21世紀の歴史――未来の人類から見た世界 (詳細)
ジャック・アタリ(著), 林 昌宏(翻訳)
方法序説 (岩波文庫) (詳細)
デカルト(著), Ren´e Descartes(原著), 谷川 多佳子(翻訳)
「デカルトとのかいごう・・・我思う故に我あり・・・とは?(;'Д`)ハァハァ」「近代学問の考え方の原点がここにある。」「哲学は、涙をこらえるくらいに、むずかしい」「野田訳と並ぶ名訳、しかし・・・」「我思う故に我在り」
パンセ (中公文庫) (詳細)
パスカル(著)
「宇宙の永遠の沈黙は私を畏怖させる!」「好きだ!」「銀座のバー、パンセは哲学する場所か?」「生涯、心に残る本」「死を想え」
社会契約論 (岩波文庫) (詳細)
J.J. ルソー(著), 桑原 武夫(翻訳), 前川 貞次郎(翻訳)
「素晴らしい訳と解説」「政治学を学ぶ人は」「独裁容認の書」「冷静に。」「非常に危険な書物」
レヴィ=ストロース入門 (ちくま新書) (詳細)
小田 亮(著)
「新書ながら読みごたえのある本」「現代のレヴィ=ストロース入門書」「レヴィ=ストロースの読み方」「目からうろこ」「これであなたも構造主義がわかる!?」
フーコー入門 (ちくま新書) (詳細)
中山 元(著)
「フーコーの全体像を見渡す。」「中山元だからこそ書けたフーコー」「とてもわかりやすいです」「は?」「フーコーははじめて♪という人用」
レヴィ=ストロースの庭 (詳細)
港 千尋(著)
幸福論 (集英社文庫) (詳細)
アラン(著), Alain(原著), 白井 健三郎(翻訳)
「アランの表情」「救われる」「真の幸福論」「オススメ」
幸福論 (岩波文庫) (詳細)
アラン(著), Alain(原著), 神谷 幹夫(翻訳)
「翻訳がどうも」「活動の苦痛こそ幸福であると」「ヨーロッパの常識」「僕がこれまで読んだ本の中で間違いなくベスト5に入ります」「即効性があります」
エミール〈上〉 (岩波文庫) (詳細)
ルソー(著), 今野 一雄(翻訳)
「エミールは現代人にとっても座右の銘だ」「名著にちがいないが・・・」「教育論」「教育学を読むなら」「ルソーの幼年から少年までの教育論」
・「デカルトとのかいごう・・・我思う故に我あり・・・とは?(;'Д`)ハァハァ」
(;'Д`)ハァハァ おいらは夢の中で デカルトと出会ったことがある。そいつは親しそうに ホッカルさんに話しかけてきやがった。「なぁ、君、方法序説を読んでくれたかい?」おいらは その時、読んでなかったので「何のことだ?」「読んでくれ。君なら理解できるだろう」
おいらはその後、図書館で方法序説を読んでいった…。なるほど…。我思うゆえに我あり…か…。思い込む事によって デカルトというのは存在する…。だから、おいらの夢に現れたんだな…。あの亡者め…っ?!おいらが本を読んでから3ヶ月後、またデカルトが現れた。「よう。ホッカル。本を読んでくれたか?」「ああ読んだよ。いささか古臭かったが、当時の知識人レベルとしては上々の出来だったよ」「そいつぁ手厳しいな…。さあて 感想を聞かせてくれ」
「デカルトは デカルトの存在を思う事によって存在する…。おいらがおまいの存在を思ったから おまいはそこに存在した。それがおまいの能力だ。おまいを思わなければ おまいは消える」
デカルトは「くっくくく」と言いながら消えていった。今度は 別の若者を探していることだらう。それ以来、デカルトの姿は見ていない。おいらがつくりだした幻影だったのか…。本物の哲学者だったのか。今となっては 誰にも分からない…。だが、デカルトの書いた著作は偉大であった…。そう感じずにはいられない。
・「近代学問の考え方の原点がここにある。」
この本は今から370年ほど前に著されたものですが、近代学問思想の原点が示されている古典です。 もともと、当時のいわば先端科学技術に関する主著である「屈折光学」「気象学」「幾何学」の序として著されたもので、デカルト自身が、「この序説が長すぎて一気に読みきれないといけないから六部に分けてある(そんなに長いとは思えないのですが)」、と書いてあるほどですから、何が書かれているかは比較的容易に理解できます。 しかし、その内容は、広く「何が真理で何が偽物なのか」について考えるための思想書で、その中身は、近代哲学の原点を含んでいるともいえると思います。 本書の性格上、デカルト思想のダイジェスト的なものですので、その思想をさらに深く理解するには、或は、書かれていることの根拠を知ろうと思えば、「省察」などデカルトの別の著書を読む必要があると思います。 例えば、数学を用いて物理学を研究すると何故真理に到達しうるのか、とか、何故(誠実な)神が存在すると信じるのか、とか、諸々ですが、その場合においても、結局デカルトは何がいいたかったのか、或は逆に、そう考えようと思ったのは何故なのかを知るための、ガイダンスとしても役立つと思います。
・「哲学は、涙をこらえるくらいに、むずかしい」
ウィトゲンシュタインは、哲学のむずかしさを「何かを断念する困難さ」だと言っている。彼のことばでいえば、「哲学は、涙をこらえたり、怒りをこらえたりするのと同じくらい」むずかしい。
そしてこれは哲学書の「難解さ」とはてんで別の話だ。何故哲学書が「解り難い」かといえば(実に多い日本語未満の翻訳を別にすれば)、他の哲学書をやっつけようとするからだ。そのために自分以前の哲学の要約や曲解、批判や中傷を、哲学書の中に組み込むことになり、うじゃうじゃと入り組んだものになってしまうのだ。
西洋の中世あたりには、「自分以前の哲学」は、「問題」の形になっていた。あらかじめ「問題」が用意されていて、これらの「問題」を考えることだけが、本当に考えること(哲学すること)とされていた。デカルトはそんなことはやらなかった。そうすることが「哲学すること」だとしたら、そんな哲学を「つづける」ことなどデカルトはしなかった。デカルトがやったのは、「つづける」こととは反対に、「はじめからはじめる」ことだった。 彼は問題についての思考なんかでなく、自分がどうやって「本当に考えること」をはじめたか、どうやって「はじめる」に至ったかを書いた。「どうやったか」が彼の哲学であり、それ故にこの書には「方法」の名が与えられるだろう。
デカルトの「方法」は「難解」ではない。そして同時にそれは涙をこらえるとの同じくらいに「むずかしい」。なんとなれば、デカルトの懐疑は、「はじまり」にまで一旦立ち戻るために、うざったい伝統的哲学はおろか日頃親しみ慣れたものごとについてまで、不断の断念を(それは同時に決断でもある)を要求するからだ。
・「野田訳と並ぶ名訳、しかし・・・」
坪内、福田、小田島、松岡、河合など、連綿と続くシェイクスピアの名訳に比べて、哲学書には名訳が少なかった。長谷川訳ヘーゲルの登場などで事態は少し変わりつつあるが、デカルト『序説』の野田又夫訳もまた稀有の名訳である。そこに、歯切れの良い日本語で新たに谷川訳が加わった。谷川訳は、口語脈が加味されており、我々の日常の言葉遣いに近い。『序説』は、『省察』や『情念論』に比べて、一般読者を想定しているから、これは歓迎すべき事態である。が、問題がないわけではない。それは、我々自身にぴったりくる日本語自体が変化したために、日本語の「腰が弱くなった」という一面である。谷川訳は、「こんな」「たぶん」等の口語の他に、「ことだ」「ほどだ」「からだ」のように「・・だ」を多用する。しかし一定のまとまりの後には、当然、座りのよい「である」が来て、書き言葉と語り言葉が混在する。これは我々の感覚にぴったり来るだけ、その分「ねばり」が失われる。
有名なle grand livre du mondeの一節を比べよう。「こういうわけで私は、成年に達して自分の先生たちの手から解放されるやいなや、書物の学問をまったく捨てたのである。そして、私自身のうちに見いだされる学問、あるいはまた世間という大きな書物のうちに見いだされる学問のほかは、もはやいかなる学問も求めまいと決心して・・」(野田訳)。「以上の理由で、わたしは教師たちへの従属から解放されるとすぐに、文字による学問[人文学]を放棄してしまった。そしてこれからは、わたし自身のうちに、あるいは世界という大きな書物のうちに見つかるかもしれない学問だけを探究しようと決心し・・」(谷川訳)。谷川の「世界という大きな書物」という訳は素晴らしい。が、文の流麗さという点では野田訳か。
・「我思う故に我在り」
「我思う故に我在り」は、あらゆるものを疑ったとして、その疑っている自分自身を否定することができないものとして残ったという消去法的な考え方だと理解しています。それ以来、この考えを超える考えに至っていません。ただし、天上天下唯我独尊と何が違うかは解っていません。きっと、デカルトを批判している人の書物を読まないと、超えられないのかもしれません。哲学が専門ではないので、とても超えられません。
・「宇宙の永遠の沈黙は私を畏怖させる!」
パスカルは周知の通り「パスカルの法則」でも有名な科学者。有名な「考える葦」を含む文章や「幾何学の精神vs繊細の精神」「人間の偉大と悲惨」など、魅力的な考察が満ち溢れている。ーーこの大宇宙の中で私はなんと小さな存在であることか。私を殺すために宇宙が武装する必要はない。水の一滴で足りる。けれでもその水の一滴に右往左往する私は、私とこの大宇宙の関係について思いを馳せることができる。「考える葦」である私はまた、自分が「風にそよぐ葦」であることを知っている。ーー
たまたまこの本を読み返していて、驚いたことがある。自分の頭で考えたつもりの多くのことがこの本の中に書かれていたのだ。似たようなことを太宰治でも経験した。そのとき私は、自分で思っていた以上に太宰治に影響されていたことを知って、愕然とした。
科学者たちの中には、天才的な科学者の彼がこんな本のために時間を割いたことを残念がる声もある。科学の眼で見れば、思想哲学なんて文学的趣味の延長でしかないのだろう。でも、パスカルがこれを書いておいてくれなければ、その後の思想界が随分ちがったものになっていた可能性は否定できないだろう。
・「好きだ!」
絶対的に磐石なものなどなく、全ては不安の中で移ろっていく。しかし、それは悪いことではない。誰がどこで何をどのように考えているのか、それは思いも付かない。だからこそ、そのことを念頭においておくべきなのだ。それは思い遣りである。それは優しさである。
パスカルは周知の通り、数学者でもある。全てが不安定だからと言って、そこで全てを投げ出してはいけない。スコラ哲学のような神学的秩序を作るのも面白い。それが絶対ではなく、相対的で不安定でも構わない。それはそれで面白い。面白いと思った感情は、それはそれで立派なものである。私はパスカルを読んで、面白いと思う。
パスカル、シェイクスピア、セルバンテスは近代の本質を、それぞれ表していると思う。そして、彼等のことを思うと、私は日本の世阿弥を思い出す。世阿弥もお勧めです。
・「銀座のバー、パンセは哲学する場所か?」
科学と宗教的真理が同居していた時代の頭脳のツブヤキ。背景も素敵。
1623 パスカル誕生日本で桂離宮が建設されたり、長崎出島&島原の乱が起こっている江戸初期。ヨーロッパではガリレイが地動説を唱え、ベラスケスやレンブラントが写実美を競い、三銃士がルイ14世やらリシュリューと戯れ、アメリカではハーバード大学が創始されたころ、日本では
伊勢参りが流行。学校には一度も行かず、父親が英才教育。1640 17歳でパスカルの定理発表。7年後24歳で真空の定理を発表するころ、日本では三味線、日本画が発達。科学の追及とピューリタン革命、魔女狩りへと続く宗教対科学の戦い、近代への足取り、市民階級の誕生といった
世界史の流れから浮き上がり、独自の進化を遂げた日本の江戸時代をも意識させる時代。1662年 39歳で死亡。幾何学に与えたその影響に感嘆しつつ、科学の言葉をしゃべる人間と、一般、宗教の言葉を操る人間と一般をつぶやくようにつづる文体に愛着と友情のようなものを感じる。
・「生涯、心に残る本」
17才くらいのときかな、初めて拾い読みした。読みにくいところは飛ばして、おそらく半分くらい読んだと思う。そのあとも、おそらく通読はしたことがないと思うけど、いつまでも心に残る本であり、折に触れてパスカルの名言が脳裏に去来する。どこから読み始めてもいいし、拾い読みしかしなくてもいい。断片の文章を集めただけのものだ。でも、どれもこれも名言。
・「死を想え」
「人間は考える葦である」とのあまりに有名なフレーズは、その前後を知ることで、感動を果てしなく増幅させる。パスカルのことばにしばし耳を傾けてみよう。 曰く、「人間は一本の葦でしかない、自然の中で最も弱く、しかし、考える葦である。……宇宙が人間を押しつぶそうとも、人間はなお己を殺すものよりも高貴なものであり続けるだろう。なぜなら、人間は己が死することを、そして、宇宙が人間に勝るということを知っているから。宇宙は何も知らない」。
読みどころはそれだけではない。「パスカルの賭け」なるあの議論が披露されるのもこのテキスト。自然natureとはすなわち人為に他ならぬとの洞察は見事。ページをそれとなくめくれば、あまりに端的で、あまりに鋭いアフォリズムがそこかしこに鏤められている。
死を想え Memento mori。 狂気と天才は紙一重、ということばはパスカルにこそふさわしい。鮮血の苦悩を注ぎつつ、愚直なまでに知を以って、己を切り裂き駆け抜けた生涯、宇宙に対する優越を謳う、まさにその知を以って。 そんな胸の詰まるまでの苦悩、孤独、儚い希望が凝縮された感動的な名著。
・「素晴らしい訳と解説」
ルソーは、人権、平等という意識を向上させたという正の面と、フランス革命の恐怖政治を生み出したという負の面を併せ持ったアンビバレントな存在です。ただし、リベラル、保守と立場によって、賛成、反対と分かれることはあっても、とりあえず必読の書であることは間違いないでしょう。
ちなみに、この本の訳はすばらしいです。口語調の極めて自然な日本語で書かれているので、翻訳を読んでいるという気がしません。ルソーが日本語で語りかけて来るみたいです。(ルソーに関する事前知識が全くない私でも、すっと入っていけました。)
それから、巻末の解説も充実しています。『人間不平等起源論』、『エミール』などのほかのルソーの著作と本書の関係、ルソーの思想遍歴、他の社会契約論の思想家との比較、本書の各章の説明と、必要なことはすべて網羅されている感じです。
下手なルソーの入門書を読むよりも、まずこの本の解説を読んで、それから本文を読んだ方が、ルソーを理解する早道のような気がします。
値段も安いし、これはかなりおすすめですね。(ルソーの本なんか読んでいたら、かっこいいし。)
・「政治学を学ぶ人は」
政治学やっている人は絶対必読文献です。
「人間は自由なものとして生まれた、しかもいたるところで鎖につながれている。自分が他人の主人であると思っているようなものも、実はその人々以上に奴隷なのだ。」(本書、p.15)
上記はあまりにも有名な第1章の冒頭文。大学に入って政治学がとりあえず専門だけど、政治学ってあんまり面白くないかな、
なんて思っている人こそ読んでみて下さい。難しかったり、好き嫌いが分かれたりしますが、本書は、政治学の危険な魅力にあふれた本です。
・「独裁容認の書」
大学時代に読んでとても自由と民主主義、庶民の幸福を願っているとは思えなかった。それまで学校などで刷り込まれていたイメージとは全く異なると感じた。10数年たって読み直したが、其の確信は益々深まるばかりでルソーが貧困な知性の反面、雄弁であることを感じさせた。この論が実現すれば正に「隷属への道」を歩むだけ、立法者が民衆の主(あるじ)となる民主と惟う。
・「冷静に。」
本書で一般意思の無謬性を説いたことをもって、ルソーこそ全体主義の源流だと評する人もいる。しかし、ルソーは一般意思は公共の利害に関ることにしか及ばないと明言しており、人間の生活領域をパブリックなものとプライベートなものに分割し、国家の介入を前者に限定するというリベラリズムの基本理念は本書でも保たれている。
また、本書で民主政は神々には適しても人間には適さないと説いたことをもって、ルソーにアンチ民主主義のレッテルを貼る人もいる。しかし、ルソーが本書で言う民主政とは直接民主制のことであって、今日で言うところの議会制民主主義は「選挙制貴族政」と分類されているのである。
全体に、叙述がロジックよりもレトリックに流れているのは否定できず、そのことが様々な誤解を生む原因にもなっているのだと思う。書かれていることを冷静に読み取るようにしたい。
なお、本書でルソーは、主権の担い手である団体としての国民を「主権者」と呼び、統治の客体となる個々の国民を「臣民」と呼んで区別したが、この区別は今日でも有用だ。自分は国民である以上主権者で、従って国家に対して無限に要求できると本気で信じている人がこの国には少なからずいるからだ。
翻訳は、中公クラシック版が比較的読みやすい。
・「非常に危険な書物」
社会契約論はじめルソーの思想はフランス革命、による恐怖政治、国家という意識のなった大衆にパトリオット即ち愛国者という概念を与えナポレオン戦争を経てイデオロギーなる者を生み出す源泉ともなった。ルソーの思想はナショナリズム、困窮する大衆を抑圧する原理主義的ブルジョア自由主義、その不満から生まれた社会主義(共産主義、アナーキズムの萌芽も含まれている。両者に基本的相違はない。)アンシャンレジーム旧体制派が時代の変化でみずからの失地回復と保身を図る為にブルジョア自由主義者もしくは社会主義者と手を結んで生まれた保守主義そしてナショナリズムと社会主義の結合から生まれたファシズムの源泉ともなりそのために進歩と引き換えに多くの革命、戦争による流血が生まれその流血はルソーの理想を実現しようとしたフランス革命以前の比ではない。ルソーの貢献を認めるのにやぶさかではないがバークの「フランス革命の省察」、トックヴィルの著作も批判的に併読する事をお勧めしたい。
・「新書ながら読みごたえのある本」
意外とレヴィ=ストロースについて専門的に扱っている本は少ない。その中で著者はポストモダニスト達の批判や、カルチュラルスタディーズ、ポストコロニアル論などをよく吟味したあとで、うまくレヴィ=ストロースの構造主義を現代的な視点で捉えている。この本を読めば、とても姿勢としての構造主義が古いとは言えまい。
ただ、いかにしてそのような構造概念を現代の社会の分析手法としていかすべきか、それはわからないままではあり、今後の課題ではある。いずれにせよ、レヴィ=ストロースの入門書として言えば、新書ながら読みごたえのある本であると思う。
・「現代のレヴィ=ストロース入門書」
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・「レヴィ=ストロースの読み方」
レヴィ=ストロースの筆者なりの読み方が紹介されてます。そもそも「構造」とは何か、そして「親族の基本構造」「野生の思考」「神話理論」を中心に、その本で述べられていることの概要、何を言いたいのか、の筆者なりの考え、いろいろな人の批判に答える形で、読み方の紹介、解釈の紹介などです。
素人です。完全に理解できたかは??ですが、文章、説明の方法、構成などのためか、この本自体は、わかりやすい方ではないでしょうか。原典にチャレンジする気力がわいてくる本でした。
・「目からうろこ」
読者にとって分からないだろうと思われるところをしっかり押さえて、きちんと分かりやすく説明してくれている本。特に、「構造主義」の定義については非常に分かりやすかった。構造主義に関する本を既に二冊読んでいたにもかかわらず良く分からなかったことが手際よく説明されていたので、ホント、目からうろこだった。それに、レヴィストロースに関する誤解などについても、ちゃんと、誰がどういうことについてどんなことを言っており、それがどういうふうにずれた批判となっているのかなどと、しっかりと着実、客観的に論が展開されているので、説得力がある。
・「これであなたも構造主義がわかる!?」
わりと珍しいレヴィ・ストロースを専門に扱った本(他には「現代思想の冒険者たち」シリーズぐらいか)。レヴィストロースの思想のうち、誤解の多い点、わかりにくい点がきちんと書かれており、読みやすい。
特に漠然としたイメージのままあふれかえっている「構造」がきちんと説明されているのはうれしい。「構造」とは、体系や関係ではなくて、体系にある変換を行っても不変であるものを指している。これを、本書では魚の絵を伸び縮みさせて説明しているが、非常にわかりやすい。
もう少し難しく言えば、例えば1次変換ならば直線は直線に移るため、これは1次変換においては構造である。しかし、反転ならば(中心を通らない)直線は円に移るため、「直線は直線のまま普遍である」という規則は反転においては成り立たない。このように、変換と構造はセットなのである。
それにしても、レヴィ・ストロースは数学的な事柄に詳しい。他にも、例えば親族の基本構造の説明でクラインの四元群を用いている。これは、他のポストモダニストが数学や科学を濫用し、ソーカルに痛烈に批判されていたことを思えば、レヴィ・ストロースの知見の正確さは驚く。
レヴィ・ストロースの本をちゃんと読んでみようかな、という気を起こさせる本でもある。彼の本に取り掛かる前に軽く読んでおくのもいいと思われる。
・「フーコーの全体像を見渡す。」
フーコーの人となりから、どのようにして彼がみずからの哲学を形成していったのかが、客観的に理解できる。フーコーという人物が自然発生的に突如として現れたのではなく、現れるべくして現れたというように納得させられる。さまざまな近代学問の発生状況、近代的「人間」の構造的説明などとても分かりやすい。もっとも印象に残ったのは「近代国家と司牧者権力」の章である。魂の救済という建前の下、実際に行われるのはひつじたち(信者)をみずからの支配下に置くということである。そして、そのことに司牧者は気がついていない。このような状況は日常生活のあらゆる場面で見受けられる。例えば「私利私欲を捨て」がんばるような人である。これは他人たいし権力を振るうやりかたである。日常生活にあふれるこのような、無意識の権力のやり取りをやさしく理解させてくれる。
・「中山元だからこそ書けたフーコー」
長年フーコーの原著に触れ、講義録の日本語訳を公開してきた中山元であるからこそなしえた、フーコーの入門書としては決定的な本だと思います。時に論理的な展開の軌跡を読みとりにくいフーコーの思想の全貌を、時を追いながら、順番にわかりやすく解説した本として、他の入門書にはない思想としての連続性をつよく意識させる仕上がりになっていると思います。フーコーが何を考えたのか、ではなく、どのように考えていったかを知ることの出来る画期的な入門書だと思いました。
・「とてもわかりやすいです」
哲学書は、入門書と謳っていても、たいていとても専門的で素人には難しいもので、いつも困っていました。哲学という響きがかっこよくて、憧れ一心だけでどうしても勉強したいなと思う私のような輩には、一ページ目を開いただけで、出直して来いの張り手打ちのごとき専門用語の羅列!けれど、この方の本はとても分かりやすいです。知的にわくわくしてとんとん読めます。かといって、雑学っぽい軽いものでは、決してないのがすごいですね。内容が濃くて、わかりやすい、両方を兼ね備えるのは難しいことだと思うので、本当にこの本は、すごいと思います。
・「は?」
フーコ的な枠組みが役に立つか、無用の産物にするかは本人したいでしょ。この系統の書物をオレが読んで役立たたなかったんだから、キミタチが読んでもどうせ不毛だよ、なんて吹聴する人、こういう奴周りにいませんか?こういう方こそ信用おけないし、たちが悪いんです。フーコーはいまでも生きてます。
・「フーコーははじめて♪という人用」
フーコーの人となり、作品や思想の概要がわかります。入門書としてはオススメ。フーコーの思想じたい面白いので、これを読んでさらに彼自身の著作を読んでみたいと惹かれること必須でしょう。
・「アランの表情」
中学の頃に何十回も読み返したのを覚えています。アランの晩年の、なんとも言えないやさしい表情を見ると、彼自身が幸福論を実生活で実践していたことがわかります。「悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する。」アランの哲学からは常に力強い意志が感じられて、パワーが出てくるので、時々読み返してその言葉を味わっています。
枕もとに一冊どうぞ!
・「救われる」
良い。幸福なんざ、ドブに捨てちまえ、と思う者でも感化された。結局のところ、人間てのは考えるからいけないのですね。行動しなきゃ、ということです。戦争は暇人のすることだ、とかの過激な発言も良い。優柔不断についての考察も興味深い。論理的に考えて行動すると、後で必ず後悔する。しかし、逆に何も考えないで行動すると、後悔することはない。なぜなら後悔する対象となる理論が自分の行動にはなくなるからだ、との言葉も一考に価する。もちろん、考えなかった後悔はあるだろうが。怒っている人、不機嫌な人は、暇人だからだ、と歯切れよくばっさり余人を斬る。ともあれ、ブルーに陥っているひとは一読あれ。
・「真の幸福論」
わたしはこの手の本はたくさん持っていましたの
で、ひやかし程度に読みましたが。
読んでる内におもしろい感覚と、遅い出会いに
対する後悔に出会いました。
現実を楽しめる最大の寄与的な本です。
・「オススメ」
訳本なので細かい所は分かりにくかったりしますが、そんなに難しい事は書いてありません。古いものでは100年以上前に書かれたものもありますが、同じ人間として理解できるものばかりです。1つの話が2,3ページなので、時間がない時でも読みやすいです。考え込むより行動する事、あくびや体操の重要性が書かれています。他の方のレビューにもあるように、中学生でも読める(できれば高校生以上)、読んで損なしの名著です。
・「翻訳がどうも」
アランは素晴らしいんです。しかしこの訳どうも変。例えば124ページ「注意すべきは、体操の教師のように全身運動でもって、意志的に感情を変えるべきなのに、意志のようなものをもち出して自分の感情を隠してしまうことだ」。意志によって何々すべき時に意志によってそれをしない危険とは、どういう危険なのか、わたしには分りません。数人の知人も分りませんでした。原文をみました。Chose a remarquer, on emploie une espece de volonte a cacher des sentiments, au lieu de les changer par volonte, en se mouvant tout, comme un gymnaste.誤訳とはいえないかもしれませんね。問題は「意志のようなもの」という日本語。「意志まがい」「意志もどき」の意なら間違いではないことになります。しかし「意志などというもの」「意志なんて筋違いなもの」と、この日本文の勢いからは受け取られてしまうのではないでしょうか。私はそううけとって躓きました。「意志ごときを」「意志のごときものを」と文語にすれば第二の意味しかありません。une espece de のニュアンスだけでなく文の構造からも原文だと両者の差異はクリアです。Traduttore Traditoreとはよくいったものです。アランは星5つ。でも編集者はなにをしてたのでしょう?同じページでaffectionもsentimentも「感情」だったりhypocrisieは素直に「偽善」のほうがよく分るのに「欺瞞」だったり、読み手の身になってほしいものです。
・「活動の苦痛こそ幸福であると」
私はこの本を大学生時代に友人が持っていた文庫本で拾い読みしただけで、日記に次のような感想を記している。それだけ、本書は分かりやすく、また魅力的だったのである。 『著者の幸福観を一言でいえば、「幸福の度合いは生活に対する意志の支配度に比例する」ということになろうか。活動のない平静状態より、活動のための苦痛の方がずっと幸福だ、という意味のことが書かれていたが、この言葉には、「ジャン・クリストフ」中の「死んだ真理よりも、真理を求めて懸命にうごめく誤謬の方がはるかによい」という言葉と共通する精神がある。その精神とは、生の本質を希求し、それを尊ぶ心であろう。』 友人が持っていたのは岩波版ではなかったようだが、いま、この本が岩波文庫に入っているのは嬉しい。上記の感想が、若い方々をこの本にひきつけるならば幸いである。
・「ヨーロッパの常識」
よき教師であり、よき学者であるアランの優しい眼差し。人生論集より弱い気もするが、古ぼけない心の言葉に、解説の必要も無いくらいだ。
・「僕がこれまで読んだ本の中で間違いなくベスト5に入ります」
僕がこれまで読んだ本の中で間違いなくベスト5に入ります。日々の生活を楽しくものにするための、心も持ち方についてのヒント、知恵がどのページにも含まれています。とても簡明な文で書かれているのにとても新鮮。アランは、人間観察の天才です。解説によると誰かが「この世でもっとも美しい本」と呼んだらしいです。私も賛成です.この本より美しい本を知りません。
僕は30台中盤になって読みました。この本を10代で読んでいたら、また違った読み方になって、その後の僕の生き方も違ったものになったと思います。いずれにしても、アラン、訳者の神谷幹夫さん、出版社に感謝します。
印象に残った文を少し挙げます。「望んでいるものは何でも、人を待っている山のようなもので、取り逃がすこともない。しかし、よじ登らなければならない。」「どんな小さな努力でも、それをすることで、無限の結果が生まれてくる。」「悲しみとはけっして高貴なものでもなければ、美しいものでも有益なものでもないと考えることから始めよう。」
・「即効性があります」
論文と言うよりもエッセイに近い感じで、それゆえに少し馬鹿にしていた部分もあったのですが、読んでみるとすごくいい。だいたい哲学で論じてあることって、その本を手にしたときに期待したものと、著者の論理に引きずられ読み終わったときに感じたこととは、ひらきがあって、騙されたような気分になることもわりとあるんですが、この本はそんなことはない。直球勝負で、人生がすこし楽になる方法が具体的に語られています。あくびをして体に空気を入れること、身体を動かすこと、など、本当につらいときにやったらいいことが書いてあります。
・「エミールは現代人にとっても座右の銘だ」
ルソーはフランス革命前夜の啓蒙思想家といわれている。この本はエミールという架空(自分?)の少年を育てる教育論という形で著されているが、実は立派な哲学書であり、人生論であり、自然科学書なのである。「人間よ、人間であれ」と、自然に育てられることの重要性を述べている。個人的には、ルソーは医者ぎらいで「医者はペテン師だ」というくだりは面白かった。20年かけて著されたものでやや脈絡をつかみにくいが、文体はそれほど難解でなく、むしろ美しい自然描写もあいまって不朽の名著といえる。ルソー自身は幼い頃父親を失ったのであるが、少年の心の動きをこれほどまでにとらえている瑞々しさは永遠のものである。純粋な心を失いかけている現代のオトナにこそ、原点としてお勧めしたい。
・「名著にちがいないが・・・」
ルソーの哲学、理想、格言などを期待してこの本を買って読んでみたのだが、役者の前書きにあるようにいそがしい毎日をすごしているあなたにぜひお読みください、とは言いにくい。興味深く現在に通じるところも数多くあるが、田舎暮らし一点張りの理論が長々続いたり、赤ん坊は強く育てる為に高温や低温の水に慣らせるべきだ・・
とかルソーの言う自然状態に矛盾してないか?と思う個所も多かった。本の解説に小説体の文章とかかれてあったが、わたしはルソーの
哲学ときつい世間話のような印象受けた。エミールとルソーのやりとりのページ多くはないが、その部分は楽しめた。
・「教育論」
教育学を学ぶには、必ず出てくる古典ではないかと思います。ルソーが家庭教師となったときにどのような教育をするかを、生徒のエミールが誕生してから結婚するまでを描いている。ルソーが最も重要としたのは自然のままに育てること。まずはじめは乳母選びからはじまる。言葉によって物を教えても子供にとってそれは間違った観念で覚えてしまうので、必ず経験から学ばせるようにする。猫のしつけみたいなものね。そしてある年齢に達したら、今度は教師と共に学んでいくようにする。二十数年かけて優秀な教師が一人の子供を教えるという構想に、ルソーは生徒が金持ちであることを健康であることと同じように条件に挙げている。貧乏人は勝手に人間になるそうです。そして環境が大切であるため、余計な干渉の一切ない田舎で育てることがポイントらしい。後半は妻となるソフィーの性質と教育について。これはまあ、当時の上流階級での女性観がどんなものかを考える上では興味深いのではないでしょうか。そうやって手間をかけて出来上がったエミールは、ほのぼの育ったお坊ちゃまってかんじなのよね。決して帝王教育ではない。上流階級の一生働かなくてもいいような人間を育てる方法のような気もするけれど、幼児期の子供の育て方には納得させられることが多かった。
・「教育学を読むなら」
教育学をやる場合、ヘルバルト、デューイ、ペスタロッチ、コメニウス、シュプランガーなど、相当な必読書があるように思うが、ルソーのエミールは何といっても読みやすい。一つの取っ掛かりとして最初に読んでおくと、後々非常に役立ってくる。これは難しい論文などではなく、生きた教育の記録である。時代背景が現在とまったく異なるため、違和感を覚える箇所もあるが、その思想の重要性は今も失われていない。
・「ルソーの幼年から少年までの教育論」
長年教師として教育に携わってきたルソーの考察と独自の教育論が展開する。 様々な誘惑で人間を堕落させる都会から離れて、田舎で素朴に子育てしようと説いている。善良な両親のもとで、野菜を多くとり、健全な生活を送り優良児を育てるのが良いそうだ。 昔から、子どもの教育は問題になっていたが、各家庭にふさわしい程度で十分で、
過度な過保護や、厳しいお勉強も、子どもの体や心が病む原因になるという。 ルソーは、金持ちや医者に嫌気がしており、彼らは、教育など全く頭になく、子どもを他人に任せても平気で、将来子どもが様々な障害にぶつかることを予測している。また、人の人生など変わりやすく、貧富など社会の変化に応じて
どうにでもなるということだ。 子どもの人生を幸せにするのか不幸にするのかは、両親の力にかかっている。
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