「原因」と「結果」の法則2 (詳細)
ジェームズ・アレン(著), 坂本 貢一(著)
「1の方が」「書籍欄は信用できぬ」「この世界はすべてあなたの心の中の出来事です。」「幸福とは」「なんだか気分が優れない時。」
集中講義!アメリカ現代思想―リベラリズムの冒険 (NHKブックス) (詳細)
仲正 昌樹(著)
「アメリカの自由をめぐる思想家たちの格闘の歴史」
ラッセル幸福論 (岩波文庫) (詳細)
B. ラッセル(著), 安藤 貞雄(翻訳)
「非宗教的な幸福論」「幸福論ならこれを読め!!!」「幸福を論理的に説く」「秋の夜長に。」「興味」
哲学入門 (ちくま学芸文庫) (詳細)
バートランド ラッセル(著), Bertrand Russell(原著), 高村 夏輝(翻訳)
「素晴らしい。」「絶版本の新訳!!」「本書は哲学の「ブート・キャンプ」です」「読んでexcitingという保証はしませんが」「最終章で哲学の存在意義が語られる」
エロスと精気(エネルギー)―性愛術指南 (詳細)
ジェイムズ・N. パウエル(著), James Newton Powell(原著), 浅野 敏夫(翻訳)
「ポリネシアンセックスへのいざない」「これは知っておいたほうがいいかも!」「セックスレスだった夫との関係に嬉しい変化が現れました ^_^」「ポリネシアンセックス」「ポリネシアンセックス」
ウィトゲンシュタイン入門 (ちくま新書) (詳細)
永井 均(著)
「国内最高の入門書」「独特の観点」「「わたし」について考えてる?」「変な評ですが」「面白い」
学校と社会 (岩波文庫) (詳細)
デューイ(著), John Dewey(原著), 宮原 誠一(翻訳)
「実用主義の教育論」「今の時代にもう一度読み直す価値のアル本」「教育原理」「教育学の古典足りうる1冊」「納得の主張」
「原因」と「結果」の法則 ベーシック版 (詳細)
ジェームズ アレン(著), James Allen(原著), 坂本 貢一(翻訳)
「なんだか気分が優れない時。」
エリック・ホッファー自伝―構想された真実 (詳細)
エリック ホッファー(著), Eric Hoffer(原著), 中本 義彦(翻訳)
「良書」「本当に「好きになる」ことについて」「やさしい日の光を浴びているかのような」「自由な魂と勇気」「今、日本にある現実」
追跡・アメリカの思想家たち (新潮選書) (詳細)
会田 弘継(著)
「ジャーナリストが描く思想」「多様な現代米国思想をジャーナリストの眼で描いた好著」
・「1の方が」
個人的感想ですが、1(「原因と結果の法則」)の方がすべてにおいて評価が高いです。1を読んで、どうしても読みたい方は読むべきでしょうが、映画でもゲームでも、何でもそうですが、1が好評で2→3→4と発表されていくと質が落ちるという法則があると思うのですが、まさにそんな感じです。質が悪いというのではないですよ。当然のことながら、書いている内容は異なります。ですが、2、3と読むのなら、1を3回読んだほうがいいのかなと思います。
・「書籍欄は信用できぬ」
いつも思うことだが、書籍広告は本を必要以上に誉めすぎである。それは売れるためには仕方がないことなのだろうが、せっかくのすばらしい本を台無しにするくらいだったら、うそ広告なんて書くな!いきなり批判をして申し訳ないが。 ▲朝日新聞の書籍欄には「第一作目を越える!」と書いてありましたが、絶対にありえない。一作目のほうがすばらしいです。買うなら一作目ですね。 一作目が気に入ったあなたならば、二作目も買ってよろしいのではないですか?しかし、内容は一作目以下だと思います。 書籍欄は信用できぬ。
・「この世界はすべてあなたの心の中の出来事です。」
妻がこの本を買ってきた。「いい本よ。読んでみたら?」彼女は自分が読む前に僕にその本を薦めてきた。
僕は最初はパラパラと飛ばし読みした。その時は特に心地よい本とは感じなかった。1週間程過ぎて、なぜかもう一度最初から読んでみようと思った。2,3日であっという間に読み終えてしまった。探していた物がやっと見つかった。真実だ。
母親に「この世界はすべてあなたの心の中の出来事です。」と伝えた。「ウッソー!そんなことないわね。」一笑された。
読者の心の世界のことである。わかる人にはわかる。感性が大切である。過去にとらわれずに素直に読むことが大切である。
・「幸福とは」
もしもいま、環境の奴隷になっていると感じているとしたら、それは外側の世界に向けて自分のパワーを与えている状態だ、というところが印象的。抽象的なことばかりでなく、どのように考え、何をすればいいかが書かれている。この本を読んで、静かで内面の強さを持つ人に憧れる。詩はなくてもいいように思った。
・「なんだか気分が優れない時。」
なんだか気分が優れない時。悩みが絶えない時。なんだか心が重たい時。すごくすごくつらいとき。
本書を紐解けば、きっと心がほぐれてきます。私がそうでした。きれいごとじゃないんです。それが真実なんです。生きるってすばらしい。人のために生きるってすばらしい。そんな本です。
●集中講義!アメリカ現代思想―リベラリズムの冒険 (NHKブックス)
・「アメリカの自由をめぐる思想家たちの格闘の歴史」
まず現代思想といっても、いわゆる"ポスト構造主義"とか"ポストモダン思想"との関わりは少ないので、そちら方面を期待している方は注意しましょう。この本ではもっと実践的な政治・社会・法哲学に重点を置いていて、ロールズのリベラリズム、ノージックのリバタリアニズム、サンデルのコミュ二タリアン、ローティのリベラルアイロニストなど、アメリカ現代思想の巨人たちの思想を紹介しつつ、さまざまな価値観を持つ人々がぶつかり合わないようにするために自由、平等、正義、共同体といった概念をいかに捉え、いかに理想的な社会制度を構築するべきか、その難問へ立ち向かう思想家達の格闘の歴史が書かれています。
そして同時にそういった思想が生まれた背景であるベトナム戦争や黒人差別、アクチュアルな政治情勢にも触れており、ちょっとしたアメリカ現代史の勉強ができるような構成にもなっています。
また本書ではアメリカのリベラリズムと日本の政治・社会・哲学とのつながりにも触れられていて、人種のサラダボウルといわれるアメリカでのリベラリズムの盛り上がりと比べて、国として一定のまとまりを持っていた日本では"アメリカの哲学"はずっとマイナーだったというくだりなど、読みながらその違いについて考えたりするのも面白いです。とはいえ現在では日本でもアメリカの哲学の影響・重要さはますます増しているようで、ぼくなんかは本書を読み、そのルーツを知ることで現在の政治・哲学の状況についてすごく明るくなった気がしました。宮台真司氏や北田暁大氏、東浩紀氏などの日本の人気の学者・思想家の著作が好きな人は、本書を読みながら「あの本で書いてたことはローティの影響だったんだな」などと思うこともあるかもしれません。
筆者は"本講義のねらいと構成"で「アメリカの自由をめぐる一つのストーリーにまとめることを試みた」と書いていますが、そのねらいはかなり達成されているのではないでしょうか。
・「非宗教的な幸福論」
もう何年も前のことだがバートランド・ラッセルの「The Conquest Of Happiness」を岩波文庫に加えるよう岩波書店に要望を出したことがある。それから数年後だったろうか、「幸福論」として実際に岩波文庫に加わったことを知り大変うれしかったのを覚えている。もちろん私の出した要望がそのきっかけになったかどうかは知る由もないが。学生時代初めてこの著作のことを知ったときには英文でしかも断片的にしか手に入らず、それでも手に入れられるものは片っ端からみつけて貪り読んだものである。後に古本屋で邦訳を見つけ、英語のペーパーバック本も見つけてどちらも迷わず購入した。
岩波文庫では平凡な「幸福論」というタイトルになり(昔の邦訳でも幸福論という題名だったが)翻訳も少しおとなしすぎる気がしないでもない。英語に自身のある人なら原書を読んでみてもいいだろう〡?博識で教養の高いラッセルの英語は明快で分かりやすく英語の勉強にも最適である。
内容はというと実に論理的で人間に対する深い洞察に満ちている。「幸福論」というとなにか著者の倫理観や宗教じみた価値観を(やんわりと)押し付けるようなものを想像されるかもしれないが、ラッセルの幸福論はそうしたものと違い「常識(コモン・センス)」に基づく誰にでも分かりやすいものだ。物事を常に合理的・科学的に考える人や、ヒルティの「幸福論」など読むに耐えないという人に本書は向いているだろう。逆になにか高遠な哲学、精神論じみたものを期待する人にとって本書は期待はずれになるかもしれない。
本書はまず第一部「人々を不幸にするものは何か」で不幸の原因となるものを列挙し分析していく。(なんと塊??理的な論の進め方であろうか)ほとんどの議論は現代にも十分通用するものだが、ある程度20世紀前半の西洋文化的背景がないと読みづらいところがあるかもしれない。また、深い意味を持つところでも一文でさらっと述べられているところもあるので、読む側もそれなりにアンテナの感度を高めておかないとラッセルの真意を誤解されるのではと心配してしまうのは私の杞憂か。
・「幸福論ならこれを読め!!!」
アラン・ショーペンハウエル・武者小路実篤といろいろな幸福論を読んできたが、ラッセルが1番共感できるし、読みやすかった。作者の一言一言が重く骨身に染込みます。鬱気味の人、自分は不幸だと信じている人、幸福を模索中の人、快楽主義者はこれを読みましょう。
・「幸福を論理的に説く」
人の不幸の原因と幸福の定義を細かく理性的に分析し、これを明確にすることで幸福な生き方とはどういうものかを説いている
まず前半では「不幸の原因」として人のこころに潜む多くの不幸を列挙し、これらを根絶やしにすることを説く後半では「幸福をもたらすもの」として人を幸福にするために助けとなるもの、必要なものをあげていくラッセルの説く幸福とは、誰しもが理性的に努力することで獲得できるものであり、ごく限られた人だけのものではない
たくさんの大切な言葉が記されていて、とても助けになりました最後まで読み終えた後の充足感はこの本を読む価値を示していると思いましたきっと将来、何度も読み返す本だと思います。
・「秋の夜長に。」
何となく気まぐれに手に取りそのまま購入した本。読み始めて数秒、何でこんなの買ってしまったかなぁと思いながらもちょっとづつでもと読み進めてみると…。あら不思議、止まらなくなってる自分がいた。ダラダラと読んでみたり、ふむふむと読んでみたり。例えや文体がやや古くさくもあるが、それは仕方のないことと目をつぶってもなかなか面白い。引用された文献の方も読んでみたいと思わせる本。
・「興味」
通常何らかの思想を書いた本というのは一方的に押し付けがましいものが多い。それは仕方のないことだろう。本の著者のやりたいのは「議論」ではなく「講義」なのだから。それが悪いというわけではない。だがこの本は違っている。 人がより良く生きるにはどうすればよいか?第一部では不幸の原因となる事柄を取り上げそれを取り除く方法を提案している。「そうしなければならない」ではなく「そうしたらどうか」という風に書いてあるのだ。 第二部ではでは具体的に幸福になるにはこのようなことをしてみたら良いのではないか?ということが書かれている。要約してしまうと「あらゆることに興味を持みたらどうだろう」ということだ。何かを知っているという事は、そのことを知らないことよりも幸福ではないだろうか?ということが書かれている。 これらをどう捉えるかは読者次第。少しは人生が楽しくなるかもしれない。
・「素晴らしい。」
ラッセルの"Problems of Philosophy"の邦訳。同書は既に何度も邦訳されており、原文ならWebでも読める。それを今更どうして翻訳したのだろう、と疑問に思い書店で手にとってみたが、読み始めて納得。従来の邦訳をはるかに凌ぐ読みやすい日本語になっている。訳者の仕事に拍手を送りたい。
私はふだん、英米の哲学書は出来るだけ原典を読むようにしている。邦訳を読んでも、生じた疑問が原文に起因するのか翻訳に起因するのか分からず、結局原書に当たらないといけないので、二度手間だからだ。ところが本書は、原文の意味を極めて読みやすい日本語で伝えており、訳注も充実しているので、原文に戻る必要がほとんどない。これは哲学書の翻訳としては異例のことだ。本書のような翻訳スタイルが一般化すれば、日本における哲学への敷居は随分下がるだろう。
哲学とは本来、難解ではあっても、明晰なものだ。そのことを改めて実感させてくれる優れた訳業である。
・「絶版本の新訳!!」
とにかくうれしい!現代教養文庫から中村秀吉訳で出ていたが、手に入りにくかった。私はこの絶版の和訳を片手に原書を読んだが、うまく訳しきれていないところもあったように見受けられる。この新訳では現代哲学の用法の確立されつつある訳語を用いていて、しかもわかりやすい訳となっている。「下手な入門書より・・・」というが、この本は哲学に興味のあるすべての人にとって有益な本である。ぜひご一読あれ!
・「本書は哲学の「ブート・キャンプ」です」
「哲学入門」と銘打つ書籍はあまたあるが、実態は「哲学史」か「説明」が殆ど。本書はテーマについての記述が実際に哲学なるものの実践になっている点がすごい。『数学原理』での記述と、本書の展開は論じられている対象は違っても、思考の手続きは恐らくまったく同じなのだ。哲学を「人生とは・・・」みたいな人生訓と同様に考えている方には、是非本書読んで頂きたい。読むことである種の訓練ができるこれ以上ない「入門」書である。
・「読んでexcitingという保証はしませんが」
優れた哲学の議論というのがどういうものか知るためのいいサンプルとして読める。様々な認識のありかたを丁寧に検討し整理していく論述は平明で訳もいい。ファンにしか通用しないタイプの哲学とは正反対である。ただ、この本を読んでいて、なんだかいまいち、と感じる人がいてもおかしくないし、そういう感想は理解できる。例えばラッセルは、よさ(価値)や数、関係といったものについての理解や判断の成立を、「普遍」の面識(見知り)によって説明する。そういう説明でなるほどと思い、目が見開かれる人はそれでいい。別に間違いとも思わないし、(原著解説者のように)問題点を指摘したいとも思わない。しかし、そういう考え方や語彙によって見えてくるものと見えにくくなるものとどちらが大きいだろうか。例えば特に、感覚に直結しないような言葉(抽象概念や高階述語など)について、人間の歴史の中で使いこなされ鍛えられてきた社会的スキルとしての精妙さが見えにくくなっていると思う(そんな俗流プラグマティズムな観点は最初から却下かもしれないが、現に見えてくるものがずっと魅力的です)。「真理」論についても同様に感じた。訳者解説ではラッセル哲学の「常識や科学を高所から裁断したりしない」現代性を評価している。それは間違いではないが、しかしそれでも(うまく言えないが)哲学は哲学らしくなければならない、あくまでも原理的考察にたずさわるものだというようなある種の不自由さはあるような気がする。最終章「哲学の価値」では、哲学に無縁な人がいかに精神的に貧しいかを強調している所はちょっと反感を感じたが、哲学が精神の自由にとって重要という所は共感した。まあ重要というより、ないのはイヤだという程度の個人的感想ですが。
・「最終章で哲学の存在意義が語られる」
全部で15章からなる。14章まではいろいろなことを言っているようで実は何も言っていないんではないかと思う。だから「なんだかなあ」と思いながら走り読みし、最後の15章でわが意を得たり。いわく、回答を得ることが目的ではない。回答など得られるものではない。重要なのは問いを立てることである。最後の最後で一発大逆転。
・「ポリネシアンセックスへのいざない」
現代人の性愛は欺瞞に満ちている。五木寛之氏もこの点に疑問を持ち,「愛に関する十二章」において多数のページを「チャタレー夫人の恋人」や「エロスと精気」の引用のために与えている。彼はこの本からポリネシアンセックスについて知り大変感銘を受けた様子である。私もこの本は現代の性愛に疑問を投げかける痛快な書と考えている。一見現代の日本人の性は非常に自由にみえる。さまざまなマニュアル的な性情報やいわゆるオタク文化が生み出す歪んだ性の幻想に老若男女がさらされている。そこにあるのは過度に管理されたセックス、ストレス発散のためのセックス、生殖のための味気ないセックス。それには精神的な喜びが欠けている。実はなんともいえない空虚感を得てしまっているのが本音ではないだろうか?性愛は本来そのようなものではないはずだ。著者は現代人の性愛におけるオーガズムへの執着が空虚感の原因であると指摘、そこに欠けているのは精神的かつ肉体的な恍惚感であると強く主張している。
この本は西洋のロマンティックラブ、古代中国やインドにおける性愛観についての考察をユーモラス、時に官能的に展開しながら飽きさせない。すべて簡潔に凝縮され無駄が無い。道教やタントラにおける性の考え方において現代人と根本的に異なる点はオーガズムに頂点を求めないということである。それが男性の性の頂点と考えていた私(女ですが)には衝撃的であった。そして著者は最終的にポリネシアンセックスに基ずく性の技法にたどり着く。それは恋人や自然に対する素朴な愛情に満ちている。現代の性愛に疑問を持ちさまよえる読者にとって最適の書ではないだろうか?
・「これは知っておいたほうがいいかも!」
自分はこれまでずっと、「いかに相手をよくするか」を追求してきましたが、最近では経験を重ねるにつれて「いかに一緒に気持ちよくなるか」が重要なテーマとなってきており、この本で書かれている方法(例えば中国の房中術やインドのカーマ・スートラ、ポリネシアンセックスなど)はとても参考になりました。
本の構成としては、まず性が古今東西でどのような捉えられ方をしてきたかという話があって、具体的な「やり方」の部分は最後に書いてあります。なので、「前置きはいいから早くやり方を知りたい」というせっかちな人は、後ろから読むといいかもしれません(笑)。
一番とっつきやすく実用的だと思われる、ポリネシアンセックスのやり方を簡単に言ってしまうと、「あまりしょっちゅうやらず(4-5日は間隔をあける)、前戯にはたっぷり愛情かけて一時間以上して、挿入後は一体感が出る30分間以上は動かずじっとしている」というものになりますが、実際にこれをやってみると、一般的なピストン運動中心のセックスがとてもガツガツしたものに感じられて、物足りなくなってしまいます。それぐらい、ポリネシアンセックスは満足度が高いものです(もちろん、オルガスムもたっぷり味わえます)。
いわゆる刺激を中心とする「快感」の概念とは少し違う、一体感や愛情を中心とした「恍惚感」をセックスで得たい人にはオススメです。
僕と彼女はこの方法を覚えてからというもの、週末は部屋に閉じこもりっきりです(笑)。
・「セックスレスだった夫との関係に嬉しい変化が現れました ^_^」
結婚して15年、子供なし、お互いに仕事をもち時間があわなくてすれ違いもあり、ふと気がつくとセックスレスの生活に。。。新婚の幸せそうな友人と飲んだ後、バカップルぶりにあてられ、ため息をつきつつフラッとはいった書店で見つけなぜか買ってしまいました。読み始めるとセックスについての知識(いろんな国での歴史とかをからめて)ポリネアンセックスについて語られていました。恋人だった頃の夫と自分を思い出し、ダメもと(笑)かつ、旅の恥はかき捨て!の気合で彼にアプローチすると。。。今では外へ出かける際も手をつなぎ、(ちまたの若い人たちの視線がイタイですが。)車へ乗る際も助手席のドアを開けてくれるほどに溺愛されています。(笑)愛されているという実感のせいか、はたまた営みのせいか、会社でも若い子たちに色っぽいオネエさんと言われるようになりました。至福を求めるアナタにこの本をおすすめします。
・「ポリネシアンセックス」
私はポリネシアンセックスというものをこの本で初めて知り、とても感動しました。そして、ポリネシアンセックスを彼氏とトライしました。これはすごい!神秘的!オルガズムを5、6回も一度のセックスで感じられました。あと、女性にとってとても精神的にも満足でき、彼氏を信頼でき、セックスをとても長い時間、深く楽しむことができました。これは男女とも必読の本!人生がかわります:)。もしあなたが、セックスライフに疑問や飽きを感じている方はぜひポリネシアンセックスを試して見てくださいね。私も以前は愛情を感じられず、オルガズムも感じられず、彼氏とセックスをしたくありませんでした。でも、今はとてもセックスライフをエンジョイしています。
・「ポリネシアンセックス」
文章はちょっと難しく訳されてはいますが、歴史的背景や宗教的見地で性のあり方を追って行く考え方は大変興味深いです。そして読み進むうち、あんなに学術的な文体なのに、実はとても無垢でロマンチックなものが作者の心にあることが見えてきて、この本で紹介されているポリネシアンセックスも、そこが一番大切なことだと訴えているように思えます。
オーガズムは身体のたった一部、性器でのみ感じるものではなく、身体全体で、そして心と共に感じるものです。愛と信頼を実感したふたりが、分かち合う喜びであり、エナジーを交換し合う瞬間なのです。セックスはオーガズムが全てではなく、そしてそれを理解した恋人同士だけが、ポリネシアンセックスに習う心霊現象のような絶頂感を迎え入れることができるのかもしれない、とこの本を読んで思いました。
いまの恋人をもっと好きになって愛し合いたいと思う、そんな本です。
・「国内最高の入門書」
日本のウィトゲンシュタイン研究者の中で、最も信頼にたる人物の一人が著した入門書である。おそらく現在のところ、日本語で読める最高の入門書であろう。ただし、入門書とはいっても、お手軽に読み通せる本ではない。入門書でありながら、読者に対して強靱な思索力を求めているからである。その意味で、本書は本格的な哲学書的性格を有している。また、単なる知的好奇心や社会問題の解決を求めて本書を読もうと思っても、無駄である。著者が書中で、いみじくも述べているように、ウィトゲンシュタインの哲学が、「既成の問題に対する解答」ではないからだ。著者と共にウィトゲンシュタイン的思索を共有したい読者にお勧めの一冊。
・「独特の観点」
ウィトゲンシュタインの思考の変遷をその人生にも触れながら描いていく著作。非常にコンパクトに、うまくまとまっていると思われる。ある種伝記的な色合いを持つ。
しかし問題の中心は著者自身(永井均氏)の問題に帰されるように見える。「私」が「この私」であるのはどうしてか?単なる「独我論」に集約されない、共有されない独我論。そのような問題を提起することに自分で言っていて矛盾を感じるが、この書はウィトゲンシュタインを通して著者永井均氏の問題を訴える書であると私は感じる。この問題自体は非常に面白く、ここから哲学は面白い!と思う人もきっといると思う。著者の読みではこの問題はウィトゲンシュタインが終生抱えていた問題だという。その読みも面白い。
ウィトゲンシュタインの哲学は「語りえず、示される」ものを雄弁に語りたくなる、そんな哲学だ。永井氏を惹きつけてやまないものもそんな一面にあるかもしれない。そして同氏の問題も「語りえない」問題だ。この本を読んでああすごい、と思える人は哲学が向いているかもしれない。そんな知的好奇心を強くくすぐる一冊。
・「「わたし」について考えてる?」
永井氏は「この本は『哲学』の本であって」(ウィトゲンシュタインの)「解説書や概説書では無い」、そして「考えつつ読み、ときに立ち止まって考える、という過程を省略しないでいただきたい」という。まさにその通り! これは哲学の本なのである。そして「ある哲学者と問題を共有したとき」自分自身の哲学が始まるのだ。
永井氏がウィトゲンシュタインと共有した問題とは「わたし」についてだ。もちろん写像や文法、言語ゲームといった思想についても深く触れられている。しかし特筆すべきなのはウィトゲンシュタインの思想の中で、特に独我論と呼ばれるものを自らの問題として共有し、思索を深めていく点だ。だから最高峰のウィトゲンシュタインの入門書といえる。
何より分かりやすく書かれているので、初心者もいつの間にか哲学が身近に感じられる。奥行きもあり、読み返すたびに立ち止まり考えることを余儀なくされる名著だ。
・「変な評ですが」
「はじめに」「序章」そして「おわりに」を読むだけでも価値があります。 本書は「入門書」と名付けられていますが、入門書ではありません。むしろ著者永井均の、ウィトゲンシュタイン読解を通じて自己の哲学を打ち出した書、という位置づけが妥当でしょう。わたくしは、よって、他のレビュアーの方のように、この本を読んで原著に当たりたいという気持ちにはなりませんでした。むしろ、この本から出発してさまざまな諸問題について自ら考えてゆくことを、本書は推奨しているように読めました。 著者のウィトゲンシュタイン理解が正当であるかどうか、ということはあまり問題にはならないような気がします。少なくとも、著者によって呈示されているウィトゲンシュタイン像がとても魅力的であることは事実なのですから。 少なくとも、「独我論」という問題について、独力で思考した経験のある読者であれば、賛同するか否認するかは別として、ここでの意見の呈示に対して、まことに筋の通った、かつ思考の流れとして必然的なものであることは理解できると思います。 永井氏はさいきん流行の哲学者だそうですが、フランス現代思想を偉そうに語るふたむかし前の似非哲学者(今でもその残党はあまた生き残っている)に比べて、ずっと誠実であるという印象を受けました。
・「面白い」
個人的な感想として、哲学の入門書ほど玉石混交のものはなかなかないと思うのですが、本書は哲学には全くの素人のである僕にも理解できただけでなく、「哲学思想の入門書ではなく哲学という学問の入門書を書いた」という著者の狙いは十分達成されていると思います。もちろん、言語と論理の限界、というのテーマについての
ウィットゲンシュタインの考え方の変化も時代を追ってよく説明されています。より深く彼の哲学を勉強したいと思わせる良書です。
・「実用主義の教育論」
本書は、プラグマティズム(実用主義)を発展させた哲学者デューイによって書かれた教育学の古典。戦後の日本教育に多大な影響を与えた。デューイの考える学校と教育のあり方を、具体的な授業内容を紹介しながら、丁寧にまとめている。
学校とは、課業を学ぶための隔離された場所ではなく、生きた社会生活の純粋な一形態を持つ小社会でなければならない。教育は詰め込み型や、児童中心主義の教育ではなく、個人が自分の仕事の中に社会的、科学的な観点から、想像力と意義を見出せるものでなければならない。そうした教育を怠ると、社会に多く存在する歪曲されている部分に鈍感になり、現在の経済的害悪をつきとめることさえままならなくなる。そうなれば、それらの害悪を有効に処理することなど一層不可能である。
・「今の時代にもう一度読み直す価値のアル本」
この本で印象に残るのは、デューイが産業革命による技術革新が教育界に変化を及ぼすと指摘したこと、もう1つは「総合学習」の実験はすでに当時において行われていたことである。現代の日本において、もう一度検証する価値のある一冊だろう。
・「教育原理」
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・「教育学の古典足りうる1冊」
プラグマティズムの集大成者で教育理論家でもあったジョン・デューイが、シカゴ大学に併設された小学校で、教育実験をしながら、執筆されたのが本書である。既に1世紀以上昔の話だが、中身は未だに古びず、10年近く前にわが国の文部省が推進し始めた「総合教育」の意図も説明されている。教育の目的を受益者から逆に読めば、「不易」な観点で目標を設定できよう。これを忘れる限り、教育政策は画餅となる。戦後の教育政策は死屍累々のはずだが、官僚や政治家が無知なので自覚がない。数十年以内にノーベル賞受賞者数十名などという愚かしい目標を掲げること自体、無知無教養を曝け出している。教育など語る資格はない。そうした愚考を食い止めるために1世紀以上昔に実験され、集大成された実践的教育論。デューイらしく緻密な描写と記述が教育と社会との距離感を精確に描いていて、素晴らしい。教育学の古典足りうる1冊。
・「納得の主張」
古典ながら、今尚実践されようともしていなかったのではないかと思えるほど、現代の教育を受けた者としては、唖然とした。つまり、現代教育の理想としてそのまま通用すると素直に思えるからである。本書を読むと、一体教育者は何をやっているのかと遅ればせながら思う。それほどに、本書の確信をつく主張は曲げることができないものなのであろう。 内容に至っては、極めてシンプルであり、小難しいところはほとんどない。 見ようによっては、自己啓発書としても通用するのではないだろうか。もちろん、その際は現代教育の実体、在り方に失望することとセットだが。 このように、思うと学校という教育の現場もいかに社会の大人の縮図たる、学校外の権力意識、に追従して成立していたのだろうことが思いやられる。 いずれにしても、本書を読むことを通して、新しい自分の教師像が浮かぶような気がした。
・「なんだか気分が優れない時。」
なんだか気分が優れない時。悩みが絶えない時。なんだか心が重たい時。すごくすごくつらいとき。
本書を紐解けば、きっと心がほぐれてきます。私がそうでした。きれいごとじゃないんです。それが真実なんです。生きるってすばらしい。人のために生きるってすばらしい。そんな本です。
・「良書」
自伝なので、ホッファーの半生が語られるわけだが、この本では座右の銘にしてしまいたいような素敵な言葉が並ぶ。特に気に入っているのは、”希望よりは勇気”の章である。つまらないことにこだわるなあ、と思いながら読んでいると、最後の文章、”自己欺瞞なくして希望はないが、..."では、身が震えるほど感動した。
また、ホッファーは”弱者の演じる特異な役割こそ、人類に独自性を与えている”と言う。どこかの国で「勝ち組」、「負け組」と言って喜んでいる人々のなんとあさましいことか。
・「本当に「好きになる」ことについて」
ホッファーの生涯は、肉体労働と勉学の日々だった。米国では、労働と芸術の日々を送ったヘンリーダガーなどは有名だけれども、彼等から学んだことは、本当に何かを好きになることの意味だった。例えば小説家になりたいと思うのは、有名になりたいからではなく、小説を書きたいからなのだ、という当たり前の論理を、彼等は体言している。その生涯は、ゴッホの自殺を思い出すまでもなく、「幸福」とは言えないかもしれない。それでもある人は書き、描き、歌い、演じる。この底力を、生命力を、本書から強く感じた。
・「やさしい日の光を浴びているかのような」
エリック・ホッファーがどういう人だったかは、前のレビュアーの方々により語り尽くされているので、今更私が付け加えることは何もない。とにかくひとりでも多くの方々に読んでいただきたい。かつて、こういう人がいた、ということを知るだけでも、人間というものはまだまだ信じるに足る何者かなのだと、本気でそう思わせてくれる、そんな一冊である。こんな風に人生をおくることができるなら、どんなにか素晴らしいだろうと思う。無理だと思うけど。
・「自由な魂と勇気」
何て自由な人なのだろう。資本家のような持てる者よりも季節労働者の彼は心安らかであるが、自分のほうが社会システムの中では安定していることを知っている。何にもましてそれが彼に必要な独学、読書に集中するライフスタイルを与えてくれる。人により人生の優先順位は異なるが、彼はその順番が明確で本能のような欲求に従って生きている。そして彼の探究の姿勢は、あくまで純粋なのである。加えてそれを貫く勇気がある。
そう、勇気があれば、土地を耕し国を興すこともできる。逆に希望だけで勇気がなければ、そこに至ることはできない。自己欺瞞による希望と勇気の話にははっとさせられたが、ホッファーを諭すためにゲーテを引用する人、モンテーニュに聞き入る彼の仲間、なんと市井には哲人が溢れていたことか!
・「今、日本にある現実」
私は日本最大の日雇労働市場、大阪市西成区にある愛隣地区でホームレスの人々にかかわる仕事をしています。ホッファーのいう季節労働者が、まさに目の前にいるのです。職場の玄関で大小便を垂れ流す人、泥酔する人、時には死んでしまう人…。かれらに思索はあったのだろうか。でも、現実に存在する能力の差異。身につまされて、多くのことを考えさせられました。
・「ジャーナリストが描く思想」
ジャーナリストが思想を描くとこうなるのか。まれに見る本だ。漱石の「こころ」の英訳が生まれる背景にあった思想史のドラマを描くエピローグは白眉だ。ハイエクと江藤淳が、不思議な縁でつながっていく。そのドラマを読むと、思想のグローバルな動きに粛然とさせられる。
・「多様な現代米国思想をジャーナリストの眼で描いた好著」
試みにリベラルという言葉を広辞苑で引いてみると自由主義的あるいは自由主義者となっている。従来の日本語の感覚からいうと自由を重んじて政治的には統制経済に反対の立場に立つ人物がリベラリストとなるが、どうも違うらしい。米国政治は共和党と民主党の2大政党制といわれる。共和党は保守政党であってネオコンとはそれが先鋭化したものとして日本でも揶揄される傾向があるが、そう簡単なものではないらしい。また民主党はリベラルといわれるが、ハイエク流の自由主義を指向しているわけではなく、著者は誤解を避けるためリベラル(進歩派)としている。これらのことは米国政治や思想に詳しい人にとっては自明のことなのかもしれないが、素人にとっては理解のために有難い。著者はジャーナリストであり直接、思想家に会って取材をする強みがあり説得力を増している。
米国ではエドマンド・バークの保守思想を継承する思想家が戦後のラッセル・カークまで現われなかったのは意外であった。ネオコンの出自についても興味深い事実が語られる。そして米国ではどのような態度を取るにせよ、宗教(キリスト教)と思想は切り離すことができないことが実感される。確かに現代の米国の(政治)思想は多様であり、また同じ思想家においても変化して止まない。そしてサブプライム問題を契機とする世界的な金融崩壊の脅威の中から今後、米国でどのような思想が生まれてくるのであろうか? 著者には是非、フォローしてもらいたいものである。
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