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カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫) (詳細)
ドストエフスキー(著), 亀山 郁夫(翻訳)

「読みやすい!!!」「作品自体が偉業、翻訳も偉業」「悪訳」「カラマーゾフの兄弟(亀山 郁夫訳)」「非常に読みやすい」


ファウスト (まんがで読破)ファウスト (まんがで読破) (詳細)
ゲーテ(著)

「難しい」


ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス) (詳細)
J.D.サリンジャー(著), 野崎 孝(翻訳)

「やりすぎ」「強化された「怖さ」」「村上訳だからといっていいわけではないのだよ。」「またしても。。。」「期待しすぎない方がいいかも」


戦争と平和 (まんがで読破)戦争と平和 (まんがで読破) (詳細)
トルストイ(著)

「まんがで読破シリーズにしては難しい」


グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー) (詳細)
スコット フィッツジェラルド(著), Francis Scott Fitzgerald(原著), 村上 春樹(翻訳), 村上春樹(著)

「内容よりも雰囲気を訳した作品」「素晴らしいかもしれない」「村上春樹のベスト1」「絶え間なく過去へと押し戻されながらも」「絶賛の嵐のようですが・・・」


百年の孤独 (Obra de Garc〓a M〓rquez (1967))百年の孤独 (Obra de Garc〓a M〓rquez (1967)) (詳細)
ガブリエル ガルシア=マルケス(著), Gabriel Garc´ia M´arquez(原著), 鼓 直(翻訳)

「世界文学史に残る傑作です。」「世界は小説? 物語?」「アゲイン、そしてまた」「華麗じゃないダイナスティです」「愛について」


リア王 (まんがで読破)リア王 (まんがで読破) (詳細)
シェイクスピア, バラエティ・アートワークス

「シェイクスピアってやっぱりすごい。」「あんまり」


わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫 イ 1-6)わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫 イ 1-6) (詳細)
カズオ・イシグロ(著), 土屋政雄(翻訳)

「すぐれた青春小説を読んだあとのような余韻が残った」「変な先入観をもってしまった」


カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫)カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫) (詳細)
ドストエフスキー(著)

「お値段分の価値」「イワンの葛藤と精神の崩壊、そしてその愛」「悪魔は人に似せて創られた」「愛憎は現代に通ず、、、」「イワンと悪魔」


おおきなかぶ―ロシア民話 (こどものとも傑作集 (26))おおきなかぶ―ロシア民話 (こどものとも傑作集 (26)) (詳細)
A.トルストイ, 内田 莉莎子, 佐藤 忠良

「普遍的な名作!」「オススメ!」「おおきなかぶってなんでしょうか」「初めてハマりました!」「いっしょに引っ張る!」


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▼クチコミ情報

カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)

・「読みやすい!!!
米川正夫、池田健太郎、原卓也、小沼文彦とそれぞれに楽しんで読んできた『カラマーゾフ』の邦訳であるが、確かにこれは読みやすい!以降も早く刊行を期待する。何回読んでもこれほど面白い小説はないこともあって、亀山訳第1巻読了のあと原卓也訳で読み継いでしまった。亀山訳に比べやや生硬な印象もあったが、「大審問官」に差し掛かるともうそんなことはどうでもよい。圧倒的、冠絶の文業である。亀山訳「スタブローギンの告白」もその解説も含めよかっただけに、2巻以降の「大審問官」が待ち遠しい。価格もうれしい。町の書店さんは是非常備されたし。ソローキンの翻訳といい、スターリン研究といい、最近のショスタコヴィッチの連載といい、この著者の大車輪は凄い!!

・「作品自体が偉業、翻訳も偉業
出版社の意図がまず素晴らしい。既存の出版社は、難解な翻訳を長年出し続けていたわけで、この愚行によって文学の楽しさを味わうことなく興味を失ってしまった人が多数いたと思うと、非常に残念である。それに対してこの翻訳は、他のレビュー者のとおり非常に読みやすい。しかも最後に解説があり、読みこなすための前提知識などを教えてくれる。だから最初はこの部分から読むのもよいかもしれない。ちなみに第二巻の解説には、第一巻のあらすじが載っている。第一巻の内容が理解しづらかった場合は、このあらすじを読むことで補うことも出来る。

・「悪訳
この新訳ではじめて読んだのだが(ドストエフスキーは『悪霊』『未成年』を既読)どうにも物足りなく、図書館で江川卓の訳を借りてきて比較してみて驚いた。江川訳のほうがはるかに文意が伝わりやすい。亀山訳は一文ごとに細切れになっていて、文章の接続がわかりにくい。「本よみうり堂」の記事によれば、「ドストエフスキーの原文は逆接の接続詞や関係代名詞が多く難解だが、亀山訳はすいすいと頭に入る日本語に置き換え」たとのこと。つまり文章の接続をいじってしまった(カットした?)わけで、つながりが分かりにくくなるのは当然である。これでは「すいすいと頭に入る」というより文が頭の中を上滑りしていくだけだ。ストーリーを把握するだけならこれでもいいのだろうが、ドストエフスキーのおもしろさがストーリーだけにあるはずもない。

・「カラマーゾフの兄弟(亀山 郁夫訳)
ドストエフスキーの名著で、学生時代以来数回読んだ。今までは翻訳本の定番とされた米川訳だった。もう一度別の訳者のを読んでいやになった覚えがある。今回は、新訳というので亀山訳を読んだ。文庫本なので出張の最中にも持っていって読める。読んで驚いた。米川訳のカラマーゾフとは待ったく別の本という感じがする。いい意味では、読みやすく現代的だ。登場人物の名前を統一していて読みやすくなっていることもあろう。逆に悪く言うと、米川訳のような、重さというか、いかにもドストエフスキー的な感覚がない。ロシア語を読めないので、どちらが本当のドストエフスキーかはわからないが、以前ロシアの空港で手にした"Re Reading Dostoefsky"という英語の解説や日本での小林秀雄の解説等からは、米川訳がドストエフスキー的な感じもする。ただ、今の読者には、今回の亀山訳はよく出来ていると思う。すぐにでもテレビドラマになりそうである。各巻についている、訳者の解説がわかりやすさを倍化させているかもわからない。同じ訳者が「罪と罰」や「白痴」(どちらも私は米川訳で大好きだが)を訳すると、どのような小説になるのかと思った。新しいドストエフスキー像を感じさせられる面白い翻訳の努力だと思って楽しんだ。

・「非常に読みやすい
驚いた。頭にすらすら入ってくる。前人の翻訳で何度か読んだことのある本書だが、ごく普通の小説と同じようにすらすら頭に入ってきてくれるのには大変に驚いた。早く読めすぎて注意力散漫になる人もいるかもしれないが、私の場合は理解が深まったような気がする。これまで読みきれなかった人も、この翻訳ならば読めるのではなかろうか。

カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫) (詳細)

ファウスト (まんがで読破)

・「難しい
ハッキリ言って1回読んだだけでは分かりませんでした。2回目を読む気力も起きませんでした。難解です。おそらく原作がとても分量が多く、要約しすぎているのではないかと思います。「人生をやり直したくはないか」という魅力的な内容なのですが、やはり哲学的であり私には難しすぎました。

ファウスト (まんがで読破) (詳細)

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

・「やりすぎ
村上さんの訳、脚色しすぎ。自分に自信があるのは大作家だから仕方ないとしても、自分より偉大な人の作品を、自分味で味付けしてしまうのは、どうかと思う。I mean itとかit really was とか少なくとも他4種類の英語を全部「冗談抜きで」って訳してる。勝手に主人公に口癖を与えているわけです。"Say no, or I'll drop dead."を「持ってないなんて言うなよな。そんなこと言われたらこのまま死んじまうからな」(81ページ)って誤訳だし。ほんとは全く逆で「持ってるって言うなよな」のはずだし。あと勝手に「というか」って原文に全くない表現を挟み込んでるし。「はてしなく」とか「まっしぐらに」とか、そんなの原文にないって。勝手に強めの表現使ってる。極めつけはhand in her basketってのを「バスケットを「これお願いね」とか言って適当に誰かに渡して」だって。「これお願いねとか言って」って、そんなセリフないんですが。もう少し、謙虚に訳すことはできなかったんでしょうか。こういう訳に感動できるのは、村上ファン以外はいないでしょう。

・「強化された「怖さ」
原作はブロークンな(4文字言葉もさらりと入った)口語体で書かれているので,以前の訳本と比べてよりくだけた感じに仕上がっていることを期待していたのですが,意外とオーソドックスだと感じました(前訳書に比べればずっと現代風ですが).前訳書と比べてよかったと思ったのは,主人公が直接自分に(読者に)語りかけている感覚が強まったこと,そして物語全編を通じて醸し出される「怖さ」がより強く感じられた点.主人公自身が,鬱屈した自己と自分のコンプレックスをチャラチャラと話し,自分が精神的に追い詰められていく様子を軽くおしゃべりするかのように表現するある種の怖さがとてもよく表わされています.これによって,ライ麦畑の横にある崖(ピュアな子供の世界と,欺瞞と偽善に満ちた大人!の世界との挟間)にも得体の知れない怖さが匂っているように感じます.

・「村上訳だからといっていいわけではないのだよ。
私は原書の翻訳の野崎訳を推薦します。この本は世界的に有名で各国で翻訳がされており、一度は読んでおくべき本でしょう。従って、私はこの本をあなたが手に取るものだとして、レビューを書きます。断然野崎訳です。当時の原書はその時代の反抗的若者の言葉遣いを知る上で、文学的に、そして文化的にも貴重なものと

認識されています。野崎氏はその点に留意し、ホールデン(主人公)の言葉遣いを難解な作業でありながら、日本語でその気品に満ちた反抗性を表現しています。一方、村上氏はその気品を重んじるあまり、反抗性への留意が欠如しており、現代の小説を読んでるイメージを受けるとともに、この小説がなぜ、ホールデンが一人称として物語

が展開していっているのか、を考えさせることができていない。と思います。そして、言うまでもなく、村上訳が野崎訳をベースに編成されていることを留意すれば、断然....でしょう。

・「またしても。。。
村上春樹氏の『翻訳モドキ』には毎回悲しい気持ちにさせられます。

それも私のお気に入りの作家ばかり(スコット・フィッツジェラルド、ジョン・アーヴィング、レイモンド・カーヴァー)。そしてついにサリンジャーまでもが・・・

出版社が人気作家で売上を上げたい気持ちは理解できますが、悲しいかな村上氏の翻訳は毎回、自身の思い込みがたっぷり入った原書とはまったく別の代物に仕上がっています。

数十年も前に書かれた小説が(たぶん5‾10年後にはすたれているだろう)現代的な表現で翻訳されるのは、翻訳業を営む私としては納得がいかないところですし、原書に対しても失礼ではないでしょうか?

原作とそれを基にした映画が、その質、内容の点で必ずしも一致しないように、原書とこの翻訳本の関係を捉えて読まれることをお勧めします。

・「期待しすぎない方がいいかも
ホールデンの語り口ってのは、ちょっと神経質ぽくはあっても、スラングをまじえた小気味良いテンポの良さが特徴で、それがいかにも若者らしいってことで評価されてたはずなんだけど、この村上訳のホールデンは日本語の口語体としてありえない表現が多いし、かといって原著に一字一句忠実ってわけでもないみたいだし、語り口そのものがなんだかぎこちなくてアブナイ奴をホーフツさせちゃってる気がして、なかなか読み進めることができなかった。

"僕"というのを省略しすぎてたり、逆に話し相手である"君"というのが不必要に出てきたり、フィービの話し方も10才の女の子ぽくないし、ホールデンが良く使うphonyは「インチキ・嘘っぽい・まやかし」など統一してなかったりするし、まあ翻訳的な主義!とか限界はあるんだろうけど。

村上春樹作品には、一人称の文体とか、「回転木馬のデッドヒート」とか、「ノルウェイの森」で「グレート・ギャツビー」について語ってたりとか、色々「ライ麦」を思わせるところがあったんで、今回の訳には大いに期待してたんだけど、でもまあそんなに期待しすぎなければ、作品そのものは楽しめるかも。

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス) (詳細)

戦争と平和 (まんがで読破)

・「まんがで読破シリーズにしては難しい
世界史をマスターしていないせいか、1回読んだだけではあまりよく分かりませんでした。2回読むと分かってきました。内容は、19世紀初頭に、フランスとロシアとの戦争が舞台になっています。それを背景に、若者がいろいろ思い悩みながら成長していく物語です。恋愛や死に直面した若者の心境が豊かに描かれています。

戦争と平和 (まんがで読破) (詳細)

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

・「内容よりも雰囲気を訳した作品
私は現在アメリカのロスアンゼルスの高校三年生ですが、此処では「グレート・ギャツビー」は必修科目です。高校三年の英文学のカリキュラムはアメリカ文学史。ヘミングウェイ、フィッツジェラルド、スタインベックと進んでいきますが、その中でも一番重点を置かれるのがこの「グレート・ギャツビー」。私が村上訳を読もうと思ったきっかけは、私の英語の先生が「日本で有名な作家のムラカミという人がギャツビーを訳したが、それはとてもいい訳だとウォールストリート・ジャーナルで読んだ。是非読んでみないか?」と進めてきたからです。

三島由紀夫を英語で読んでもいまいちなように、フィッツジェラルドを日本語で読むなんて!と最初はあまり乗り気ではありませんでしたが、「ノルウェイの森」や「海辺のカフカ」など他の村上さんの作品は愛読していたので、「まったくイメージが違ったとしても、『村上の作品』として読めばいいかな」と思って注文し、読んで見ることにしました。

原文でかなりの衝撃を受けた私ですが、この訳にはさらなる衝撃を受けたといわざるを得ません。訳が見事なのはもちろんですが、あらゆるギャツビー関連のエッセイを授業で読んだ上で、なんともいえない解釈の深さに驚きました。言語が違ってしまうと醸し出す雰囲気も当たり前のように変わるものですが、村上さんの描くギャツビーは、まさしく僕のイメージのギャツビー、いや、アメリカで学ぶフィッツジェラルドの描こうとしたギャツビーそのものなのです。

ただ単に、筋が通るように語句を並べて訳しているのではなく、フィッツジェラルドの原文に等しい「雰囲気」を作り出すように丁寧に言葉を選んでいるのが伝わってきます。もちろん数箇所は「ここは(作り出す雰囲気が)原文の通りじゃないな?」とか「あれ、此処は意味が隠れているはずなのにな?」と思うところもありますが、それ以外は「もしかしてフィッツジェラルドって日本語も書けたのかい?」と思わず唸ってしまうほどの出来です。

ヘミングウェイやカフカの和訳でよく見られるように、訳された作品には「内容」を重んじたものが多いです。つまり、同じストーリーは伝わるのですが、そこから感じられるイメージ、雰囲気、感情の揺らぎなどはなかなか伝わりません。和訳を読んでから原文を読んだり、その逆をしたりすると「あれ?このキャラクターってこんな風に思っていたんだ」と驚いてしまうことが多いです。

しかしこのギャツビー、全てのキャラクターが、原文と同じように考え、行動し、会話や動きからは原文と同じ雰囲気を作り出してくれます。これはもう、神業です。かなりのギャツビーファンとして、映画版も何バージョンか観ましたが、それよりもこちらのほうがより正しく、よりフィッツジェラルドらしいムードを作り上げてくれます。

原文を読んだことある方も、「いい作品と聞いていたけど、結局は訳だからなぁ……」と悩んでいる方にも、是非是非お勧めです。

唯一気になる点は、「Gatsby」は「ギャツビー」ではなくずっと「ギャッツビー」だと思っていたところですかね。人によって発音は違うみたいです。アメリカでは後者が主流。(笑

以上、文学ヲタによるレビューでしたっ。

・「素晴らしいかもしれない
 野崎訳の同書を読んで、なんとなくその素晴らしさをわずかに感じていました。でも、それがどういうことなのか分からない。フィッツジェラルドの来し方に触れるものであるということは間違いない。でも、そこに何があったのだろう?そう思って野崎訳を数回読んだものです。 そして、今回村上春樹訳の本書が出るということで期待して読みました。前々から、村上さんは「グレート・ギャツビー」を翻訳したいと色々な場で言ってましたし、「ノルウェイの森」にも出てきました。それを知っていたので、「いよいよ来たか」という感じでした。 読んだ感想としては野崎訳とは違うものでした。とにかく読みやすい。意外に古い作品なんだってことを再認識させてくれました。今まで、そう思わせなかったのは野崎孝という翻訳家の才能によるものでしょう。 ニック・キャラウェイの立ち位置、ジェイ・ギャツビーの悲哀、すべてが解けるように僕には感じられました。そういうことだったのか・・・と。 同時に野崎訳とのズレもあります。それは致し方ないことです。英語で書かれた文章を完璧に移し変えることなんて不可能なんです。しかも、時代も違う。それに耐えうる作品が名作として残るんですよ。 「グレート・ギャツビー」は劇的な感想は抱けないものだと思います。しかし、じわじわとくる印象があります。読者が経験することによって、「こういうことだったのか」という不思議なシンパシーめいたものを感じることの出来る作品だと思います。想像以上に深い作品だなと改めて思い知りました。 でも、この作品の本質というか、全体的な「これはこういうことだ!」という感想が抱けないんですよね。これは決して悪いことではありません。逆に可能性を感じるくらいです。それは作者、訳者の責任ではなく、読者の責任でしょう。 この作品をちゃんと理解できるようになりたいです。

・「村上春樹のベスト1
訳者後書きで、春樹氏は『グレート・ギャツビー』を人生で出会った重要な本のベスト1に挙げている。後の2冊は『カラマーゾフの兄弟』と『ロング・グッドバイ』だそうだ。後者は未読なのでわからないが、確かに『カラマーゾフ・・・』と比較しても遜色のない、文学史上に輝く名著であることは確かだと最後まで読んで思った。野崎訳や映画をちらりほらりと以前から読んだり観たりはしたが、「優れた読み手でもある春樹氏がなぜそこまで推しているのか」不可解だと思っていただけに、今回読了してようやく合点がいった。ようするにこの本はとっつきが悪いが極めて優れているのだ。もう少し踏み込んでいえばそれなりの読解力があってはじめてその真価が理解されうるという類いの文章なのである。私も後数度読んではじめてもっと作品の良さを味わうことができるのだろうな、と痛感。還暦を前にしてやっとこの本を訳す心構えができたと春樹氏が言うのも仕方ないな、という奥のふか〜い1冊です。

・「絶え間なく過去へと押し戻されながらも
グレート・ギャツビーという小説は、ある批評家によれば、何回読み返しても、読み落としていた点を発見できる小説である。それだけ、重層的な小説であるしアメリカ人にとって極めて重要なテーマを含んでいる。

これまでの評価からいって、もはやアメリカ文学二十世紀小説の古典である、と言っても言い過ぎではないこの名作は、以前の野崎訳が名訳なのは周知の事実であるとしても(ライ麦畑〜も野崎訳であり名訳である)、時の流れというのは必ずその訳に影を落とすものであり、その点だけでも、十分に訳しなおす価値はあると思う。そして当分の間は、恐らくこの訳がこの国での、決定版になるだろう。

つまりある意味では、小説の読解同様、何度訳しなおしても訳し落とした点があるのだ。

個人的には初めて読んで以来、それこそ何十回も読み返してきた小説だけに、村上春樹氏のファンだけでなくより多くの人に読んでほしい。

・「絶賛の嵐のようですが・・・
翻訳者の村上氏がいうほど良い小説でしょうか?自身の感想としては「並」の話しかなと。

ただ村上氏によると、この小説のどこがいいのかと聞く人間には文学を語る資格が無いようですので、私が少数派なのでしょう。

正直、翻訳自体にも意味が不明というか、情景が伝わらない箇所も多く限りなく☆2つに近い☆3つです。

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー) (詳細)

百年の孤独 (Obra de Garc〓a M〓rquez (1967))

・「世界文学史に残る傑作です。
 脱私小説という問題をいつまでも引き続けている日本文学とは対照的に、南米ではこんな物語が生みだされてるのです。あるひとつの村の一家の百年の興亡史ですが、骨太の物語なのに読みやすいのです。この読みやすさは異常だと思われますが、ガルシア・マルケスはおそらく読者の読むスピードを底上げさせるように文章を書いているんでしょう。それは物語の特性を考えてのことだと思います。 保坂和志は、百年の孤独ほど「小説というのは読んでいるその瞬間にしかその実体がない」ことをわからせてくれる小説はない、と言っています(ただし、家系図なしなら)。カフカの長編小説でもそうですが、怒涛のようなエピソードが壊れたピッチングマシーンから放たれるボールのようにぼんぼん投げこまれてきます。私たちはそれを読み、楽しみ、そして次の瞬間には忘れます。私たちは次のボールをキャッチしなくてはいけないからです。私はこの「忘れる」ということが、この小説のいちばん大事なところではないのかと思います。 この小説では、とにかく何もかもを忘れていきます。登場人物の名前がほとんど同じですので、誰が誰だか忘れます。誰がどんなことをして、そして死んでいったか、忘れます。私は読み終わったばかりなのですが、もう何が起こったのか忘れています。彼ら一族は小説のなかの世界でも、そして私たちからも忘れられます。 そして、私はその忘れられる過程(一族が滅びていく過程)にこそ、ガルシア・マルケスがテーマとした愛が見え隠れしているようにしか思えないのです…。

・「世界は小説? 物語?
ああ、読んでよかった。有名な『百年の孤独』。ノーベル賞が、「世界的名作」という言葉が、重い。そんなわけで、読んだ人々の話を憎らしく思いながら、黙って聞いていたけれど。読み終わった今は、言える。これは、世界的名作の前に、最高のエンターテインメントだ。全然、重くない。楽しい。面白い。で、ついでになんだか世界の秘密に触ったような気になれる、すごい本だ。

とはいえ、正直、読み始めはかなりつらかった。

登場人物の名前が、ややこしい。お父さんのホセ・アルカディオ・ブエンディアの息子が、ホセ・アルカディオと、アウレリャノ・ブエンディア。そのまた息子が、アルカディオと、アウレリャノ・ホセ。ホセ・アルカディオ・セグンドとか、アウレリャノ・セグンドとかいう人もいた。こんな具合に、ブエンディアさんのお家は、こちらの都合もおかまいなしに、産まれた子供にどんどんおんなじ名前をつけていく。死んだ人も、普通にその辺をうろうろしているので、ますますわかりづらい。

時間の経過が、わかりにくい。時系列順に進んでくれない。この物語は、人だったり、出来事だったりを中心とした、エピソードが積み重なって出来ている。あるエピソードの途中で、「これはだれだれがなになにをしていた頃のことだ」、とか出てきて、別のエピソードと重なり合うことで積み重なっていく。気がつくと、いつの間にか時間が少しずつ進んでいるのだ。年号とか、基準になるものは全然でてこない。

ああ、もう! と思っているうちに、100ページを過ぎたあたりから、そんなことを気にしなくなりだす。すると、もう、あっという間。というのも、だんだん、ルールが、体で分かってくるのだ。

この本、「ガルシア=マルケス全小説」の中の一冊だけど、小説ではないと思う。物語だ。エピソードで世界をとらえるやり方は,小説よりも、物語のルールだ。ここでは、聞き手を飽きさせないことが何より優先される。流れを遮るものは、省略される。だから、正確な時間なんかはどうでもいいものなのだ。そして物語は、聞くものを飽きさせない細かいディテールで出来ている。だから、聞いたそばから忘れられていく。

きっと、人間は、小説が出来るずっと前から、こうやって、物語の目で世界を見てきたのだ。今の僕らは、小説のものの見方で世界を見てしまっていて、だから、家系図なんかを欲しがってしまう。物語には、こんなものはいらない。家系図は、この本を小説にしてしまうと思う。

物語は蜃気楼で、聞き終わったら、忘れられるもの。それが、寂しい。本当に、本を開いてマコンドにいる間は、それこそ自分が読者であることすら忘れてしまうのに。

でも、僕らの中には、漠然とした物語の輪郭が残る。世界を見る物語の目が残る。それが、本を閉じた今でも、もぞもぞうごめく。それが、新しい物語の芽になる。僕は、もう、間違いなくこの物語から産まれただろう物語を、いくつも思い出している。

・「アゲイン、そしてまた
百年という歳月をかけて、人間は何を成しえるか。

20世紀と21世紀を比べると、あまりにも多くのことが変化、進歩したように思える。確かに、技術や文明は、百年前とは比べ物にならない。しかし、人間と、その心はどうだろうか。昔の小説を読んで人々が感動するように、歴史の中で同じ過ちが何度も繰り返されるように、不可逆的・直線的な文明とは違い、人と歴史は円環のようにぐるぐると回っている。

ブエンディア家は、百年かけて孤独の円環から抜け出す。メルキアデスの古文書の秘密を知るまで、愛によって子供が生まれるまで、なんと百年の歳月が必要だった。アゲイン、そしてまたアゲインと、まるでゲームのリセットボタンのように、符号がかちりとそろうまで、時間の円環は回り続ける。

多くの知識人や著名人が、この本を傑作と呼ぶのもうなずける。とにかくスケールがあまりにも大きい。目がくらむ。歴史は繰り返し、人は忘れていき、栄えるものは滅ぶ。そんな時間の物語は、読んでいる最中よりもむしろ、読んだ後にじわりと重さを増していく。

・「華麗じゃないダイナスティです
「100年の孤独」って、そんなのありえるのか?と思える、しかもSFチックなタイトルが魅力的です。また、この作品を読んで、現在世界で起こっているあれこれを考えるというのではなく、1つの小さな村に吹きだまった一族の孤独感を感じるための本です。

ストーリー自体を読んだ限りで、ちょっと皮肉にとらえれば、ラテンアメリカ版「ダイナスティ(米テレビドラマ)」か、「華麗なる一族(山崎豊子)」かしらと思います。でも、もっと貧乏くさくってほこりぽくって陰鬱な、とある開拓村を作った一族の栄枯盛衰の物語です。そもそもこの開拓も壮大な目的のもとに…というより、ある男女の駆け落ちの果ての妥協点だったり、世の中(もちろんこの開拓村も)はそれなりに動いているのに、数多い一族の中にはまったくそれとは異質のモノが流れ込んできてよどんでしまうといった暑っ苦しい陰湿さが強烈でした。登場人物の関連も強烈にわかりにくく、さらに巻末の解説によれば「42の矛盾と6つの重大な誤りがある」と著者が述べているらしいのですが、「まぁ、この濃い物語にはこの分かりにくさがいいのよね」と思える、珍しい読後感でした。

ただ、今回の表紙よりも、99年版の表紙のほうがこの一族の中の複雑にからまり、閉ざされた状態を端的に表しているような気がする(今回の版では他のマルケス作品と装丁が統一されているので、まとめ買いする方にはこちらがよいと思いますが)のと、巻頭の系図は不可欠ながらもやや結末が見えてしまう感があるので、一工夫を望みます。少し惜しい気もしますが、合わせて星ひとつ引きました。

・「愛について
コロンビアの架空の開拓村における名家一族の物語。近代化を迎えた村の繁栄を背景にこの一族は豊かで子沢山だった時期もある。が、タイトルが示す通り、なぜか徹底して愛に恵まれない。100年以上かけて代替わりも数世代進み、やっと愛によって結ばれた夫婦に子供が生まれる「その時」。この最後数ページがクライマックスなんですが、そこまで延々400ページに渡って、時間と運命の円環構造の下で何人もの一族の人間(=みんな似たような名前!)が同じような悲喜劇的エピソードを紡いでいくんだけど、クライマックスに入って怒涛の速さで物語が収束していきます。ネタバレになるので詳しくは書けませんが、このクライマックスの速度と収束感は、そこに至るまでの永久に続くんじゃないかと錯覚してしまうようなエピソードの集積の後だけに、かなり味わい深いです。

それにしても、各エピソードはユーモアに溢れてるのに、全部読み終わった時に、何でこんなに寂しい気持ちになるんだろう。

百年の孤独 (Obra de Garc〓a M〓rquez (1967)) (詳細)

リア王 (まんがで読破)

・「シェイクスピアってやっぱりすごい。
シェイクスピアというのは、ロミオとジュリエットを書いた人ということしか知らなかった。でも、この作品もかなりおもしろい。お金・土地・権力などを通して、いろいろな人物が交錯する。要約すると、引退した王様の後継者争いの物語である。「人間はみんなこの茶番の劇場に泣きながら生まれてきた」という言葉が心に残った。

・「あんまり
絵はきれいなんだけど。話がとびとびで、理解に苦しむ。あまり伝わらない。

リア王 (まんがで読破) (詳細)

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫 イ 1-6)

・「すぐれた青春小説を読んだあとのような余韻が残った
’06年、「週刊文春ミステリーベスト10」海外部門第9位、「このミステリーがすごい!」海外編第10位にランクイン。

『日の名残り』という’89年発表の作品で、英国最大の文学賞であるブッカー賞に輝いた現代文学の巨匠、カズオ・イシグロの第六長編である。ミステリー作家というより、純文学畑の作家だ。

主人公は、キャシー・Hと紹介される31才の女性である。彼女は<提供者>と呼ばれる人々に対する介護をしながら、ヘーシャルムという田舎の寄宿舎で、同じ時間を共有した仲間たちとの過去を回想する。 彼らがなぜそんな場所にいたのかがこの小説のひとつの大きな謎である。その謎が明らかにされてゆく過程が、「週刊文春」や「このミス」など、多くのミステリーファンに支持されたのだろうが、決してロジカルな推理があるわけでもないし、アクロバティックな叙述トリックがあるわけでもない。ただ、淡々と語られていくキャシー・Hの一人称があるだけである。しかし、そこには静謐ではあるが謎をはらんだ展開のなか、種明かしが少しずつ織り込まれてゆき、そして物語は「奇怪」、「異形」ともいうべきその恐るべき全体像を読者の前に現してゆくのだ。

本書はカズオ・イシグロの手によらなければ、果たして、すぐれた美しい一人称青春文学として評価されただろうか。私は、哀しみに満ちた物語を読んだという感想と共に、ホラー小説を読んだあとのような余韻が残って仕方がなかった。

・「変な先入観をもってしまった
文庫落ちにあたってようやく手にしたベストセラー。前評判を耳にしていた自分は本書をミステリを読む感覚でいましたが、その意味では失敗でした。主人公であるキャシーが幼少期から現在までを語ってゆくスタイルで、最初の十数ページほど読んだところで、真相を予見させるセンテンスは散らばっているけどなにも説明されないという構造ゆえ、最後に大どんでん返しが待っているのではと思ってしまいますが、イシグロ自身が、帯に「これは…についての物語である」と書いてくれてかまわない。と述べているように、そもそもこの物語にミステリ的な醍醐味を用意していません。自分にとって初体験の著者でしたし、多分に誤解がありました。

外界から隔たれた施設で育つ登場人物たちが「教えられているようで、教えられていない」教育を読者も同じ目線で追い続けることになり、うすうす感づいていた事実が明かされたときは読者同様、登場人物たちもいちいち驚き騒ぐようなことがありません。むしろ結果的に「いちいち驚かなかった」ことに、こうした特殊な構造の効果が収斂されています。

この題材であれば、主人公が悲劇的な運命からどうにか逃れようともがく活劇としてのほうが描きやすかったかもしれませんし、そのほうが読者の意識にはっきりと警告めいたものを残せたでしょうが、そのような小説ではありません。抑制された丁寧な文体で静かに幕を閉じる本書は、全く予期しない場所へ読者を放り出します。おもしろかったです。

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫 イ 1-6) (詳細)

カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫)

・「お値段分の価値
分厚い4巻である。翻訳した亀山氏の意図によりこの巻はこの厚さ、この値段になった。ほとんどがドミートリーの裁判で、文学でありつつ法廷小説としても非常に面白い部分であるから、この値段にも納得できる・・かな(笑全巻が出揃ったあとだから言うが、初版よりも3版、4版になったころに買い求めるのが得策かと思う。なぜなら初版での誤字誤訳が改訂されるであろうから。このごくわずかな瑕疵で、今回の翻訳の偉業を貶めようとはさらさら思わないのだが、大事なことなので書いておいた。

・「イワンの葛藤と精神の崩壊、そしてその愛
醜悪な人の性を体現したヒョードル・カラマーゾフの子のうち、突然変異的に美しい慈悲と愛の心を持つ3男のアリョーシャ、愛を知らずに育ち乱暴者だが正直な心も併せ持つ長兄のミーチャ、そしてナイフのような鋭い知性を持ち、兄の妻のカーチャを深く愛し、神の存在と自己の存在との関係に均衡点を見出せずに精神に異常を来たす、3兄弟で最もヒョードルの性格に似た次男のイワン、それぞれの兄弟の運命が大きく分かれるのがこの第4部の特徴だと思います。

カーチャはイワンの大きな愛を感じながらもその本当の意味・大切さに気付かず、夫のミーチャの裏切りや自分のプライドと現状との間に均衡点を見出せず大きく悩み、そしてイワンの精神の崩壊を見るにつけ裁判で証人として最後の最後にミーチャを陥れる証言をしてしまいます。

本書では、人は何かに心が捉われている時、身近にある本当の愛に気付けないもので、気付いた時には手遅れになっている、そして如何に強く見えても人の心は弱く、また人の欲は果てないという何世紀にも渡って人が実践・経験してきたであろう真理をとても強く感じることができます。

物語の時代背景は現代と大きく違いますが、それらを感じることができるだけでも、本書を星5つとして良いと思いました。

・「悪魔は人に似せて創られた
「父親殺しを願望するだけで罪になるか?」の問いはそのまま「神殺しを願望するだけで罪になるか?」の物語全体に通底する命題を炙りだす。

「異教徒に捕まり改宗を迫られ拷問された際、狂おしく祈り助けを求めても自分の叫びでは山ひとつ動かなかったのにそれでも神への信仰を保ち続けていられるか?」 一巻でスメルジャコフが発した問いにイラクの拉致事件を連想した。イワンは思想の中で神を否定した。転じてそれはキリスト教を奉ずる人類の父たるイエス・キリストの否定へと繋がり、現実の父殺しと呼応しながら次第に狂気じみた様相を呈していく。

父フョードルは滑稽かつ下劣な言動で人々の嘲笑を買う道化であると同時に、とどまるところをしらない旺盛な生命力と強烈な存在感でもってカラマーゾフ三兄弟の上に君臨し、三兄弟の思想・人格形成に多大な影響力を持ち得た通俗の神であった。 現実の父を殺したのはだれか?信仰上の父を殺したのは?

二つの問いが互いに絡み合いながら行き着く答えとは?

思想の中で神たる父を殺したイワンが、現実の父殺しの犯人もまた自分ではと懊悩する場面は息詰まる緊迫感を生み読者を引き込む。

人的に気になったのは、カラマーゾフ家の他の面々やホフラコーワ夫人や警察関係者などささやかな脇役にいたるまで詳細な外見描写があったのに、主要登場人物である次兄イワンの容姿の記述だけまったく見当たらなかった点だ。穿ちすぎな見解かもしれないが、作中イワン自身が「もし悪魔が存在しないとすれば、つまり、人間が創りだしたのだとしたら、人間は自分の姿かたちに似せて悪魔を作ったんだと思うよ」と発言したことを踏まえれば、否定する霊(=メフィストフェレス即ち誘惑する悪魔)になぞえられたイワンの外見描写だけが省かれていたのは「悪魔はだれもに似ているからして特定の顔を持ってない」という作者のメッセージともとれて興味深い。

・「愛憎は現代に通ず、、、
イワンとマリョーシャの大審問官は意味深い。この若いとき読み返した小さな活字をおもいだした。 新約本はわりと分かりやすく、ソレデモ何度となく読み返した。亀山さんのはご苦労も多かったかとおもわれるが、古典がベストセラーというのもたのもしい。 演劇の世界を見ると案外よくわかる。文字でドストエフスキーというのはなかなかである。 26万部突破に恥じない約だとおもう。しかし、いつの世も愛ありいじめあり殺し自殺とそんなことを考えると人というのは案外変わらぬいきものなんだなとかんじました。

・「イワンと悪魔
 スメルジャコフは気味の悪い人物だ。針入りのパンを犬に食べさせたり、猫の首を絞め葬式をしたりする。イワンもしゃべっていて気がめいっただろう。リーザ・ホフラコーワも同様に薄気味悪い人物だ。アリョーシャの周りには変わった人がたくさんいる。

 裁判に関して:ミーチャの弁護人は立派な弁論をしたと思う。それでも有罪になったのは、陪審員の多くが、ミーチャに元々不快感を持っていたからかも知れない。

カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫) (詳細)

おおきなかぶ―ロシア民話 (こどものとも傑作集 (26))

・「普遍的な名作!
 子供の頃に大好きな絵本で、今は娘に読んでやっています。娘もとても気に入っており、まだ字を読めないのですが、ページをめくりながら「うんとこしょ、どっこいしょ」と言います。なんて事のないストーリーなのに、こんなに楽しいのはリズムが良いからでしょうか?とにかくお薦めです。

・「オススメ!
おなじみ、大きなかぶ!よいしょ、よいしょ!と言いながら、とても楽しい絵本。たまたま、おかあさんといっしょでも、おおきなかぶの歌をやっていて、今では歌いながら読んでいます。みんなで力を合わせることの嬉しさを、知らず知らずに感じることが出来るとてもいい絵本だと思います。

・「おおきなかぶってなんでしょうか
 おじいさんがかぶをうえました。「あまいあまいかぶになれ。おおきな おおきな かぶになれ」ではじまるもう50年以上もよみつがれている傑作です。 ちなみに かぶは、作家のトルストイの故郷であるロシアでとれるらしい お砂糖の原料である「さとう大根」のことです。日本でも北海道などでとれますね。挿絵は、日本のかぶそのままですが 日本のこどもにはしっくりこないので おおきなかぶ としたのかなと思います。 うんとこしょ どっこいしょ 家族みんなでひっぱりましょう。 

・「初めてハマりました!
3歳のムスコがプレ幼稚園で読んでもらってから気に入っている様子だったので購入しました。いい歳になったワタシから見たら絵だってそれほどインパクトがあるとは思えないんだけど何故かとてもムスコにはヒットしました。カブを引っ張る「うんとこしょ・どっこいしょ」の響きが良いのかしら?ムスコの絵本デビューとも言える本になりました。

・「いっしょに引っ張る!
文章のテンポがよくて、読みやすい上に皆で力をあわせてカブを抜くというのが楽しいらしく、2歳の娘も「うんとこしょ どっこいしょ」と声を合わせて一緒にカブを引っ張ってくれています。

挿絵も魅力的で、場面場面を的確に表現していて絵を見ただけでも、どんなシーンなのか娘にもわかるようです。

おおきなかぶ―ロシア民話 (こどものとも傑作集 (26)) (詳細)
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