「現代的な解釈のない原文の論語を読めます」「簡潔で読みやすいです。」「解説書は不要」「日本人の民族思想、そのルーツのひとつとして」「今だからこそこの本を!」
新訂 孫子 (岩波文庫) (詳細)
金谷 治(翻訳)
「世間のイメージほど薄っぺらな内容ではない」「全ての人が読むべき書」「多分、必須教養」「意外にも現代性ある一冊」「 失ったもの」
学問のすすめ (岩波文庫) (詳細)
福沢 諭吉(著)
「天下の名著・世紀の大ベストセラー」「学問はやっぱり必要!!」「あまりにも有名な福沢諭吉の本」「日本のあり方を考える人に」「まずはここから」
武士道 (岩波文庫) (詳細)
新渡戸 稲造(著), 矢内原 忠雄(翻訳)
「クリスチャンによる武士道」「武士道はいまだ死せず」「サムライと美」「今さら?いやいや、今だからこそ!!」「良い本には違いないが、誤読が多い不幸な本」
タオ―老子 (ちくま文庫) (詳細)
加島 祥造(著)
「ひとつの選択肢として」「人間関係に悩んでいたら……」「柔らかく したたかに」「音読はどうでしょう」「たおやかに。」
日本の思想 (岩波新書) (詳細)
丸山 真男(著), 丸山 眞男(著)
「丸山真男は全然「古くない」、そしてそれは「不幸」なことである。」「やっぱり、丸山真男」「「丸山真男」の理解のために。」「思想と行動様式、価値観の源泉探求」「『日本の思想』の発行部数は2005年5月現在、累計102万部(Wikipedia)。」
高校生が感動した「論語」 (祥伝社新書) (祥伝社新書) (詳細)
佐久 協(著)
「現代人でもとことんわかる論語」「身に沁みる言葉」「孔子の言葉が、現代にも十分通用することを見せてくれる本。」「読みやすく解りやすい、カッタルクない、「論語」」「これまでにない感覚の、論語解釈の名著」
新訂 福翁自伝 (岩波文庫) (詳細)
福沢 諭吉(著)
「構えず、気軽に手に取ってみるべき一冊」「世界で最も面白い自伝」「自らの理を貫くことの大切さ」「あなたも最後まで読めます」「明治の革命児」
武士道 (PHP文庫) (詳細)
新渡戸 稲造(著), 岬 龍一郎(翻訳)
「日本人にも誇れる文化と精神性があったことの再確認」「胸に刻み腹に収めておきたいこと」「今忘れている日本の、日本的企業経営の参考書」「日本人として読んでおくべき。」「日本の精神的主柱」
「昔の小学生はすごいものを読んでいた」「本書の意義」「東洋の聖書」「永久不変かつ普遍の原理」「儒教の入門書」
● 幽霊が怖くなったら、読む本!(スピリチュアルに惑わされぬ為に)
● 戦争,外交関連1
● 岩波文庫(日本)
● ボストン読書記2
● 中国の宗教
● 役に立つ本
● 中国古典
● 岩波文庫 覚書
● 兵書・帝王学
● 古典に学ぶ本
・「現代的な解釈のない原文の論語を読めます」
1963年に初版が発行された歴史ある本です。私は「原文を手元に置きたい」という考えから購入しました。
・「簡潔で読みやすいです。」
論語の解説書は多く出版されているので、内容を詳しく知ろうと思えば、解説書を読めばいいと思います。この本はできる限り、訳を単純にしているのでわかりにくいということもありますが、その分、奥が深い味わいがあります。 特に書き下しで読んでみると、論語というのはなんともいえないよさがあります。ですから、基本は書き下しで読んでみて、意味のわかりにくいものは訳を参考にしてみるという読み方がよいと思うのですが、この本はそうするのにもってこいだと思います。
・「解説書は不要」
こういう書物をひもとくときの人間の欠点は、読む前に解説書と称するもので理論武装してしまうことである。たしかに、難解で知られる現代哲学書などは、予備知識がないとまったく理解不能ということがあるかもしれない。しかし、本書のような、専門家に宛ててのみ書かれたような特別な書物ではない「ふつうの本」の場合には、余計な先入観を持っては却ってきちんとした読解の邪魔になる。 ということで、漢文がきらいな方は読み下し、あるいは翻訳だけでもいいので、こちらを一読して頂きたい。例えば、「他人を愛する」順番として、孔子は「近親関係にある人間と、遠方の他人とは愛の度合いが違って当然だ」と言い切っていたりするが、キリスト教博愛主義から派生した西欧的倫理観を持って、「やはりキリスト教道徳の方が優れている」という論法は、はじめから価値観を内在した物差しでモノを測っているという、やってはいけない議論の仕方であることがわかるだろう。また「怪力乱心を語らず」というのは、人生のみならず哲学においても立派な処世だという評価はできないのだろうか。怪力乱心以外に時間を費やすべき有効な対象は他にあるからである。 このように、是非読者ご自身で解釈してみることをお勧めしたい。なお、本来の読み方は「素読」である。読み下し文を暗記してしまうことだ。音読するときには独特の「ルール」があることは知っておきたい(「曰く」は「のたまわく」と読むのが古来からのやり方だ)。
・「日本人の民族思想、そのルーツのひとつとして」
63年の初版以来、半世紀ちかく版を重ねてきた論語解説のスタンダード、といってもいいだろう。
原文ひとフレーズごとに漢文、読み下し文、語注、訳文、という体裁で、特徴的なのは著者による解説を極力廃し「翻訳」に徹している点であろう。しかもそうであって、意味はちゃんととれる。実はこれはかなり大変なことである。たとえば小川環樹氏の『老子』は、訳文を読んでもほとんどチンプンカンプンである。もっとも、小川氏の翻訳がまずい、というわけではなく、老子そのものが難解なんだとは思うが、いずれにせよ、この手の中国の古典の翻訳を読んで、筆者のようなフツーの人がフツーに意味がわかるというのは、なかなか、ない。
日本人の国民的・民族的ものの考え方のベースには、やはり儒教(江戸期は朱子学)の影響が色濃く残っている。われわれ日本人の民族思想のルーツのひとつとして、論語には一度は目を通しておきたい。その教科書として本書はお勧めに十分値する良書だと思う。
・「今だからこそこの本を!」
「儒教の思想は封建時代の遺物」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、この本をよくよく読んでみると儒教というものの意外な人間性や柔軟性が見えてくるでしょう。何にも頼ることのできないこの時代だからこそ、私はこの一冊をお勧めします。
・「世間のイメージほど薄っぺらな内容ではない」
最近ビジネスの世界で孫子がブームである。解説書や、ビジネスと結びつけた本も多い。しかしなんといっても孫子自身の書いた本をよんでほしい。難しいのでは・・・と思う人がよんだら、きっと拍子抜けするくらい簡単な本だから。薄いし。
2000年前ととても思えないほど洞察に満ちたこの本は、圧倒的なリアリズムに裏打ちされている。たとえば孫子は兵を勇猛果敢、兵はかくあるべし、などとは書かない。彼は兵とは都合が悪ければ、目を離せばすぐに逃げ出すものだ、と言う。彼は戦争など下の下であって、国と国の最後の手段としてしか用いてはいけないという。彼は戦争に至らないためのありとあらゆる手段を尽くせ、という。
クラウゼビッツ(戦争論の著者)と大きく違い、彼は国全体の経済のなかで戦争を捕らえていた。戦争が国の経済に与える影響を良く知っていた。また、情報の重要性も知っていた。
できれば中高生に読んで欲しい。僕がそうだったように、人生が変わると思う。孫子は戦争に勝つための方法を書いたような薄っぺらな本ではない。大学生以上でも遅くはない、読んで欲しい。きっと何度も震えが来るはずだ。
・「全ての人が読むべき書」
「彼を知り己を知らば百戦して殆うからず」孫子兵法の有名な、最も言いたいことだと多くの人が思っていることでしょう。それが大きな間違いだったことが、孫子兵法を実際に読むことで理解できると思います。非常に良い本ですが、勘違いしないでほしい本でもあります。
孫子は「教科書」でも「参考書」でもないのです。
「背水の陣」で有名な韓信をはじめ、名将といして名高い白起も、「戦は兵法書の暗記で勝てるものではない」と言っています。
戦争・経営・人生の最高のレクチャー本と断言していいですが、鵜呑みにすることだけはないようにしてください。「自分で応用できる人の中に孫子はその本質がある」
そんな書物です。
・「多分、必須教養」
「孫子」本はたくさんある。ハウツー本からマンガ、そして原典訳まで。この本は原典訳、そして「史記」に見える孫子たる人物の逸話にも触れている(二人とも)。
自分が思うに、ハウツー本は所詮、著者の主張であって、孫子の主張ではない。孫子の主張は原典の中にしかない。そして、それに自ら触れることで、自分なりの「孫子との対話」が完成する。
読めない外国語では日本語訳をあたるしかないが(ここにだって訳者の主張が混じる可能性はあるのだ)、孫子は高校漢文知識で読めるのである。訳もついてる。忙しくたってこの本を携帯し、休憩がてら時間をとるくらいはできるはずだ。ということで、社会人必須教養図書の一冊として推薦します。
・「意外にも現代性ある一冊」
中学生時代から何度か読んでいる。 内容は、この時代によくぞ書けたと思うくらいリアリズムに徹した著作である。他にも「呉子」「六韜」「黄石公三略」その他の兵家の著作の中で、唯一偽書でなくて残っているのが本書であるし、また内容的にも当時から最も評価されていた著作なので、それだけのことはある。 本書で特に強調されていることは、「兵は不祥の器なり」(老子)に繋がるいたずらな武力行使を戒める姿勢である。何せ今も昔も戦争にはカネがかかるのだ。また、政治的な解決を先行させずに武力で解決しようとすることが、紛争の早期解決には繋がらないとの洞察もあったのかもしれない。むしろ、武力に頼る姿勢は現代の方が顕著かもしれない。もう一度この思想を見直して欲しいものである。 また、間諜の重要性を異様なほど強調していることも本書の特徴だ。さすがに現代では「死間」は使えないだろうが、何よりも情報収集に力を入れることが、無駄な犠牲を減らすことに役立つという観点から、スパイ(というか、インテリジェンス)を推奨しているのだ。これは戦争に限らず、すべてのプロジェクトに応用できる考え方だ。 本書では、戦争のもうひとつの重要な要素である兵站は重視されていない。三国志の時代に諸葛孔明があれほど補給に苦しんだことを考えればこれは意外だ。本書が書かれた時代には、短期決戦しかなかったのだろうか。
・「 失ったもの」
高校時代に中国古典にかぶれて本書を読んだが 流石に 青春時代の幻想と妄想に満ちていた小生にとっては むしろ読んでいて腹が立つ本であったと記憶している。青春時代は 理想に燃える熱血少年だったということかと20年以上経った今では 当時の自分が懐かしい。
ところで それから20年経ち 社会に出て 色々すれた後の最近に本書を読み返した。
全く腹が立たない。
実社会を経験したあとに本書を読むと はたと膝を打つばかりである。勿論小生は戦争が職業ではないし そもそも戦場に行ったこともないわけであるがそれでも読んでいて感に堪えないのが本書である。 つまり 戦争や戦場は現実社会の一局面であり 一方 我々の実社会も戦場の一面は常にあるわけであり 従い 読んで得られる所が多いわけである。ビジネス書で孫子の特集などが組まれているわけだが なるほど こんなに面白いのであれば 当然である。
それにしても 本書を読んで腹が立った時代があった。年を取るということは 陳腐ながら 何かを失うことでもある。
・「天下の名著・世紀の大ベストセラー」
率直な感想としては、とにかくめちゃくちゃ面白かったです。学ぶべきところや気づかされるところがたくさんあります。福沢諭吉が目の前で講義をしてくれているような、そんな臨場感にも溢れた本です。
言葉を尽くして大絶賛したいぐらい、とにかく素晴らしい本でした。
学問の意義、国家と法、西洋思想、独立自尊、国際社会における日本、などなど盛りだくさんの内容になっています。明治時代に書かれた本ですが、今読んでも新鮮な発想や説教が心にしみいります。またもともと一般向けに書かれた本なので、文語文とはいえ平易な文章で語られており読みやすいのもありがたいです。
いまさらですが、本書はやはり日本人の一般教養として国民みんなが読むべき「原点」としての本だと思いました。安倍首相の「美しい国へ」なんか読むよりも、130年前に出版された本書を読む方がはるかに国民全体の底上げになり、本当の「美しい国」作りへ向けてのインフラ整備ができると思います。
政府にとって扱いやすいバカな国民にならないためにも、みなさんぜひ時間を作って「学問のすゝめ」を読まれることを強くお勧めいたします。
・「学問はやっぱり必要!!」
タイトルと著者名、『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』で始まる事は日本人のほとんどが知っているはずです。しかし、内容はあまり知られていないのが残念です。私も読んで初めて知ったのですが、「人は皆平等だが、その人に差をつけるものは学問である」と福沢諭吉さんは伝えたいのです。学問はした方が良いと痛感させられます。
文語体ですがわかりやすい文章で書かれていて読みやすいです。一生に一度は読むべき本だと思います。
・「あまりにも有名な福沢諭吉の本」
今月、1000、5000円札紙幣の肖像は変更したが、10000円の福沢諭吉像だけは変わっていないように、通貨は国家主権を象徴するものであるという点からは、福沢諭吉は日本の歴史上の人物として最も重要な人物の一人であると言えるだろう。
この本には非常に読みやすい字体で、福沢諭吉の学問に対する、穏やかではあるが奥底に熱い情熱が潜んでいるような姿勢が書かれている。
個人的には、今ではゆとり教育に代表されるよう、自ら勉学に制限をかけるような制度が進んでおり、これをもし福沢諭吉が知ったら何というだろうか非常に興味深い。
福沢諭吉に少しでも興味を持たれた方にはぜひお勧めしたい一冊。
・「日本のあり方を考える人に」
日本が世界の中でいかに行動すべきか、日本国民はどのようにあるべきか、という問題は現代の国際化社会に住む私たちにとっても、明治の近代社会草創期においても同じです。
私たちは現在不況の真っ只中にあり、世界の国際化・情報化の時代に生きていますが、福沢諭吉のこの本は私たち日本人が今後どのように行動すべきか教えてくれていると思います。開国してまだまだ弱小国だった明治日本を支えた一人、福沢諭吉の考え方を今一度学んでみてはいかがでしょうか。
・「まずはここから」
独立自尊の精神を国民に説く。今一度読まれるべき時が来ている気がする。結局今に至るまで、国全体として体現できていないのだから。
・「クリスチャンによる武士道」
この本を読むときに、よろしければ気にとめて頂きたい点があります。それは、著者、翻訳者ともにキリスト教徒であると言うことです。(本の内容については、他の方々が既に充分な書評をかかれております。)
新渡戸稲造はクエーカー派と呼ばれるキリスト教徒です。クエーカーは「内なる光」という直感的な「良心」を重視し、
「沈黙の礼拝」を行います。日本の座禅ににている礼拝で、儀式もなく、聖書に元ずく平和主義で知られているグループです。アメリカ・イギリス両クエーカーの団体は1947年にノーベル平和賞を受賞した経験があります。
一方、翻訳者の矢内原忠雄は内村鑑三の流れを汲む「無教会」という
キリスト教の伝道者で、戦後2代目の東京大学総長に選ばれており、激務にありながら、毎週日曜日は集会で「聖書講義」を行った方です。第二次大戦中は、非戦論者として知られました。そのために、東大教授職を追われた方です。
私たちは、この「武士道」を読むに当たり、なぜこの純日本的とも言われる武士道精神が、
俗に言う「西洋の宗教」であるキリスト教の信者によって書かれたのか、静かに考えてみることは、意味があることではないでしょうか。なぜこの本が、非キリスト教徒によって書かれることがなかったのか、考えることは大事であると思います。
・「武士道はいまだ死せず」
武士道は、日本を表徴する桜の花と同じように、わが国土に固有の花である。
『武士道』第1章はこうした象徴的な一文から始まる。
桜の花が日本の武士道を象徴するとすれば、西欧の騎士道ないし哲学を象徴するものは薔薇である。
薔薇は強い芳香を持ち、優雅に咲く花である。しかし、その美しさの裏側には棘があり、枯れてもなお散らずに残りつづけようとする生への執着がある。
一方、我々は潔く散りゆく桜の花びらに美を見い出し、その淡い芳香に飽きることがない。
このように、西洋のものが「生の哲学」であるなら、
日本のそれは「死の哲学」であると言っていいであろう。ただしこの「死の哲学」は、「死」を奨励するという種類のものではなくて、むしろ人生をいかに生きるべきかという求道的倫!理的な問題を、万人にとって絶対的な存在である死を出発点として扱おうとする問題意識のことなのである。死というものを身近に感じ、これを受け入れ、日々これに対面することによって死から解放され、むしろ「生きる覚悟」というものが確固としたものとなり得るのである。
これに対して、我々が多く学んできた西洋の「生の哲学」がもたらしたものは利殖と保身と享楽の追及でしかなかった。
このような認識のもとに立つことが出来れば、我々は今一度、「武士道」という精神に学ぶことが大きいであろう。
『武士道』はつまり、
いかに死ぬべきかを問うたものではなく、いかに生きるべきかという問いに対して闊達自在な日々の心構えを説いたものだからである。
・「サムライと美」
「ザ・ラスト・サムライ」を見た。ひさびさに「武士道」を読みたくなった。ハリウッド映画に日本の美がなんであったか、日本の武士道がなにであったかを、こんなにヴィジュアルにみせつけられるとは思っていなかった。この主演俳優であるトム・クルーズが撮影中にぼろぼろになるまで読んだというのが本書の英語でかかれた原著であるという。
国際連盟で活躍した新渡戸稲造は、本書によって広く世界に知られたという。ブリティッシュコロンビア大学の新渡戸記念公園とライブラリーを訪問したときのことが思い出される。現在にいたるまで新渡戸稲造の記念碑的な施設が十分に維持管理されていることに新渡戸稲造の遺徳の大きさを見た。
そして、今「武士道」がトム・クルーズや渡辺謙の姿を通じて世界の新たな世代にプレゼンテーションされたことに感動を覚える。世界の人々も「ザ・ラスト・サムライ」を見て本書を読みたくなってくれることを祈りたい。
しかし、新渡戸稲造が描いた独特のストイシズムに基づく日本人の美しさはどこへいってしまったのだろう。節制と恥じを基調とし、なにごとも完璧を求めた人の生き方としての美しさ、世代を超えた稲作による山河の美しさ、伝統的な着物や建物の美しさ。もし「ザ・ラスト・サムライ」と本書だけで日本を知った人が現在の日本を見たら、どのような感想をいだくのだろうか。
・「今さら?いやいや、今だからこそ!!」
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・「良い本には違いないが、誤読が多い不幸な本」
岩波版のみならず、新渡戸の『武士道』に関する感想を読むと、彼の武士道があたかも「日本人古来の美徳」であるかのように読まれている方が多いのに気付かされる。いっておくが、これは途方もない勘違いであることに注意してもらいたい。
実は新渡戸の武士道は、キリスト教の器を利用した近代思想なのである。近代の「国民」を形成するため諸階級に遍く行き渡るような思想を新渡戸は考えた。その産物が、この『武士道』である。したがって、戦国期の武士に見られるような自分達が生き延びんがための徹底したリアリズムとしての武士道、階級思想としての武士道は、おのずからと排除される仕掛けになっている。
せっかく本書を読むのであれば、新渡戸の武士道がキリスト教を器にしていながら、なぜ戦前期の日本で否定されなかったを考えると良い。そうすれば、巷間いわれるような新渡戸『武士道』に対する評価が間違っていることに気付くだろう。
彼の武士道は、後に彼の意図を超える形で利用されるという不幸が生じた。あまりにも「忠君愛国」とか「聖業翼賛」とか「挙国一致」というイデオロギーとの親和性が高かった。その挙句に、他人が死ぬなら自分も死ぬという種の、およそ古来の武士道とは縁のない不健全な思考にまでたどり着いてしまったのである。
「昔の日本人はかくも立派だった」というような、まるで程度の低いお国自慢みたいな間抜けでみっともない、いかにも頭の悪そうな独善的な読み方はやめて、日本の近代思想の一つとして冷静に読んでもらいたい。新渡戸を肯定するにせよ否定するにせよ、そこを一つの道程として踏まえた上で、我らはいかにあるべきかという建設的な思考をしなければならない筈である。
・「ひとつの選択肢として」
老子が何を言いたかったのかは、正確には分かっておらず、いろいろな解釈が行われています。
・「人間関係に悩んでいたら……」
単行本の時に感動し、文庫になってすぐ買いました。老子の言葉を加島さんの言葉で意訳したアフォリズムなのですが、落ち込んだときなどにパラパラと読めて、いい。「道(タオ)」とは何か……という考え込むような本ではなく、生き方、人との接し方などが、加島老子の言葉になって語られる。
ぼくらはひとに/褒められたりけなされたりして/びくびくしながら生きている。自分がひとにどう見られるか/いつも気にしている。しかしね/そういう自分というのは/本当の自分じゃあなくて、/社会にかかわっている自分なんだ
……社会なんてたかがしれているんだよ、と続く。マイナス思考だと批判する人もいるが一つの生き方とスタイルとして、あってもいいものだと思う。人間関係に悩んでいたりコミュニケーションのあり方を探ってる人には一つの指針となると思います。
・「柔らかく したたかに」
「伊那谷の老子」を読んだ事で本書を手にする機会を得た。年始の休日にゆっくり読んでいるところだ。
もともと老子は好きな本で 別途やっているブログにも「老子」という書庫を作ってたまに思うことを書いている。それもあって 加島訳の「老子」は興味深く読めた。
加島は本書では 自分の思うがままに「老子」を日本語に移し変えている。この本を読むことが 「老子」を読むことには 必ずしもならないと思う。本書はあくまで加島の解釈でありそれが正しいのかどうかは解らないからだ。但し「老子」という稀代の古典の凄みは 読む人に解釈を委ねている部分がある点だ。 本書を老子自身が読んだとしても おそらく頷くのではないかと思う。
しかし 老子はブームだ。
現代のストレスフルな時代に 人々が「老子」に惹かれる気持ちは解る。
おおらかに世界を説く老子の話は 日々のこせこせした生活に疲れた人の耳には心地よいのだろう。 但し それには いささか「逃避」という気持ちもあるのかもしれない。「逃避」は時として正しい行動であるので それには異論が無い。但し「逃避先」として老子が正しいかどうかは実はわからないような気もする。
老子は水に喩える場合がある。その場合の水とは しなやかでありながら強靭であり 清く流れながらも 濁りも飲み込む度量を意味している。そういう清濁を併せ呑む水の強さを強く主張する老子に 安易に逃避しても しかり飛ばされるだけのような気がする。
僕らが今の時代で老子を読むとしたら 「水のしたたかさ」をどのように毎日の生活を通して自分に取り入れるかということではないかと思っている。そんな思いで本書を読んでいると何か示唆してくれる部分も多い。正月に本書を読んで 今年も大いに 柔らかくしたたかに生きていこうと思い直したところだ。
・「音読はどうでしょう」
待っていた文庫版が届きました。自宅で、会社で、折に触れて音読をすると気持ちがスーッと落ち着きます。まったくの素人考えですが、「タオ」と大乗仏教の「空」の思想は根底で気脈を通ずるものがある気がします。加島訳の老子は私にとってのお経かもしれません。
・「たおやかに。」
正直なはなし、老子をそのまま読むとか、古い直訳を読むのは、骨が折れると思います。
中野孝次「足るを知る」でこの本が紹介されていたので、読むことにしました。
分かりやすい詩になっていて、とても読みやすい。それでいて、「老子」から外れているとは感じません。
また、折をみて読み返したくなる本です。
・「丸山真男は全然「古くない」、そしてそれは「不幸」なことである。」
困ったことに、丸山真男はいま読んでもぜんぜん「古くない」。これは丸山真男のもちろん「エライ」あるいは「正しい」ところだが、「不幸」あるいは「無益」なところでもある。
丸山真男は「日本(の知識)人はバカだ。そのバカのパターンはこれとこれとこれだ」というのを、実にわかりやすく書いたのだが(もちろん彼はそういうバカはもうやめにしようとして書いたのだ)、いろんな人が、つまり日本の知識人たちは、「バカとはなんだ、バカとは」と、この丸山真男をいろいろと批判した。もちろん、「当たってる」ことを「わかりやすく」書いたので、随分と賛同者やファンやエピゴーネンも現れた。
「不幸」あるいは「無益」というのは、丸山真男がそう言ったのはずっと昔のことなのに(この新書は1961年に出てる。しかも丸山真男が直接扱ってるのは日本の戦前の思想家たちである)、あいかわらず日本(の知識)人はバカだからである。しかも、その「バカのパターン」は、あいかわらず丸山真男が『日本の思想』に書いたもので出尽くしてる。だからこの本は、「日本の思想」と名乗る権利が(今でも)あるのである。 丸山真男が書いたのは未だに「当たっている」。けれど逆に言えばそれは、せっかく(人に恨まれるくらい本当のことを)書いたのに、何の役にも立たなかったということでもある。
丸山真男に向けられたたくさんの反論も、のこらずその「バカのパターン」を繰り返していた。それどころか、丸山真男に向けられたたくさんの賛同も、のこらずその「バカのパターン」を繰り返していたのである。
・「やっぱり、丸山真男」
本書は4つの文章から成り立っているがこの本は最初から読むべき本ではない書名にもなっている1章の「日本の思想」から読むより、講演スタイルの4章「『である』ことと『する』こと」をよんでから順々に最初に戻っていったほうが、挫折しないですむ「タコツボ」などのさまざまな概念が、学問のみならず日常生活を考える上で非常に参考になる
・「「丸山真男」の理解のために。」
言うまでもなく「丸山真男」は「ブランド」だ。丸山真男を読むための解説本が多数出版されていることからもわかる。
しかるに。数々の解説本を読んで「丸山真男」の理解をした「つもり」になるよりも、本書を読む方がはるかに有益だし、また内容も分かりやすい。「岩波新書」がまだ「ブランド」であった頃の輝きを持つ良書だ。無為に平易さばかりを追うのでもなく、きちんと「知識人」としての仕事を本にまとめている。本書の出版は1961年なのだが、現代の数多くの表層的文化論が丸山の新書レベルすら超えていないことは寂しい限り。新しい流行タームは次々に生まれてくるが、理論としての進歩はほとんど見られない。「知識人の役割」を考えるのにも適した一冊だ。
・「思想と行動様式、価値観の源泉探求」
この薄いパンフレットは、日本人の意識の内面の起源、恣意的行動、価値観、世界観の様式を語る際、必ずと云って良いほど引用される資料の一つである。丸山真男は、「日本政治思想史研究」で江戸時代の政治的支配の道具としての、儒教から朱子学への変遷とアンチテーゼとしての国学の勃興を、有る程度説得ある文章にまとめている。これは、日本人の思想の本質と起源、つまり日本文化の深層について、語ろうとした一歩と考えたい。ここで取り上げられているテーマは、書かれている言葉の平易さ程には易しくはない。
民族の源意識の起源は、果たして普遍なるものか?仮に普遍であるとすれば、その原型を保つ環境は、いったい何なのであろう。日々の生活の中における「神の存在観」であるのか?もしそうで在るのなら、神社や氏神は、日本人の日本人足らしめる「鍵」であろう。
丸山以前、この原型を探求した津田左右吉は、平安から鎌倉・室町という中世の中で生まれ受け継がれてきた物語、宇治拾遺・今昔・御伽草子を丹念に分析し「文学に現れたる我が国民思想の研究」を書いている。これは、文学と云う「民族の揺りかご」を基に、その「赤ん坊の心の本質」を探る意欲的な研究であった。
人は、その歳が50歳も過ぎれば、自らが生きて来た日々、その行動と価値観、或いはもっと根元にある信仰を振り返って見ようとするものだ、外国人の研究をはじめ、多くの日本人論が、表層の眼に見えるものだけを追い、陳腐な上滑りに也勝ちだが、根源的な精神や価値観は、実の所、眼に見えないものであり、むしろ、最も眼に見えないものなのである。このパンフレットは、その眼に見えない扉を開けるものであり、その「闇」を、自らの内面を省察しつつ解明するのは、この本を読む読者の責務であろう、この小冊子は、丸山から渡されたバトンと思いたい。
・「『日本の思想』の発行部数は2005年5月現在、累計102万部(Wikipedia)。」
「大学生必読の書」らしいです。しかし大学生数十人に聞き込みしたところ、既読者はおろか丸山真男の名を知っている人を捜すのに苦労するという結果に終わりました。
・「現代人でもとことんわかる論語」
努力と精進、利益と欲得などテーマごとに再編してあります。訳文、書き下し文の順に進み、これについての解説はほとんどありません。一般的な訳と違った訳をしているときに、申し訳程度に解説が加えられているぐらいです。しかし、訳文を読めば、他書が解説している以上のことがよく伝わってきます。文章の解説でするような話まで訳文の中に盛り込んで訳してくれていますから、訳文を読むだけで、書き下し文を深いレベルで理解できます。これほどまでに誰もが理解できるレベルまで咀嚼して書かれている訳文を読んだことがありません。時に意訳をしすぎているところもあるでしょうが、専門家でない私には、全く気になりませんでした。いままで、中途半端な訳に頼って、生半可な理解しか出来ていなかった文章を、この本を読んで初めて理解できたところが何箇所もありました。 さすが高校の先生だけあって、現在の生活に生かすよう論語に息吹を吹き込んでくれています。郷党第十にある「車に升(のぼ)りては………」を電車に乗るときのマナーと解釈して訳しているのには膝を打ちました。 高校生でない私も、そのわかりやすさに感動しました。 渋沢栄一、山本七平、中野孝次、中島孝志、………といろいろな人の論語の本を読んできましたが、論語の一文一文について一番納得がいったのがこの本です。
・「身に沁みる言葉」
古典に興味があったがどうも読む気になれない、「カッタルイ」「ジャマクサイ」「ウザッタイ」というのを解消してくれた本。
著者の佐久先生は、さすがに高校で長年教鞭をとっていただけあって、現代語訳が非常にわかりやすく、ユーモアに富んでいて飽きない。そのため、体に孔子の言葉がスッと入ってくる様な感覚だった。
論語に書かれている、孔子の言葉は、人生の教訓そして教科書の様なすばらしい言葉が多く、確実に私の人生に役立つだろうなと思った。
また現代語訳だけでなく、白文・書き下し文も載っており、かなり内容も濃い。
是非とも自分の親しい人たちに薦めたい、そんな本です。
・「孔子の言葉が、現代にも十分通用することを見せてくれる本。」
論語をまとめて読んだことが無かった。初めて読んだのだが、この本はとても読みすすめやすくて、ストレスがなかった。口語訳も、これでもかという位、現代語に近くしていあるのも読みやすさの理由。1Pに2−3の言葉や段落が現代語・本文+漢字かな混じり文+(必要な場合)解説という3本立てで読むことができる。孔子の言葉で自分に参考になりそうなところに印をつけていったら、かなりの数になったので、またパラパラと読み返してみようと思う。一冊持っていてもいい本だ。
・「読みやすく解りやすい、カッタルクない、「論語」」
哲学・現代思想、そして東洋思想(仏教・儒教・道教)の勉強を雑学として進めています。具体的には新書版の解説書を読むレベルで。 これまで、西洋哲学史の本、現代思想の本、仏教の本を読みました。それに比べると、儒教の本は「論語」の解説書を1冊途中まで読んだことに留まり、道教に至っては『老子』と『荘子』を購入したことに留まっています。 哲学・現代思想の難解さに比べ東洋思想は解りやすいように思えるのですが、どうも儒教・道教はとっつきにくい。というのが私の印象です。 その「とっつきにくさ」は何によるかと言うと、例えば「論語」の場合、その現代語訳にあるように思えます。現代語訳とは言うものの訳だけでは意味が取れず、平行して書かれた解説を読まなければならず、カッタルイ。そのカタルサから、以前は「論語」の解説書を途中で放り投げたのでした。 この本は、現代語訳がまさに現代の言葉による訳で訳のみから意味内容が掴め、そうした「カッタルさ」から解放してくれるものでした。 たとえば、「子日く、学びて時にこれを習う、亦た説ばし・・・」の現代語訳なら、 「大いに学び、学んだことはしまい込まずに実践すると気分がいいぞ。考えの遠く隔たった者とも語り合い、友達づきあいができるようになると楽しいぞ。周りが自分を認めてくれないからってクサるなよ。オンリーワンとなるよう精進しようや」という具合に。 私のように、「論語」の現代語訳がどうもしっくりしない、そう感じた人にはぜひお勧めです。
・「これまでにない感覚の、論語解釈の名著」
論語解釈の名著と言えるだろう。読みやすくわかりやすい。 わかりやすい分、かなりの意訳を施しているので、本当に原語の意味をきちんと伝えているのか、それとも著者のアレンジがかなり入っているのかを見極めるには、書き下し文を見ながら判断する必要があると思う。 しかし、それを探っていくのも面白い。
それにしても、孔子は一流のコピーライターである。「巧言令色、すくなし仁」「上に居て寛ならず、礼をなして敬せず、喪に臨みて哀しまずんば、われ何をもってかこれを観んや」・・・・、覚えやすいフレーズはさながらキャッチコピーのようだ。長年にわたり、論語が日本人の精神的な基盤を作ってきたというのも肯ける。
・「構えず、気軽に手に取ってみるべき一冊」
昔通っていた大学で民法の先生が一読を薦めていた。「そりゃあ福沢諭吉翁のようなお偉い方の書いたものは学生たるもの読んでおくべきでしょうけれど。」何となく説教くさく、とっつきにくい本のような気がして、実際に読んだのは働き初めて5年程経ってから。
その読後感・・・
自分の読書人生にとってこの本はなくてはならない一冊となった。
この本は自伝文学の最高傑作ではないか?「ワシントン自伝」も面白かったが、それにひけを取らぬ面白さ。今の日本人にとってはこちらの方がより切実で面白い。
また福沢諭吉という人についても、このような人物を自分の国の先駆者として持てたことの幸福を改めて感じるとともに、父祖の世代に対するに対する感謝の念と自分がその恩義にどれだけ応えられているのかという自責の念を改めて強くした。
と、肩肘はらなくても、気軽に楽しめるストーリーが随所に展開されています。
人それぞれでしょうが、まず一読を薦めます。
・「世界で最も面白い自伝」
福沢諭吉翁が波乱に満ちた生涯を語った自伝中の白眉。 こんなに面白い自伝はない。諭吉の闊達な性格は小気味よい。特に緒方洪庵の適塾の塾生たちの猛勉と奔放な生活は現代の窮屈さをあざ笑うがごとくである。一身二生と自ら述べた幕末と明治の激動の日本を、明るく知的に生き抜いた諭吉の元気を大いにもらおう。
・「自らの理を貫くことの大切さ」
斉藤孝著の「座右の諭吉」を読んで、原書を読んでみるべし、と手に取ったのがきっかけ。福沢諭吉は江戸時代末期から明治にかけての激動の時代に、周囲の風潮に流されることなく、自らの理を曲げず、波を乗りこなしたような印象を受ける。必ずしも精錬潔癖でもなく、慶応義塾の土地を手に入れた件などはドサクサにまぎれてうまくやったなというようなところもあるが、一貫しているのは自分は自分、人は人。無理に相手を論破するではなく、同意できなければ近寄らなければいいというようなさっぱりとしたところは感服する。それを暗殺が日常化した時代にやってのけたところがまたすごい。個人が自分の主張を持ち、相手の主張のうち受け入れられるところだけ同意し、違う主張もあるんだと認め合うことができなければ、個人主義は成り立たないと指摘しているが、現代にも通じる考えである。まさに日本人が国際社会でやっていくために必要なことで、これができないために外交で振り回され続けている。まずは自身の主義主張を持ち、それに矛盾しない態度を常に取ること。それが周囲の変化に惑わされず、かえって信頼や成功を勝ち得ることにつながっていくのだろう。福沢諭吉の人生がそれを物語っているようだ。
・「あなたも最後まで読めます」
苔むしたような岩波文庫の一冊であるが、この自伝、福沢諭吉の口述をまとめたもので、実は全編口語体で、しかも軽妙な語り口で書かれているため、まったく古さを感じさせずに、気軽に最後まで読めるはずだ。
「福翁自伝」の書名はかなりの人が知っているはずだが、それが口語体で書かれているというのは、どれだけの人が知っているのだろうか(知らなかったのは私だけ???)。
というわけで、激動の明治維新期の目撃者が語る日本の歴史(しかも口語体)、食わず嫌いせず、ぜひご一読を。
・「明治の革命児」
明治時代の本ですが口述したものなので、福沢のもう一つの代表作「学問のすすめ」よりよほど読みやすいです。彼の前向きで、自由で、好奇心旺盛な姿勢は多くの人にとって大変参考になるでしょう。読み物としても楽しめ、歴史書として学ぶことも、偉人伝として読むこともできる非常にお買い得な一冊です。
・「日本人にも誇れる文化と精神性があったことの再確認」
かつてエコノミック・アニマルと諸外国から揶揄され、バブル崩壊でそれさえも失った日本。
しかし、日本にも古来から培われてきた文化・思想・哲学があった――その一つが「武士道」ではないかと思いました。
もちろん、現代においては古めかしいところもあるかもしれません。ですが「哲学不在」とも言われる時代において、日本人の血に流れる(そして今もまだ続いていると思われる)思想・文化を見直すには、本書はちょうど良いのではないかと思いました。
PHP文庫版では、現代語に近い形で翻訳し直しており、分量的にも少ないので、読み始めるには最適かと思います。
・「胸に刻み腹に収めておきたいこと」
武士道廃れつつある日本の誇るべき精神
もちろんこの武士道を唯一無二の精神というつもりはないし、著者もその点を非常に上手くまとめており、今更ながら改めて古典的名著、間違いなく良書であると思わされた
王陽明が提唱した”知行合一”言い換えれば”言行一致”というところだが、武士道の骨子となる重要な概念である武士は自らが発した言葉に常に責任を持って行動し、もしも責任が保てない事態に至ったとすれば時に死をもって償うという一種の狂気とも侠気ともとれる高潔な精神がそこにはあった
言論が強すぎる現代言行不一致でもなんとなく許されてしまう時代にあって、本書の価値はむしろ高まっているのではないだろうか
いつの時代にも普遍であり、不変であり続けるものがある本書はそれが何かを教えてくれる日本を真に理解したいと欲する人の必読書である
”腹中に書あり”是非とも胸に刻み腹に収めていただきたい!
・「今忘れている日本の、日本的企業経営の参考書」
何故、武士道が永い間に渡って読み継がれているのか。日本人の考え方を欧米人に解説しているだけではなく、日本人が持っている気質を伝えようとしたに他ならない。これは経営にも通じ欧米型の経営論が導入され、愛社精神や、年功を敬うという考えが薄れてしまっている現在において再び日本人が持っている精神を見直そうという観点からである。欧米では逆に、日本的な経営が見直され現在欧米でも、ベストセラーとなっている。特に「義」「勇」「仁」「礼」「忠義」は今の日本には特に欠けている点。自己研鑽書とそれに類するビジネス書は数多くあるが、新渡戸稲造の考えが原点だと思う。経営者を目指す人、管理者となる人には実践で応用できる座右の書である。
・「日本人として読んでおくべき。」
現在の世の中では成果主義が声高々に言われているが、果たしてそれで良いのだろうか? 仕事が出来るから偉い、大金持ちが偉いのか?
年長者には、年長者だからこそ自らが経験してきた知識や知恵、指導者としての能力を持っている。全てとは言わないが。。。
全てを成果主義にしてしまえば、きっと日本人は単なるロボットと化してしまう。年功序列が正しいとは言わない、しかし、成果主義とてそれは同じ。
仁・義・礼・智・信を持たずして、日本人としての誇りがあるのか。 祖先たちが育んできた人としての道を大切に守って生きたいと思う。そんな中で、現代の日本人が、日本人らしくこの現代に適合する「武士道」を確立すべきだと思う。
・「日本の精神的主柱」
新渡戸稲造が欧米諸国に日本の精神的主柱となっている武士道を紹介した本である。武士道は、聖書やコーランのように原典があるわけでもなく、体系的に思想が整っているわけでもない。
・「昔の小学生はすごいものを読んでいた」
大学・中庸は、論語、孟子とあわせて四書をなす。日本人の民族思想を知る上で四書五経は避けてとおれないので、ともかく、一度は目を通しておきたいと思い、手に取った。
大学・中庸はもともと礼記49編の一部で、宋代(13世紀)に朱子が再評価して、論語・孟子とともに新儒教(=宋学=朱子学)の聖典としたものだそうだ。朱子はとくに大学への思い入れが深く、原文に大幅に手を加えて改変したばかりでなく、死の三日前まで自身の注釈書に筆をいれ続けたという。
しかし、朱子の「大学」には江戸期から解釈に誤りがあるとして批判も多く、本書では朱子の書き直した大学ではなく、もともとのテキストをとりあげ、原文、読み下し文、訳文という体裁で解説を加えたものだそうだ。
内容はむろん、一読したくらいでちゃんと理解できるものではないが、江戸期の小学生がこういうものを教科書として読んでいたのかと思うと、正直驚いてしまう。仁であれ、義であれ、子供でも教えればわかる、ということだろう。武家の子どもが立派な口上を述べて切腹する話が新渡戸の「武士道」にあるが、大人の教養書である四書五経を子供のうちから暗記させるような教育方法でこそ、子供にして大人社会での美しい身のこなし方を身につけることが可能になるのだろう。翻って現代を見るに、ここ150年ばかりの科学の知識は教えても、悠久として受け継がれてきた数千年の知恵は教えない。そんな嘆息を覚えた。
・「本書の意義」
訳注者の金谷治氏自身が解説で述べているように、本書の意味は、「儒教」というよりは「朱子学」のなかで特別なテキストとされてきた「大学」「中庸」の二書に、朱子以前の古義を追求する読みをした、という点である。単に儒教=朱子学入門として本書を読むならば、島田虔次氏の訳注本(朝日古典選)のほうがよい。評者は島田氏の本を先に読み、その後でこの金谷氏のものを読んだので、朱子の注釈によらないこの本の読みは新鮮で興味深かった。というのは、朱子はこのテクストを、オリジナルな意味を尊重するよりは、自らの哲学体系の構築のために利用しているからである。しかし、江戸期には朱子学が公式の学問として採用されたために、朱熹の読みがむしろ正当の読みとされてきたことは注意すべきだろう。 「大学」は、天下を治めるためには一身を治めることがすべてである、とする、道徳的政治観を述べた本。「中庸」は、前半が「中庸の徳」を持つことがいかにむずかしいか、後半が「誠」、すなわち「性」に従い修養することの大切さを述べた本である。
・「東洋の聖書」
四書に数えられる大学と中庸。大学は四書の入門書、中庸は最後に読むべき書とのこと。
論語と同じく、現代にも十分通じ、かつ現代においても実践されていないことがズバズバと書いてある。自分の身を正していないものが、政治の事など考えられようか?親に認められないものが、社会に認められようか?悪い者を組織から切り離せないで、人の上に立っていられようか?良い者を重く用いることができずに、良い政策を実行できようか?
読む年によって、自分の器によって変化する東洋の聖書です。止むことなく徳を実践し続ける。多くの方が、この本を読まれ、実践され、良い世の中になることを祈ります。
・「永久不変かつ普遍の原理」
五経の一つである礼記中の二編である大学・中庸
大儒・朱子によって四書として論語・孟子と並び評され、学び始めの「大学」、学び納めの「中庸」と云われていることはつとに有名なことである
本書において私が深く感じ入ったのは、「大学」が”修身”を根本に置いていることである修身を根本としてこそ、斉家、治国、平天下もあるすなわち自分というものを深く知り、日々鍛錬陶冶することによって、自分にとって最も身近な存在である家庭が平和安定し、そうすることによって国は始めて治まった状態ということができるということである”古きを温(たず)ねて新しきを知る”とはまさしくこのことであるなとしみじみ感じた次第である
本書はこの他にも様々な珠玉の格言がちりばめられており、やはり立ち返るべきは古典であると思わせられた
「まことに日に新たに、日日に新たに、又日に新たなれ」温故知新とともに、日々清新で新鮮な心持でことに処していきたいと心を新たにさせられる
・「儒教の入門書」
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