてしまうのだ。ジョンレノンが殺される前、犯人はキングと会っている。キングは、頭の中の言葉を紙にぶちまける日々をおくっているだけだと言う。それは、本当に事だと思う。
それだからオモシロイのだ。
読者は、自分の心に触れるものだけを読めばいい。キングは今も、只無心に書いている。或いは沸いてくる言葉を頭の中で追い払いながら眠っている。
私は、ここに悪評などとても書けない。
・「週休70ドルの殺し屋」
"Everything's Eventual"の後半部分です。「ゴーサム・カフェで昼食を」は以前読みましたが、なぜかこの原典「ゴーサム・カフェで昼食をー22の異常な愛の物語」で記憶しているのはこの作品だけです。血なまぐささが印象的だったのでしょう。表題作および「道路ウイルスは北に向う」もかなりの出来ですが、個人的には、オリジナル作品のタイトルとなった「なにもかもが究極的(Everything's Eveutual)」が最高です。古くは「キャリー」、「シャイニング」、「デッド・ゾーン」、「ファイアスターター」、最近では「ローズ・レッド」、「ドリームキャッチャー」で描かれているような超能力者たちを集め洗脳、訓練し、その能力を利用する組織を主人公の立場から描いたものです(「ファイアスターター」では確かサイコキネシスをあやつれるチャーリーがそのような組織に利用されかかったと記憶していますが)。面白いのは、主人公の少年が、わずか週給70ドルで自分の能力を利用した殺し屋まがいの仕事をするという非現実的な世界ですが、少年の正体がしだいに明らかになっていく過程、最後のどんでんがえしなど、キング作品としてはやや異質な感じを受け興味を惹かれました。星4つにした理由は「第四解剖室」と同じく、著作権の関係で「ライディング・ザ・ブレット」が収録されていないことです。
・「異次元の世界!?」
正直、キングファン以外にはつらい短編集でしょう。徹底した描きこみや人物描写は相変わらず。しかし氏の世界がかなり、いっちゃてますので、普通の人にはあまりに理解しがたい内容であるのも確かだと思います。昔はまだわかりやすい世界だったのですが、最近は、特に交通事故にあわれてからは、またひとつ次元の違ったとこに行かれてしまったようです。 昔からのファンのわたしでも少々つらいおはなしでした。あまり深く考えずに、ダークファンタジーとして楽しむか、思いっきり難しく哲学的に読むか、面白さは読者次第でしょう。
・「キングへの賞賛と批判と」
このレビューでは賞賛の声が多いと予測できる。そこで、批判的な点を上げておく まず、キングの小説は読み難い。ダラダラと冗長な話が多く、読む気がなくなってくる。 短編小説家としてキングはどうだろうか?オチもなく、面白い筋なのに長ったらしい文体の為、話が伝わり難い。 もちろん小説は面白い為、買って損は無いだろう
・「正直に言うと・・・」
キングファンは結構短編も楽しみにしている。
今回の短編集は全14作品。そのうち「ライディング ザ ブレット」を除く13作品中の半分が「幸運の25セント硬貨」に納められている。 しかし、諸事情もあって日本では3分冊となってしまった。「ライディング ザ ブレット」は1作品なのでこれを除くと、短編集は2冊。その片割れの「第四解剖室」は、暗黒の塔シリーズの外伝があり、受賞した作品がありで、注目度は高い。しかし、「幸運の〜」については、13作品の短編集であるというつながりだけで読むには、少々常軌を逸した作品が続いてしまって読みにくい。
この短編集はトランプで作品順を決めたという逸話があるが、出版形態が分冊になってしまうことは予想外だっただろう。キングファンを自称する私だが、読み進むのにすこし努力が必要だった。
・「同時代の訳で読めることの幸せ」
「ティファニーで朝食を」が村上春樹訳で読めることはとても嬉しいですね。もちろん、そんなこと「別に村上じゃなくたって」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが。それでも、村上訳はとてもわかりやすく平易な(だけれどもお洒落な)言葉で訳されているように思えます。「キャッチャー・イン・ザ・ライ」にせよ、「ロング・グッドバイ」「グレート・ギャツビー」にせよ。どれも、村上訳以前の訳でも読んでいましたが、もう一つしっくりこないものがありました。村上氏もおっしゃられている通りに、言葉はどんどん更新されているということなのでしょう。訳された時の言葉の感覚と、僕の(今の時代の?)持っている言葉の感覚とのズレ、それがしっくりこない一因であるのだと思われます。そういう意味では、これらのある意味で評価の定まった名作の、この先何年か何十年かの翻訳の定番になるのが、この村上訳になるのではないか、そう思わせる翻訳です。 さて、この本。タイトルは「ティファニーで朝食を」ですが、その他に「花盛りの家」「ダイアモンドのギター」「クリスマスの思い出」という3つの短編が収録されています。そんなことは知りもせずに購入したので、得した気分でした(皆さんの得した気分を奪ってしまったかな?)「クリスマス・・」は以前に発表されたものですが、村上訳ですから当然のように「手入れ」がされてあります。 そして、あとがきに謝辞があるとおり、柴田元幸氏が翻訳の助言をされているようです。お二人がどんな方であるのか想像するしかないのですが、少なくとも発表された作品に関しては「責任を持つ大人」であるように感じます。良心、職人気質、という言葉が、このお二人の作品(このお二人だけというわけではないですが)に触れるたびに、僕には思い浮かびます。
「あなたがこの本にのめり込めるかどうか」、こればかりはあなた自身が読んでみなくてはわかりませんが、昔読んだ方も、初めて読む方も、とりあえず手にとられることをお薦めします。装丁もこの本の雰囲気にピッタリのものです。僕は、洋書のような軽さも含めて、この翻訳がとても気に入っています。
・「新釈 『ティファニーで朝食を』」
表題作はおよそ20年くらい前に一度読んだことがあったが、今回新ためて村上春樹氏の翻訳で読んでみて、全く別の小説のように新鮮で魅力溢れる物語であると認識させられた。ホリー・ゴライトリーなる主人公の女性のパーソナリティーを村上氏の翻訳はくっきりと、かつ魅力的に浮かび上がらせている。日本語への翻訳の場合、特に女性言葉において、話し言葉の文末の処理が難しい。どうしても単調で、なよなよした表現になりがちなのだ。しかし、村上氏は敢えて乱暴な語り口も辞さずに取り入れるなどして、ホリーの奔放さを表すのに成功している。 それ以外の3つの短編も、それぞれに魅力溢れる逸品で、村上氏の翻訳はそれをあたかも元々日本語で書かれた作品であるかのように、瑞々しく表現している。 『花盛りの家』は、まるでメリメの『マテオ・ファルコネ』のような、古典的な美しさを湛えた完成された作品であり、『ダイアモンドのギター』は、社会からドロップアウトした者たちの荒んだ世界を美しく描き上げ、テネシー・ウィリアムズの短編集『片腕』を思わせる佳品に仕上げている。『クリスマスの思い出』の切ない味わいは、小品ながらマッカラーズの『結婚式のメンバー』に通ずるアメリカ南部の日常を見事に現出している。4作品とも、作者カポーティ自身の、孤独な魂のふるえを滲ませているかのようで、読後哀切な余韻を残す。 訳者による評価は余り芳しく無いようだが、個人的にはカポーティの『カメレオンのための音楽』を村上春樹訳で是非読ませてもらいたいと思う(H20.3.23)。
・「ノスタルジー」
オードリーヘップバーン主演の名画があり,20数年前に新潮文庫で親しんだ懐かしき本が,村上春樹の訳で甦るとあらば,記念事業的に買ってみるのも悪くないと思う人は,きっと私だけではないはずです.小粋にもティファニーブルーで装幀され,まったく新たに読む人,映画も知らないかもしれない若い人が買うのにも手頃な値段で登場してくれて嬉しいです.読み返してみてもストーリーはちっとも古くさくなく,雨の匂い,ギターの響きが聞こえてくるようで,早春に読むのにふさわしい名作でした.
・「村上が救助した作品であること」
村上春樹は 本作が 映画「ティファニーで朝食を」によって もっと言うと主演のオードリーヘップパーンによって かなりの「誤解」を受けている点を あとがきで書いている。
映画は僕も一回しか見ていないが 今でも非常に印象が残っている。オードリーの美しさ、格好よさは折り紙付きであるし 主題曲の「ムーンリバー」も誰もが知っている曲である。
「そんな映画化」が本作にとって どれだけ幸せなことであり 一方 どれだけ不幸なことであったか。それを村上は 冷静に見極めている。 おそらく映画だけを観て原作を読まない人が多かったろう。そうして結果として このカポーティの優れた中篇は ある意味で読まれず 「埋葬」されてきたのではないか。 今回 村上は 自分が訳す事で ある程度の人数が本作を手に取る機会を与え、結果として本作を「墓」から救助したかったに違いない。そういう村上の本作への「愛情」が この度の翻訳の原動力になったと僕は確信している。
読んで見ると ホリーの「破綻したイノセント」をひしひしと感じる。ここまで極端ではなくても こういう人は 確かに会ったことがあるような既視感を絶えず感じた。何かが「壊れる」ことは 時として とても美しいものがある。硝子細工は それが正しく いつ壊れるかわからないというカタルシスを帯びている点で 美しいのだ。本作に漂う稀有の「美」は きっと そんな 硝子細工のホリーという人物造形から来ていると強く思った。
・「これで白いリボンなら☆☆☆☆☆」
シンプルな装丁は、読む前から中身をわくわくさせるのに十分だった。これで白いリボンなら、舞い上がってしまったかもしれない。村上さんの翻訳で現代に甦った名作。やはり雰囲気が今までのものとは違ってくる。同じテキストでも、空気感が異なるのは、翻訳者を取り巻く環境の変化だろう。映画の影響をできるだけ排除しようとした作品は、とてもすてきな小品だった。
●オン・ザ・ロード (世界文学全集 1-1) (世界文学全集 1-1) (世界文学全集 1-1)
・「河出書房の英断に拍手」
河出書房新社の創業120周年記念として企画された「世界文学全集」。その第一回配本の名に恥じない名作です。作品には作者のケルアックのみならず、ウイリアム・バロウズやアレン・ギンズバーグなどなど、ビートゼネレーションを代表する作家たちがモデルとなって登場し、作品世界を走り抜けます。旧訳も悪くはないですが、新訳が本当に魅力的で、内容の薄い昨今のベストセラー作品とは全く違った深くて忘れがたい読書体験を下支えします。世界文学全集は商売にならないということでどの出版社も二の足をふんでいましたが、やはり老舗がやってくれました。河出書房新社の英断にも拍手したいです。
・「ハチャメチャな行動の裏側」
フランシス・フォード・コッポラが、十年来、映画化しようとしているが、確固たる脚本が得られず実現できていない作品です。
五部構成からなるこの作品の第一部から第四部までは、それぞれアメリカを横断、縦断する語り手サルとディーンの放浪の物語です。
それは、「退屈な知識人」による既存の価値観に対する反攻の物語です。 安住の地を求めず、その時々の刹那的な「幸福」を求めての旅です。彼らは、街に行き着く度毎に馬鹿騒ぎをし、場合によっては、不法な事も構うことはありません。酒、薬、女、そして激しい音楽が、彼らを徹底的に乗せるのです。
サルは、ディーンを崇拝しています。ディーンは、時に狂気を示し、迷惑をかけます。それでも惹かれてゆく何かが、ディーンにはあります。 この本の中には「ヒップスター」と言う言葉が、頻繁に登場します。この意味は、「正業につかず、なにをやっているんだかよくわからない、ぶらぶら遊んでいるやつ」と言うことだそうです。でもサルは彼にそれ以上のものを見ているのでしょう。 それは、既存のものからの独立性なのかも知れません。そうした状況で生きてゆく勇気なのかも知れません。或いは、時代を先取りした先験的な生き方を見ていたのかも知れません。
訳者によると、「鋭い語感」が作者の特徴だそうです。表面的な意味と、その裏側にある意味とを巧みに使いこなしていると言うことです。 この物語を読んでいると、物語自身が表面的な物語の裏に何があるかが問題なような気がします。彼らのハチャメチャな行動の裏に何を感じ取るかが大切なのかも知れません。
・「え、こんな本が永遠の青春の書?」
「路上」が出版されたのは、約半世紀前のことらしいが、今回"On The Road"(オン ザ ロード)なる英語名そのままで新らしい翻訳を出したのは正解だった。「路上」では、ある地点に留まっている感じがするが、「オン ザ ロード」では、まさしくこの小説そのまま突っ走っている状態があっていい。ぼく(=サル)と親友デイーンとの「すけこましヒッチハイク」のあらましを、スピード感あふれる日本語の文体で訳し続けている。ディーン、彼は次から次から女をひっかえる万年勃起男、小説の冒頭には、メリールウと結婚してすぐ別れ、次には、カミールに子供を生ませ、飽きるとまたメリーちゃんに戻り、イネズなるあばずれが出てきたと思うと、結局カミールちゃんと落ち着いてしまったような・・・・。 これが、ビートジェネレーションを代表する永遠の青春小説といわれている、この二人とニューヨーク、デンバー、フリスコ、メヒコへの旅を同行体験する、ここに描かれている青春はなんて自由なんだ、だから、「世界文学全集」の一冊に選んだというのが、編集者池澤夏樹の言い分であるが、私が、★5つをつけたのは、単純に面白かったから。この本を読んで田舎から出て来る気にさせたボブ・ディランのファンだから、それに、ジョージ・シアリング、レスタ・−ヤング、チャーリー・パーカー、スタン・ゲッツ、ディジー・ガレスピーなるジャズの錚々たる名前がちらほら出てくる、彼らのライブの雰囲気を描いてくれているからである。永遠の青春小説にはどう転んでもまずなり得ないが、20世紀ジャズの息吹を21世紀に確実に伝えている点は評価できる。
・「苦い味のするアメリカ。」
話の内容は、主人公の作家サル・パラダイスがディーンという男に惹かれて、引っ張られてアメリカ大陸を横断縦断してゆくお話しです。このディーンという男を説明するのがまず難しい。読んでもらわないと伝わりきらないと思いますが、エネルギーに充ち溢れて、何か大きなものを持っていて、輝いている、何者にも縛られないいい加減な狂人と言ったらいいのかしら。最初のほうを読んでいると、常識から自由になって、自分のエネルギーの赴くまま行動する登場人物たちがかっこいいです。世界の見方をくるんと変えてしまうような感覚が味わえます。読者を段々と常識的なところから、騒がしくて自由な世界へ連れて行ってくれます。でも、そこから少しずつ時間が経っていきます。この作品は2〜3年の間の出来事を描いた話なのですが、時間が経つにつれて、ディーンの友人が、こっちの世界、常識の世界へ入ってゆく、まるで一緒に騒ぎまくっていた時代はなかったかのようになってゆきます。ネクタイなんか締めちゃったり、いつも苦虫潰しているような顔や喋り方だったり。そしてディーンを馬鹿にして、苛めて、切り捨てます。その変化がすごく伝わってきて、感情移入していた分、悲しい気分にさせられるのです。ラスト近くで、主人公とディーンはまるで極楽のような世界にたどり着きます。そのままそこに留まるのかと読んでいてこちらは思ったのに、主人公が赤痢で倒れている内にディーンはアメリカに戻っていきます。妻と恋人と子供がいるからと。戻れば元の黙阿弥、また破滅し、狂っていくと読み手はわかっているから、とても切ないです。ほんと、大馬鹿者だと思いました。ディーンを引き戻すそれ程の「何か」がアメリカにあるのか?一体それは何だ?それは良いものなのか?それとも禍禍しいものなのか?ラストの第5部でのディーンを見ると、その問いを切実に考えてしまう自分がいました。長い話ですが、新訳で読み易いと思います。興味あれば是非。
・「毎日が退屈な方へ、そして、毎日がつらい方へ」
旧訳が悪いとは申しません。ドラッグを美化する気もございません。この本が素晴らしいのは、その瑞々しさであり、語り手のきれいな口であり、素晴らしい翻訳であり・・・毎日を、ただなんとなく生きている方に、手を差し伸べてくれる・・・そういう点だけではないのですが・・・日々に退屈を感じている、我々にとって、とても素敵な物語である・・・到底、私のボキャブラリーでは語りつくせない魅力があるのです。ただ勘違いしないでください。決して本書は、怠惰に生きている人間たちのだらしなさをつづったものでもなければ、オカルトめいた、オルタナティヴ・ファンタジーでもないのです。本書では、登場人物たちに、厳しい現実が襲いかかってきます。そんな状況でも、つねに希望を持って、日々を生き、放浪を続ける人間たちの姿には、とても元気づけられるでしょう。話は変わりますが、私はこれを読んでいて、ボブ・ディランの「ミスター・タンブリング・マン」を思い出しました。ディランのこの曲にも、厳しく、ときには退屈な現実と向かい合い、生きていく人間たちの姿が歌われていました。私が初めて読んだのは旧訳のほうなのですが、やはり素晴らしいと感じました。そして新訳を手に取ったわけですが・・・いやあ、素敵だなあ。すらすら読めてしまうのです。「ビート・ジェネレーションを代表する一冊」というくくりで捉える方にも、そうでない方にも、是非お勧めできます。とにかく、読んでください。私のこんなレヴューなど、読んだあとには、きれいさっぱり忘れてしまうでしょうから。年月を重ねても、心に若さを忘れていない方に、感じてもらいたい。「オン・ザ・ロード」は永遠です。100年経っても、語り継がれていく書物です。ジャック・ケルアックには、もっと長生きして、もっと本を書いて欲しかったなあ。ウィリアム・バロウズだって、83歳まで生きたのだから・・・私のこんな愚痴など、忘れてください。
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