「「救済」の意味」「待望の長編ガリレオシリーズ第2弾―<執念>という言葉が鍵概念か?」「語りたいけど語れない面白さ」「いつもよりも最後のオチが浅いと感じた。」「東野圭吾先生!」
「ガリレオは短編に限る」「やはり短編が醍醐味」「一気に読みました!」「作者の苦悩」「商業主義に興ざめ」
イノセント・ゲリラの祝祭 (詳細)
海堂 尊(著)
「どんどん広がる風呂敷」「小説という名の作者のステージ」「田口先生めざめる?」「ついに言いたい本題に・・・」「昨日届いた・・」
蛇王再臨 アルスラーン戦記13 (カッパ・ノベルス) (詳細)
田中 芳樹(著)
「最盛期とのギャップを踏まえた上での評価なので厳しくなってしまいますが……。」「とにかく早く終われとしか言いようがない」「筆力崩壊」「嵐の予感・・!」「惰性で読む」
モダンタイムス (Morning NOVELS) (詳細)
伊坂 幸太郎(著)
「響かなかった.....」「賛否両論でしょう」「「勇気はあるか?」、ひと味違う伊坂ワールド」「作品の本筋をないがしろにした読者への甘えが出た作品」「あえて厳しく評価です。」
ひぐらしのなく頃に解 第四話~祭囃し編~(上) (講談社BOX) (詳細)
竜騎士07(著)
「鬼頭生家編」「待ってました。」
闇の子供たち (幻冬舎文庫) (詳細)
梁 石日(著)
「こどもの後ろ姿に、複雑な思い。」「めまいがするほどの衝撃作」「どうあがいてもこのプロットでは偽善臭を消せないと思う。」「えぐすぎる・・」「フィクションとは思えない生々しさ」
テンペスト 上 若夏の巻 (詳細)
池上 永一(著)
「めくるページが段々と速くなる(笑)、一気呵成のエンタテインメント!」「これは酷い」「宣伝文句に偽りなし」「続編が早く読みたい」「スラップステッィクな歴史大河コメディ」
西の魔女が死んだ (新潮文庫) (詳細)
梨木 香歩(著)
「久々に胸打たれた素晴らしい本です」「ラストがとにかく”ぐっ”とくる」「うーん」「14歳からの哲学がすべて織り込まれているようなメルヘン」「説教くさいし子供には読ませたくない」
・「「救済」の意味」
帯に書かれている「完全犯罪」の文字に心躍らされながらも、「期待しすぎると裏切られたときの失望は大きいぞ」と諌めつつ読みました。
まさに完全犯罪!このトリックはそれ自体も素晴らしいのですが、巧みな叙述トリックにより更に解明を困難にしてます。
必死に考えたにも関わらず全くわかりませんでした。逆にわかる人がいたら素晴らしいと思います!
トリックが明かされる場面では唸りました。そして、タイトルにもある「救済」の意味が最後にわかります。
文体も今まで通り読みやすく、ストーリーもシンプルかつ面白いので読むのをおすすめします。
・「待望の長編ガリレオシリーズ第2弾―<執念>という言葉が鍵概念か?」
何やら神秘的な響きを漂わせているタイトルだ。本作では、前作の長編『容疑者Xの献身』では登場しなかった内海薫刑事(ドラマではお馴染み)が、なかなかの直感と洞察力を発揮している。湯川、草薙そして内海という3人が中心となって難解な事件の解決が企図されてゆく。帯の表示から犯人は「女」であることから、内海という女性刑事を加えたのだろう。事件を解決するという共通の目的を有しつつも、草薙と内海という刑事間の視点の相違(それは男性と女性の相違に帰着する)も本作の注目ポイントの1つ。ガリレオこと湯川の活躍はむろん当然だ。
レビューで詳細を語ることは野暮の極みだが、1つだけ指摘すれば、思わず「はっ」とさせられるような驚きは、前作と比較してやや乏しかったように思われた。とはいえ、驚異的ともいえる犯人の<執念>を痛切に感じずにはいられなかったし、それは草薙ら刑事にも、湯川にも妥当する。著者自身の<気迫>もまたそうである。夫と妻のあり方、夫婦にとっての子供の存在意味、結婚の目的など、決して一筋縄ではいかないテーマに真正面から挑んだ、文字通りの力作だ。前作が取り組んだ<愛>という人間にとっての普遍的価値とも本書の内容は密接に関連している。そうした人間的で情感的な問題に対して、あくまでも客観的で合理的な根拠に基づいて事件を解明しようとする湯川の心的姿勢とのコントラストが読者をまた惹き付ける。あまりに当然のことで恐縮だが。
なかなか読む手を休めることができなかったが、多くの読者も同じ経験をされると予想する。そして湯川=福山雅治、内海=柴咲コウであることを想起して、本書を読み進めるだろう。もはやガリレオシリーズは国民的作品であるといっても過言でない。しばらくは第2弾の余韻を噛み締めて、次なる将来的な第3弾の作品の誕生を心待ちにしたい。
・「語りたいけど語れない面白さ」
ガリレオシリーズの最新作。東野圭吾と言えば、私なんかは加賀恭一郎シリーズの方がピンと来るが、今やこのガリレオシリーズはTVの影響も有ってすごい人気だ。「探偵ガリレオ」や「予知夢」が出たばかりの頃は、まだ知る人ぞ知るシリーズだったのだが。
そしてガリレオシリーズは現在公開中の映画「容疑者Xの献身」のヒットによって名実共に東野圭吾の代表作になった。それにしてもこのタイミングで小説を刊行するとは間違いなく確信犯だ。
さて肝心な中身だが、最近の東野作品には「大作なんだけど佳作」「力作なんだけど重厚さに欠ける」という内容が比較的多く、内心どうかなと思っていたが、読んでみてその不安は一掃した。
読み出したらどの場所でもやめることが出来ず、気づくと2時間で読破していた。
話はさすがよく練られており、まとまっている。今回から新キャラ「内海薫刑事」が登場するが前面に出すぎず、草薙、湯川と見事なトライアングルで活躍し、本作を引き立てている。
個人的には、今までのガリレオシリーズは警察側のキャラクターが物足りなかったので、いいスパイスが加わったという印象だ。加えてドラマの影響か小説版の湯川も福山バージョンに近づいているようでキャラクターが良い意味で明確になっているようにも感じられた。
本作は、ドラマや映画からハマった人も、昔からの東野ファンも裏切らない良作といえるだろう。
それにしてもこれだけ売れっ子になってもなお高いクオリティーを保てる東野圭吾は凄いと思う。
・「いつもよりも最後のオチが浅いと感じた。」
読んだらやめられなくなる、ヤミツキにさせるといった東野圭吾独特の魅力はこの作品の中にも存分に感じられる。どんなトリックが使われたのだろうと、話が進むにつれて段々とその期待が高まっていった。
『容疑者Xの献身』では見事にその期待以上のトリックで感動し、『流星の絆』では前者に比べると感動は少なかったものの、最後のどんでん返しに驚かさせた。
しかし今回の作品に関してはその期待の方が大きくて、消化不良に終わった感じがする。確かにトリックはすごいが、そこまで奥の深さを感じさせない。まぁそれが「虚数解のトリック」と言われたらそれまでなのだが。どうもスッキリしない、最後のオチに関してはいつもより浅いのではないか。
話は本当にジワジワ進み、期待を高めるつくりになっているだけに悔やまれる。感動を狙った話ではなく、トリック勝負ならもう少し味が欲しかった。
毎回期待に応えてくれる東野圭吾の作品ということで評価は厳しくしたが、読んで損はない一作だ。
・「東野圭吾先生!」
ガリレオシリーズを読む度にいつも感心するのが、読者を飽きさせないテンポの良さです。それでいて回りくどくなく、簡潔でいながら最後は見事読者の予想を裏切る。今は何をとっても素晴らしい東野先生の新作をいち早く読みたい一心です!
・「ガリレオは短編に限る」
TVシリーズで一気に知名度が上がった「ガリレオ」ですが、この短編集は『容疑者Xの献身』の後に書かれたもの。『容疑者Xの献身』で、二度と警察の捜査には協力しないと言った湯川が、新人刑事内海薫(自分も勘違いしてましたが、決してドラマ用のキャラではない。だってドラマは2007年10月スタートで、作品の初出は2006年だし、直後に長編の連載も始まっているから)に駆り出されて再び協力を始めます。第1章と第2章は、先日「エピソード・ゼロ」として放送されたドラマの原作です。ガリレオは不可解な現象を科学的に解いていくというところに特徴があるわけですが、これを生かすには短編の方が向いていると思います。実際、どれも上質の作品に仕上がっています。なお、同時発売された長編は、第1章の直後くらいに連載が始まっているので、短編集を読んだ後に長編の方を読むと、時間軸にずれがあって、内海刑事との関係などに違和感を覚えます。短編の第1章を読んで、次に長編を読むとそうした違和感は解消されると思います。
・「やはり短編が醍醐味」
湯川学ことガリレオ先生シリーズの最新作。東野さんと言えば、私なんかは加賀恭一郎シリーズの方がピンと来ますが、いろんな雑誌で福山湯川が登場しまくりでびっくりしてます。探偵ガリレオ (文春文庫)や予知夢 (文春文庫)が出たばかりの頃は、まだ知る人ぞ知るシリーズだったのに、今やこのガリレオシリーズはTVや映画ですごい人気ですね。
・「一気に読みました!」
正直、短編5話で1600円は高い…と思いながらも、我慢出来ずに買いました。最近、東野さんの作風が昔に比べて薄くなってる気がしてたのですが、これは、久々のヒットです。最近ドラマ化されてた話も入っていて映像が浮かびやすかったのも、一気読み出来た要因ですが、なにより私の好きな東野圭吾テイストがバッチリな作品です。ただ、どうしても読んでいたら福山雅治が出て来てしまいます…(笑)ダイイング・アイより、流星の絆より、夜明けの街でより、私にとっては骨太な作品です!
・「作者の苦悩」
「ガリレオの苦悩」というより、東野圭吾の苦悩、という感じが強い作品。 やはり、無理をするとこういうことになる。
というのは、本作は「探偵ガリレオシリーズ」としては4冊目ということになるが、3冊目の「容疑者Xの献身」で、「理系エンタテイメントとしてのミステリー」という基本路線を踏み外し、「情念の力作」みたいになったからだ。
結果として、ガリレオこと湯川助教授(本作から准教授)は、警察とは距離を置くようになってしまった。 本作から内海薫刑事(ドラマでは柴咲コウ)が登場するのも、ドラマ絡みという面もあろうが、まずは、「容疑者X」の経緯を知らない彼女なら、湯川に協力依頼しやすい、という作者の都合だろう。 湯川を事件に巻き込むためには、かつての恩師や同窓生まで湯川を利用しようとするし、無謀にも湯川に挑戦する元科学者まで登場する。
そうまでして、「事件に係わりたくない湯川を、何とか事件に巻き込む」という構図を作らなければ、小説として成立しない状況になっているのは、東野圭吾自身の責任とはいえ苦しい。作品を楽しむより前に、作者の苦悩が先に見えてしまう。
この本は5作の短編集だが、このシリーズ本来の楽しさがあったのは、4作目の「指標す(しめす)」だけだろう。 この短編が最後に書かれたようだから(この本のための書き下ろし)、苦悩を経て、ようやくシリーズの本筋に戻る足がかりを得た、というところか。
余計な一言かもしれないが、警察に協力した結果、どんなに辛い目に遭ったとしても、それで、条件反射のように警察と距離を置こうとする湯川の態度は、本来の彼のキャラクターとは違うような気がする。過去にどんな経緯があろうと、科学者として興味を覚えれば、その謎を解こうとする、それが湯川という人間ではないのかなあ。私は率直にそう思うのだが。
・「商業主義に興ざめ」
今回から内海薫が登場し、しかも、それが当然ながら、柴崎コウを連想させる。テレビシリーズや映画に違和感を覚えたまま、本編を読むと、どうしても内海薫が鼻につく。また、草薙が以前とは変わり、かなり粗暴になっている。テレビ俳優の性格が乗り移ったようである。テレビや映画が不出来だったため、純粋な「容疑者Xの献身(小説版)」の続編として期待していただけに、まるで映像版の続編(または、映像化を予定したもの)になってしまったのは残念。
・「どんどん広がる風呂敷」
まさしく海堂カラー全開ですね。物語自体は過去のテーマを踏襲していて安心して楽しめます。(ジェネラルに近い。)まあ、この作品は過去の作品と今後の作品のジョイントとして必読になるでしょうから読んでおいた方が良いでしょう。かなり舞台が広がってくる予告だらけで、この先の作品の方が気になってきます。
・「小説という名の作者のステージ」
海堂氏の小説はこれが初見。
事件は会議室で起こっているとでも言いたげな、根回し、策略、暗躍、跳躍が満載の会議室エンターティメント。・・・といっては失礼なのだろうが、そういう読み方で読ませていただいた。
法律学、医学、省庁政治が入り交じった難しく、けして楽しいとは思えない世界を独自の切り口でエンターティメントに昇華させている。
これらの知識を体系的に持つものからすれば、あれ?と思うシーン(刑法学者は、罪状を拡大刷る方向の意味で悪法でも法という言葉を使うのか?)という疑問はあるにせよ、その辺もうまくこなしていると思う。逆にこだわるとストーリィが進まないだろうし。
何よりも、後半を作者は読ませたかったのでしょう:−)
前2作も読んでみます。
・「田口先生めざめる?」
語り手である不定愁訴外来の田口講師のキャラが微妙にアグレッシブに変わっている。しかし、会議室に座ったまま交わされる退屈な審議会のはずが、視線と視線が絡み合う丁々発止のバトルになってしまい、なかなかにおもしろい。地雷を踏んでしまった田口先生の「アア、しまった」感は、社会人には覚えがあるだろう。
印象深いのは地域医療に貢献していながら、疲れ果てて撤退する須永医師だ。
・「ついに言いたい本題に・・・」
海堂ファンであれば ご存知の 「作者がやりたかった事」 が
規定のキャラを借りて 全開になった 本 でしょうか。
「チームバチスタの栄光」 本筋は 全く外れてませんし 各キャラ健在。 色んな関連の情報も折り混ぜつつ の期待通りの 出来ですが
ついに 言いたい事全開かぁ・・・・ という感想が 1番でした( ̄∇ ̄);
・「昨日届いた・・」
これから読むが、少しページあたりの字数が少ないのでは。水増しか・?!
・「最盛期とのギャップを踏まえた上での評価なので厳しくなってしまいますが……。」
アルスラーンにとって忘れられない少女との再会。遂に揃った十六翼将に襲いかかる悲劇。そして蛇王の復活。パルスに史上最大の嵐が吹き荒れようとする、『アルスラーン戦記』最新刊です。けれどやはり『旌旗流転』までの面白さには届きません。作中で死亡する人物も複数出ますが、その死が軽すぎる。うち一人は、アルスラーンの未来を左右する人物。それなのに衝撃が弱い。「銀英伝」のキルヒアイスやヤンほどの重みを出すのは確かに無理でしょう。しかし、物語の結末にも影響するであろう、主人公の心に大きな影を落とす死なのです。昔の田中芳樹氏ならば、こんなあっさりした書き方はしなかったはずです。せっかく最高に面白い局面なのに、人物の心情、伏線の回収、文章の説得力……その全てが粗い印象を受けました。また、指導者を慕う武将が意外な局面で死ぬ、というのはこれまでも見られ、衝撃を受けてきましたが、今回は……。「彼」のときもルッツの最期くらいの悲哀を演出してほしかった。この作品が氏の最盛期のうちに完結していたら……と思わずにはいられません。
・「とにかく早く終われとしか言いようがない」
みなさんおっしゃっているように、久しぶりの続刊、一気に読みました。でもなにかすっきりしない。昔のような冴えが見られないのはやはりこの物語が一度区切りが着いてしまっており、惰性で続けられているからでしょう。昔の田中氏なら、平和な期間がほとんどないままに蛇王は再臨し、今回のナルサスの策が起死回生の策となっていたはずです。パラフーダが16翼将に入るのも、なにか面倒くさいからさっさと入れた感じが否めません。あの入り方でいきなり将軍になられて兵士は納得しないでしょう。とにかく作者も読者も早く終わって欲しいと思っているようですので、早く終わらせろとしか言いようがありません。追記:どうもこの作者はあとがきを書かせないと話にメリハリが利かなくなるようなので、編集者さんはあとがきを書かせて下さい。おねがいします。
・「筆力崩壊」
兵士A「おい見たか?今度の新しい将軍」兵士B「見た、見た。まだ若いってのに髪が真っ白じゃないか」兵士A「俺たちあの人の下で戦うらしいぞ」兵士B「マジかYO!あんなポッと出の下で!いったいあいつは誰なんだYO!」兵士A「陛下がまだ王太子であらせられたころの知り合いらしいが・・・」兵士B「陛下の!しかしパルスにはまだ第一部を生き残った勇士がいるだろう?例えば千騎長のバルハイ卿とか?」兵士A「そうだな」兵士B「それに角川版のあとがきには○○○○って4文字だった。そう!4文字って言ったらあの人がいるジャマイカ」兵士A「残念だがあの人は亡くなられた」兵士B「亡くなられた!?どうして?kwsk」兵士A「俺もよくは知らん。(あっさりと)怪我が元で(死んでしまった)亡くなられたらしい」兵士B「なんてこった。てっきり俺はあの人は陛下と結ばれてハッピーエンドで終わると思ってたのに」兵士A「俺もだ」(大部分の読者も)兵士B「それになんだあの新キャラ、まさしく小役人じゃないか!いまさらあんなのイラン」兵士A「もっともだ」兵士B「パルスの神々(作者とか編集とか)のなんと無慈悲なことよ。こうなったら一刻も早く完結を望む」兵士A「完結まで後3巻、どの善人から死んでいくのかお楽しみにー」
・「嵐の予感・・!」
(このコメントを書いているのは首都圏における発売日の翌日です)
アルスラーン戦記の最新刊です。魔軍襲来・暗黒神殿と比べて物語がぐぐーーと佳境に入っていく感がありますね。
蠢動し、いよいよ核心的存在を露にした蛇王の眷族。
その闇をふくらませるかのように、アルスラーンにとって大事な人々の哀しい運命、“パルスの智将”をめぐる不安な言動、また彼自身の意味深な発言が、これからの未来晴れやかでないことを浮き立たせているかのようです。
一方で、ダリューンの冴え渡る剣技やナルサス・ギーヴらとの愉快なオトナの舌戦も帰ってきた!
隣国では元パルスの王族閣下が着実に野望の階段を歩んでいたり、シンドゥラの王様がソノ個性を十二分に見せ付けてくれてたりと、かつてのアルスラーンストーリーの醍醐味を思い起こさせるシーンが満載です。
本格的な“嵐”がパルスに駆け巡る!次の展開が待ちきれないながらもこの流れからいくと、さらなる悲しみも襲ってくる気がしてハラハラしてしまいます。
・「惰性で読む」
アルスラーン戦記の登場人物が好きな方が、惰性で読む巻です。
壮大な躍動感も緻密な構成も、第一部に比べて薄い。辻褄はあっているというだけ。アルスラーン戦記が大好きだっただけに、ただ、もうひたすら滞りなく終了することを祈るばかりです。
・「響かなかった.....」
魔王の続編的な話しで登場人物がリンクしたりはいつも通り、会話等は伊坂氏らしいものでそこは楽しめた。 内容としてはあまり目新しさは感じられない。他の作家も既に似た内容の事を書いていたし恐怖は感じず「あぁ、そうですね」な印象。増長だし間延びしている気がして辛かった。
ゴールデンスランバーと似ていると書いていたが、残念ながらあの友人に薦めたくなるような昂揚感は正直本作には感じなかった。
・「賛否両論でしょう」
実験的な作品です?そしてある意味で現在までの伊坂幸太郎の集大成です。伊坂幸太郎のエッセンスはいたるところに散りばめられてます。しかし微妙なところをつきましたね。好きな人にはたまらないはず。姑息なのに姑息じゃない。そんな感じです。物語は破綻寸前かもしれないし、そうじゃないかもしれない。それでも絶妙のキャラクターに導かれて成立しています?私にはかなりツボでした。ただし、魔王と呼吸を読んでいなければサッパリでしょう。そして伊坂幸太郎を好きでなければ最低の一冊になるでしょう。(伊坂幸太郎が好きでも最低の一冊になる人もいるかも。)
・「「勇気はあるか?」、ひと味違う伊坂ワールド」
’08年度の本屋大賞と山本周五郎賞を受賞した『ゴールデンスランバー』から約1年ぶりの長編。’05年の『魔王』の続編とのことだが、あれから50年ほど経った21世紀半ば過ぎの物語で、関連性はさほど強くないので、独立した物語として読むことが出来る。
「実家に忘れてきました。何を?勇気を」と、のっけから伊坂テイストにあふれるフレーズではじまる作品である。渡辺拓海は、多忙を極めるシステムエンジニア。ある日、課長から失踪した社員にかわってプロジェクトを継続実行するよう命じられる。その日から彼の周りで奇妙な事件が続く。先輩社員の失踪にはじまって、同僚の誤認逮捕、上司の自殺、不倫相手の失踪、妻に不倫調査を雇われた男の家の火事など、不穏な出来事のオンパレードだ。しかも、それらは、パソコンである言葉を検索した者に降りかかるようなのだ。この謎を解くべく、渡辺、同僚そして彼の妻や、失踪していた先輩社員も加わって、一大冒険活劇が繰り広げられる。
本書では、あいかわらず、「人を喰ったような」伊坂ワールドは健在だが、書き下ろしとは異なり、もともとは週刊コミック雑誌の連載小説だっただけに、各章の終わりの、次回予告っぽい期待感と、全56章のそれぞれに読みどころがあり、ファンとしては充分楽しむことができた。
・「作品の本筋をないがしろにした読者への甘えが出た作品」
『モダンタイムス』に出てくる井坂好太郎が言う「人生は要約できねえんだよ」は、小説家なる井坂好太郎の作品が映画化によって「粗筋は残るが、基本的には、その小説の個性は消える」経験から放たれる台詞だ。だが、この言葉が今の伊坂作品を象徴している。要約出来ない屁理屈を個性と勘違いし作品に盛るようになり、その盛りは私から言わせてもらえば甘えにしか映らない。個性が消えるような作品だった映画化なら、粗筋でも消えないような本筋を鍛えるようにしてくれ!作品を掘り下げる作業がいかに大変で孤独だと知っているからこそ、生み出されてきた名作と共に作家が尊敬されるのではないか。ラッシュライフ (新潮ミステリー倶楽部)のシンプルさが消え、屁理屈をこねる男と気の強い女がじたばたするだけの作品などに、お金も時間をも注ぎ読むことで読者は何を得るというのだ。
・「あえて厳しく評価です。」
「モーニング」に連載していた時は、次号を待つのが辛かったため、5回くらいで挫折してしまいました。ようやく単行本となったので、喜び勇んで読みました。伊坂作品はほとんど読んでいますが、その期待感で読むと残念ながら、期待以上の作品だったとは言えません。伊坂さんの持ち味である伏線の妙や、人間味あふれるキャラクター像が今回の作品ではちょっと弱かった気がします。以前、インタビューで、作品を書くときには途中で何度も元に戻って、伏線を追加したり、人物の心情表現を追加したりしているんですとおっしゃってましたが、今回に関してはマンガ誌での連載ということもあり、その辺が十分にできなかったことが原因でしょうか。時代の寵児ともてはやされながらも、あえて手を広げず、小説家一本にこだわっている伊坂氏本人が一番、じくじたる思いでいらっしゃるのではないでしょうか。とはいえ、それでもさすが伊坂節!という部分もしっかりありますし、一読する価値は十分にあります。そして、どの出版社からの引く手あまたの彼が、あえて書き下ろしではなく、苦戦が目に見えているマンガ誌での連載ということに挑戦した意気込みは、読者離れ著しい文学界にとって、大きな貢献にもなったのではないでしょうか。
彼は文庫版を出すときに、再度、手を加えてくれる方です。その辺も楽しみにしていたいと思います。伊坂ファンとして、あえて厳しい評価ということで。
●華鬼2
・「鬼頭生家編」
1年2ヶ月ぶりの新刊です。カズキヨネさんの美しいイラストが目立っています。
久しぶりの新刊ということもあって、前編を読み直しておこうかとも思いましたが、簡単なあらすじと本編の中でも人物説明があったので、その必要はありませんでした。舞台は学校から華鬼の生家に移ります。あいかわらずのシリアス展開ではありますが、場所によっては結構あまあまですので、思わずニヤニヤしてしまいました(笑)。「鬼」という独特な設定のためが、各キャラの背景説明がやや多めで、ちょっとくどい感じもしましたが、謎がそれなりに解けたのでマイナス要素にはならないかと。
期間限定特典の番外編「華の追憶」がネットから読めます。前編にも初版限定の番外編小説がありましたが、今回は「期間限定」(2009年1月9日まで)ですので、無理して初版本探す必要はないと思います。
全3巻予定だった華鬼ですが、なぜが全4巻に変更になりました。このペースだと完結は2010年(汗)。気長に待ちましょう。
・「待ってました。」
約一年ぶりの新刊です。次からのはもう少し早く出るそうですよ。
・「こどもの後ろ姿に、複雑な思い。」
「これは小説なんだ…」何度もそう思いながら読み進めました。
この小説はタイを舞台に幼児が売春宿に売り飛ばされ、挙げ句生きたまま臓器売買されるというショッキングな内容と並行して、それを阻止しようとする現地NPO団体の苦悩を描いたものです。 あまりにも後味の悪い結末とともに途中何度も憤怒の涙を流した私は、気になって他の方(有名無名を問わず)のレビューも読んでみました。 大体が「取材不足」や「リアリティ不足」などとありましたが、ルポルタージュではないにしろ、ここまで肉迫した文章を小説として世に出した梁 石日氏に私は拍手を送りたい気持ちでいっぱいです。
なぜなら、フィクション、ノンフィクションの違いはあれど、火のないところに煙は立たないのです。 取材不足といわれる所以となった現実味に乏しいと言われる文脈も、あえて『小説』という仮面をかぶせたら普段問題意識のない市井の人にも提起できると感じたからです。 それは普段平和の中に身を委ねた私自身が、作中涙も枯れ果てたこども達に魂を重ね合わせられた瞬間だったからです。
・「めまいがするほどの衝撃作」
本書を読むということは、まるで自分の中に潜む悪魔と向き合うことのようでもあり、手に取るまでにも相当の勇気が要った。人間はここまで残酷になれるものなのか?野獣以下の描写の嵐には悪夢にうなされるほどだった。私達があまりにも無知だったこと、メディアが機能していないこと、全てが狂い出していること・・その闇の深さに今、気の遠くなるような息苦しさを感じている。何も知らずに、知ろうとせずに、海外の繁華街で、チャラチャラとお金をバラ撒いていたかつての自分が恥ずかしい。まずは「知ること」から最初の一歩が踏み出せると信じて、今後もこの問題に関心を持っていきたい。
・「どうあがいてもこのプロットでは偽善臭を消せないと思う。」
前半のタイでの人身売買・売春の実態の凄まじいばかりの描写は著者の真骨頂ともいうべきもの。
貧困がひと一人の命の価値を限りなく軽くする。
ただ後半の展開は微妙。犠牲になる子供を救おうとする主人公の日本人NGO職員の葛藤。
根底の原因が貧困である以上、NGO活動の対症療法が問題の根治には繋がらないという著者・読者の共通認識があるからどうリアリティを出そうとしても偽善臭が消せない、と思うのはあまりにもうがった見方でしょうか。
一人や二人の子供を救ったところでどうなる、というメッセージは本書でも繰り返し発せられていますが、わたしは中途半端な希望を見出すような展開は不要、興醒めであると思いました。
・「えぐすぎる・・」
限りなくフィクションです。
タイやベトナムなどで今も行われてる人身売買・・
人は自分の環境と全く違う物は意識して見ないようにしたいです。
「闇の子供たち」を単純に小説としてアラ探しするような事は違うと思う。
よくぞここまでリアルに生々しく書いてくれたものだ・・これぐらいインパクト与えないと 僕ら平和な日本にいてる人間は理解できん
ペドファイル(小児性愛者)
全員死ねーーーーーー!!!!
・「フィクションとは思えない生々しさ」
タイの少女買春、臓器売買を扱った作品。7〜9歳かそこらで売られ、そのまま売春窟で働くことになった少年少女の悲劇、彼らを救おうとするボランティア団体の奔走、臓器売買シンジケートの内情を描く。親に売られ、売春させられたうえ、ティーンエイジャーになる前に臓器売買のシンジケートに再び売り渡されるという悪夢のようなエピソードや、エイズを発症しスモーキーマウンテンのようなゴミの山に捨てられる少女の話しが出てくる。フィクションだが、ドキュメンタリーのような生々しさがあり、読んでいるうちにほんとうにあったことと錯覚しそうになる。背筋の凍るような話しで、結末もやるせない。
・「めくるページが段々と速くなる(笑)、一気呵成のエンタテインメント!」
「シャングリ・ラ」で読書人たちを唸らせた池上永一、今作もまた負けず劣らずの傑作、筒井康隆に北上次郎、文壇界と書評界の御大が本の帯で絶賛するのも納得の、手に汗握り、熱い魂を感じながらの疾風怒涛の426ページだ。時は19世紀の琉球王朝、これは、千年の眠りから醒めた龍たちが、雷となって大空を疾駆しながら発情する夜に生まれた伝説の女性真鶴の物語。百花繚乱、絢爛豪華、艶やかな舞台を司るキャラクターたちが実に素晴らしい。真鶴はもちろん、朝薫、詞勇、雅博、多嘉良、聞得大君、麻真譲と正に千両役者に魑魅魍魎が揃い、物語を動かす。待ち構える驚くべき真実、謀略、思慕、活劇。薫りたつロマンティシズム、そこはかとない色気、冴え渡る知慮。これもまた紛れもなく冒険小説、若き血潮の青春小説、そして正真正銘の大エンタテインメント!阿片戦争後、清国への列強の脅威と薩摩の干渉が強まる中、生き残りと自主独立、かって隆盛を極めた琉球王国を復興を賭けた者たちの、熱い思いと信念が伝わってくる。文学でありながら、チャン・イーモウ映画の爛熟な歴史絵巻劇を想起させるし、世にも美しい男装者と女装の踊り子たちの絡み合いが宝塚歌劇のようでもあり、登場人物たちにより詠まれる琉歌が、まるでオペラの如き情感を醸し出す。男として生きる事を受け入れた真鶴の、その凛々しさと高潔さ、高邁な精神と、時折垣間見える女らしさ、健気さ、愛しさに涙、涙。一刻も早く後編へと進みたい衝動に駆られる事確実、秋の夜長のお供として格好の1冊と言っておきたい。
・「これは酷い」
宣伝文句に惹かれて購入しましたが・・・正直なんでこんなに高い評価がされているのかわかりません。
まず文章力が携帯小説レベルです。明瞭でわかりやすいと言えば聞こえはいいですが、語彙数が少なく表現がありきたりなだけです。日本の作家はここまで文章が書けなくなったのか、と嘆かずにはいられませんでした。
せめて宣伝文句にあるように設定が斬新であれば、と期待したのですが内容は上下を通して一昔前の設定(男装美少女、運命の子など)の詰め合わせで、読み終わる頃には疲れました。
以上の理由から、私は高い金を払って買う価値はないと感じました。
・「宣伝文句に偽りなし」
面白い。とにかく面白い。ちょっとした暇つぶしのつもりで読み始めたもののページをめくる手は止まらず、上下巻850ページ一気読み。友人との約束を一つすっ飛ばしてしまいました。
多少の誇張が含まれてるものと、宣伝文句は眉に唾つけて接してますが、この本に関しては嘘偽りなしの100%保証つきですよ。
・「続編が早く読みたい」
著者が沖縄ものを書くと、とにかく面白い。(前作にはあまり感心しなかった。)王朝末期の首里城を取り巻く人達の生き様を、虚実を交ぜて描く、大河ドラマ。再建された首里城に、どんなドラマがあったのか、何度も行った割には、想像をめぐらすことができなかったが、これからは、生身の人達が苦悩した場所として見ることができるだろう。琉球王朝がどんなに洗練されていたかは、博物館へ行けば分かるが、本書を読んでから首里城を仰ぎ見れば、沖縄への理解度が深まること間違いなし。明治以降、主人公達がどう生きたのか、明がどうなったのか、続編が待たれるところ。
・「スラップステッィクな歴史大河コメディ」
いわゆる「歴史大河小説」を求めている人にはつらい小説だと思う。軽い。地の文もセリフもすごく軽い。登場人物や設定は、漫画でよく出てくるようなものばかりで、やたら大げさに繰り返される審美的な描写は、なんだかありきたり。でも、そのキッチュな文体と琉球詩の取り合わせが、なかなか楽しいリズム感を作り出してもいる。傑作ではないけど、渾身のB級大作。「HERO」とか「LOVERS」とか、チャン・イーモウ監督の武侠映画を楽しめる人にならおすすめできます。
・「久々に胸打たれた素晴らしい本です」
シャーリー・マックレーンの娘さんが西の魔女を演じるとの大きな特集を読売新聞で読み、この本を読んでみることにしました。
児童書でもあるようですが、40台半ばにさしかかった私には、主人公の中学生の気持ちも、その母親の気持ちも、そして主人公の祖母の気持ちも、どれもが手に取るように理解できました。
読みやすく、描写も文体も美しいです。 「おばあちゃん」の一言一言がものすごく大切なことをさらっ、と言っているので、何度も読み返してしまいました。
テーマはとても奥深く、スピリチュアルで、人がなぜ生まれてなぜ苦労をしながらも生きていくのか、本質をついていました。
読みながらも目頭が熱くなりましたが、読み終えた後は、自分でも理解できないぐらいわんわん泣いてしまいました。
心の豊かさがどのようにして育まれるのか、経済的に余裕がなくても、母親として子供にしてあげられることの中で、何が一番大切なのか、あらためて確信した次第です。
物を沢山持つことが、文化ではないことがよくわかる一冊です。
・「ラストがとにかく”ぐっ”とくる」
不登校の中学生まいは田舎のおばあちゃんのところで暮らすことになる。英国人の古き良き時代の伝統を引き継ぐおばあちゃんは「私たちは魔女の家系なのだ」と告げる。魔女になるには規則正しい生活と何でも自分できる事が大事なのだ。山に囲まれた自然豊かな家で少女の心は次第に緊張がほぐれていく。
生活描写がとてもいい。特に食べ物に関して。野いちごのジャムは作り方が克明だし,ハーブ入りののサンドイッチや朝食のハムエッグ,そしておばあちゃんの得意料理のキッシュはとても美味しそう! ラストがとにかくぐっとくる。(種をあかすと「ぐっ」とこなくなるのでここでは言わない。)いつか訪れるであろう人生の予行練習とも言える一冊です。
・「うーん」
たしかにいい話だし、読んだ後に温かい気持ちになる。が、それまでだった。なにか物足りなさを感じる。これは果たして私が時間をかけてじっくりこの本を読まなかったせいだろうか。言葉が簡単だしすらすら一気に読めるので、今まで読書と縁がなかった人がそれとの接点をもつ機会としての一冊とするなら問題はないだろう。
・「14歳からの哲学がすべて織り込まれているようなメルヘン」
現在山梨県の清里で映画化のための撮影が行われているとの記事を見て読んでみた。凄く身近な出来事(不登校、里山、老人、家族)なのだけれど、凄いです。児童文学などという枠の作品ではないと思います。池田晶子さんの「14歳からの哲学」が全部織り込まれているようです。それも非常に分かりやすく。そして心と身体性の問題である心脳問題までも。。生きる事、死とは何か。主人公の「まい」とイギリス人なのだが、より日本人らしいおばあちゃんとの心の交流と自然の中での生活を通して人間全てが良い魔女であるべきただと語りかけているのだと思う。
通勤電車の中では読まない事をお勧めする。
・「説教くさいし子供には読ませたくない」
可もなく不可もなくといった内容。なんだか人物描写がいまいちで、登場人物に共感できませんでした。主人公もひねくれてるし、母親も役立たずだし。それにおばあちゃんの生活をオールドファッションと言ったり。結局、こういうのっていいよね、でも、現代じゃもう世知辛いよねって皮肉っぽい響きを感じました。
なによりいまいちだったのは主人公まいの成長と言うものがどうも感じられなかったところです。そもそも不登校の原因はすれ違う母と子の環境にあるような書き方をしてるのに、どうも何も改善されていないようで。
この小説で言いたいことは「こういうおばあちゃん大好き!」というただそれだけのことだと思う。そこから発展するメッセージが何一つなかった。深いことを書いているようでその浅さを随所に感じた。「面白いよ」と薦められた本だけに期待してこんなきつい評価をしていますが、電車の中で読む文には普通に時間をつぶせると思います。
ケータイからは、シンプルアマゾン(モバイル版)をご覧下さい。
シンプルアマゾンは、安心・安全のネットショッピングAmazon.co.jpの商品を紹介しています。
簡単アフィリエイト:あなたのAmazonアソシエイトIDをアドレスの最後に付けるだけで簡単キャッシュバック!(例:1sas.net/?yourid-22)一度IDを付ければ、シンプルアマゾン内の全商品が紹介料の対象になります。アソシエイトIDはこちらから登録可。