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▼全書籍:人気ランキング

理科系の作文技術 (中公新書 (624))理科系の作文技術 (中公新書 (624)) (詳細)
木下 是雄(著)

「これは・・・」「心は盗んでも技は盗むな」「文系の方にも是非」「文系、そして教育者の方に是非」「理科系に限らず」


グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー) (詳細)
スコット フィッツジェラルド(著), Francis Scott Fitzgerald(原著), 村上 春樹(翻訳), 村上春樹(著)

「内容よりも雰囲気を訳した作品」「素晴らしいかもしれない」「絶賛の嵐のようですが・・・」「最高の曲を、天才がアレンジした音楽」「村上春樹のベスト1」


死ぬ瞬間―死とその過程について (中公文庫)死ぬ瞬間―死とその過程について (中公文庫) (詳細)
エリザベス キューブラー・ロス(著), Elisabeth K¨ubler‐Ross(原著), 鈴木 晶(翻訳)

「人生の終末を選べるのなら…」「人生を考える20世紀の古典」「直らない病気に冒された患者の心」「良書だがいくつか疑問も」「結構おもしろい」


スカイ・クロラ (中公文庫)スカイ・クロラ (中公文庫) (詳細)
森 博嗣(著)

「これは最終巻ではありません」「純度」「僕らのどこかの部分としての『キルドレ』」「スカイ・クロラ・・・この一冊を乗り越えれば「ナ・バ・テア」で魅せられる」「ある意味、不思議な作品。」


安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方 (中公新書)安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方 (中公新書) (詳細)
山岸 俊男(著)

「「信頼」をキーワードに社会的矛盾を鋭くえぐる警世の書」「「品格」よりも、社会構造」「おかしな実験、おかしな結論」「「人生捨てたモンじゃない論」を放つ実しやか元気な本。」「社会心理学って面白い」


ある明治人の記録―会津人柴五郎の遺書 (中公新書 (252))ある明治人の記録―会津人柴五郎の遺書 (中公新書 (252)) (詳細)
石光 真人(編集)

「辛酸をなめた会津の少年の記録」「敗者側の貴重な証言」「何となく買ってしまった本だがおもしろい」


新訳 君主論 (中公文庫BIBLIO)新訳 君主論 (中公文庫BIBLIO) (詳細)
ニッコロ マキアヴェリ(著), Machiavelli(原著), 池田 廉(翻訳)

「現代にも通じる処世術」「苦味が美味しく感じられる頃」「欲望とは何か、欲望に何が出来て、また何をしてしまうのか」「うんうん」「政治学の古典的名著」


経済学的思考のセンス―お金がない人を助けるには (中公新書)経済学的思考のセンス―お金がない人を助けるには (中公新書) (詳細)
大竹 文雄(著)

「世の中の問題を経済学という切り口で見る時のポイント」「センスのいい入門書」「一般人と経済学を繋げる良書」「新書とはかくあるべき」「経済学という眼で見ると世の中も変わって見える」


流れる星は生きている (中公文庫BIBLIO20世紀)流れる星は生きている (中公文庫BIBLIO20世紀) (詳細)
藤原 てい(著)

「流星とエネルギー不滅の法則」「終戦記念日に手にして欲しい一冊」「母は強し?」「極限状態での人間の強さと弱さ」「いや、すごいの一言。」


八日目の蝉八日目の蝉 (詳細)
角田 光代(著)

「すべてを捨てても、だた一つ大切なものを守りたい強さ」「泣ける」「湘南ダディは読みました。」「血のつながりも、恋愛を超えた愛」「この本はサスペンスではありません」


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▼クチコミ情報

理科系の作文技術 (中公新書 (624))

・「これは・・・
著者の文章はキレがあって読みやすい。さすがに、こういった本を出すだけのことはある。最近ではめったに出会わなくなった名文。また、名文を書く人。そのような今日にあって、文章の書き方・論理構成がわからない人は必読だ。文系の人が読んでも大いに役に立つ。

しかし昨今、プレゼンテーションや学会発表はパソコンが主なだけに、少々古いなぁと感じた。あとは、文句の付け所がない。

・「心は盗んでも技は盗むな
理系の中では定番本でしょう。私も初めて論文を書くとき、先輩から薦められて読んだクチです。 著者が多数の論文を読み、書く中で苦心なされた跡がにじみ出ています。その中から得られた知見は含蓄に富んでおり、理科系論文を書く座右の書としてお勧めできます。特に初めて論文を書く者には、この本から学べる事は多いでしょう。

ただし、著者の薦める文章の書き方は必ずしも一般に通用するものではない、という事について、私は敢えて苦言を呈したいと思います。例文に見られる著者自身の文章は独特のクセがあり、残念ながら、万人が真似してよいものかどうかは疑問です。 著者の技巧は、それを苦労の末に体得した著者のみが使えるもので、一般の読者は読者自身の書き方を会得すべきでしょう。心は盗んでも技は盗むな、と私は言いたいです。

・「文系の方にも是非
要するに,「伝えたいことを誤解なく伝え,読み手を疲れさせない文章」を書くために必要なことがまとめてある本です。私はだいぶ昔に読みましたが,今でもそのときの心がけは仕事にも役立っています。伝えたいことをぶれずに伝える技術は文系にも必須なものです。とりあえず一読することをおすすめします。

・「文系、そして教育者の方に是非
理科系の、と銘打ってはいますが是非文系の方、小説やエッセイを書きたいと思っている方には是非読んでいただきたい。独りよがりな書き方はなくなり、シンプルな文が書けるようになるはずです。

文を書く訓練は小さいうちからはじめたいもの。その意味で、教育にたずさわる方に熟読していただき、各地で実践していただきたいと思います。

・「理科系に限らず
「理科系の作文技術」というタイトルだけあって、レポートや論文を書く学生、報告書や仕様書を書く方など、理科系の方に是非薦めたい。また、文系の方にも一読していただきたい一冊である。

私は、レポートを書いたことはあるが、特に文章構成等を考えないで書き上げてきた。そんな自分に一筋の光をもたらしたのがこの本である。

この本は決して、人を感動させる文章を書くためのものではない。他人に読んでもらうことを目的とし、読む側のことを考えた、仕事の文章を書くための教科書と言える。内容は、文章を書くための準備作業(立案)から、文章の組み立て、パラグラフ(段落)。序論、本論、結びの組み立て方などを、例を挙げながら説明している。

この方法が、全ての文章の書き方に通!用するとは思わないが、納得させられるところが多かった。また、著者の歯切れの良い文章で書かれているため、非常に読みやすい。

是非、一読していただきたい一冊である。

理科系の作文技術 (中公新書 (624)) (詳細)

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

・「内容よりも雰囲気を訳した作品
私は現在アメリカのロスアンゼルスの高校三年生ですが、此処では「グレート・ギャツビー」は必修科目です。高校三年の英文学のカリキュラムはアメリカ文学史。ヘミングウェイ、フィッツジェラルド、スタインベックと進んでいきますが、その中でも一番重点を置かれるのがこの「グレート・ギャツビー」。私が村上訳を読もうと思ったきっかけは、私の英語の先生が「日本で有名な作家のムラカミという人がギャツビーを訳したが、それはとてもいい訳だとウォールストリート・ジャーナルで読んだ。是非読んでみないか?」と進めてきたからです。

三島由紀夫を英語で読んでもいまいちなように、フィッツジェラルドを日本語で読むなんて!と最初はあまり乗り気ではありませんでしたが、「ノルウェイの森」や「海辺のカフカ」など他の村上さんの作品は愛読していたので、「まったくイメージが違ったとしても、『村上の作品』として読めばいいかな」と思って注文し、読んで見ることにしました。

原文でかなりの衝撃を受けた私ですが、この訳にはさらなる衝撃を受けたといわざるを得ません。訳が見事なのはもちろんですが、あらゆるギャツビー関連のエッセイを授業で読んだ上で、なんともいえない解釈の深さに驚きました。言語が違ってしまうと醸し出す雰囲気も当たり前のように変わるものですが、村上さんの描くギャツビーは、まさしく僕のイメージのギャツビー、いや、アメリカで学ぶフィッツジェラルドの描こうとしたギャツビーそのものなのです。

ただ単に、筋が通るように語句を並べて訳しているのではなく、フィッツジェラルドの原文に等しい「雰囲気」を作り出すように丁寧に言葉を選んでいるのが伝わってきます。もちろん数箇所は「ここは(作り出す雰囲気が)原文の通りじゃないな?」とか「あれ、此処は意味が隠れているはずなのにな?」と思うところもありますが、それ以外は「もしかしてフィッツジェラルドって日本語も書けたのかい?」と思わず唸ってしまうほどの出来です。

ヘミングウェイやカフカの和訳でよく見られるように、訳された作品には「内容」を重んじたものが多いです。つまり、同じストーリーは伝わるのですが、そこから感じられるイメージ、雰囲気、感情の揺らぎなどはなかなか伝わりません。和訳を読んでから原文を読んだり、その逆をしたりすると「あれ?このキャラクターってこんな風に思っていたんだ」と驚いてしまうことが多いです。

しかしこのギャツビー、全てのキャラクターが、原文と同じように考え、行動し、会話や動きからは原文と同じ雰囲気を作り出してくれます。これはもう、神業です。かなりのギャツビーファンとして、映画版も何バージョンか観ましたが、それよりもこちらのほうがより正しく、よりフィッツジェラルドらしいムードを作り上げてくれます。

原文を読んだことある方も、「いい作品と聞いていたけど、結局は訳だからなぁ……」と悩んでいる方にも、是非是非お勧めです。

唯一気になる点は、「Gatsby」は「ギャツビー」ではなくずっと「ギャッツビー」だと思っていたところですかね。人によって発音は違うみたいです。アメリカでは後者が主流。(笑

以上、文学ヲタによるレビューでしたっ。

・「素晴らしいかもしれない
 野崎訳の同書を読んで、なんとなくその素晴らしさをわずかに感じていました。でも、それがどういうことなのか分からない。フィッツジェラルドの来し方に触れるものであるということは間違いない。でも、そこに何があったのだろう?そう思って野崎訳を数回読んだものです。 そして、今回村上春樹訳の本書が出るということで期待して読みました。前々から、村上さんは「グレート・ギャツビー」を翻訳したいと色々な場で言ってましたし、「ノルウェイの森」にも出てきました。それを知っていたので、「いよいよ来たか」という感じでした。 読んだ感想としては野崎訳とは違うものでした。とにかく読みやすい。意外に古い作品なんだってことを再認識させてくれました。今まで、そう思わせなかったのは野崎孝という翻訳家の才能によるものでしょう。 ニック・キャラウェイの立ち位置、ジェイ・ギャツビーの悲哀、すべてが解けるように僕には感じられました。そういうことだったのか・・・と。 同時に野崎訳とのズレもあります。それは致し方ないことです。英語で書かれた文章を完璧に移し変えることなんて不可能なんです。しかも、時代も違う。それに耐えうる作品が名作として残るんですよ。 「グレート・ギャツビー」は劇的な感想は抱けないものだと思います。しかし、じわじわとくる印象があります。読者が経験することによって、「こういうことだったのか」という不思議なシンパシーめいたものを感じることの出来る作品だと思います。想像以上に深い作品だなと改めて思い知りました。 でも、この作品の本質というか、全体的な「これはこういうことだ!」という感想が抱けないんですよね。これは決して悪いことではありません。逆に可能性を感じるくらいです。それは作者、訳者の責任ではなく、読者の責任でしょう。 この作品をちゃんと理解できるようになりたいです。

・「絶賛の嵐のようですが・・・
翻訳者の村上氏がいうほど良い小説でしょうか?自身の感想としては「並」の話しかなと。

ただ村上氏によると、この小説のどこがいいのかと聞く人間には文学を語る資格が無いようですので、私が少数派なのでしょう。

正直、翻訳自体にも意味が不明というか、情景が伝わらない箇所も多く限りなく☆2つに近い☆3つです。

・「最高の曲を、天才がアレンジした音楽
言わずと知れた、村上春樹さんによる翻訳の話題作です。村上さんは、これまでにも様々な海外小説(特にアメリカ小説)を翻訳なさって、紹介されていると言うことです。僕はハルキストといかないまでも、村上さんの小説は大好きで、沢山読んでいましたが、正直翻訳された小説は読まないできました。というのは、村上春樹はオリジナルの小説家であって、人の小説を訳すサブの仕事(翻訳者の皆様すみませんm(__)m)には向かないのではないか、村上春樹が訳せばどんな作品も村上節(?)になってしまい、原作を楽しむといった意味では、プロの翻訳家の方のものを読んだほうがいいのではないか、と勝手な独り決めをしていたからです。それでも今回「グレートギャツビー」を読むにあたって、村上訳を選んだのは、同じく村上訳で先行して話題となっていた「キャッチャーインザライ」の訳業より本作のほうが評価が高かったようだからです。(「キャッチャー…」は「これは原書とは違う、村上作品である」との評が目立ちました。)

・「村上春樹のベスト1
訳者後書きで、春樹氏は『グレート・ギャツビー』を人生で出会った重要な本のベスト1に挙げている。後の2冊は『カラマーゾフの兄弟』と『ロング・グッドバイ』だそうだ。後者は未読なのでわからないが、確かに『カラマーゾフ・・・』と比較しても遜色のない、文学史上に輝く名著であることは確かだと最後まで読んで思った。野崎訳や映画をちらりほらりと以前から読んだり観たりはしたが、「優れた読み手でもある春樹氏がなぜそこまで推しているのか」不可解だと思っていただけに、今回読了してようやく合点がいった。ようするにこの本はとっつきが悪いが極めて優れているのだ。もう少し踏み込んでいえばそれなりの読解力があってはじめてその真価が理解されうるという類いの文章なのである。私も後数度読んではじめてもっと作品の良さを味わうことができるのだろうな、と痛感。還暦を前にしてやっとこの本を訳す心構えができたと春樹氏が言うのも仕方ないな、という奥のふか〜い1冊です。

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー) (詳細)

死ぬ瞬間―死とその過程について (中公文庫)

・「人生の終末を選べるのなら…
私がこの本に出会ったのは、わずか13才の時。精神科に看護婦として勤める母が愛読していた事で、タイトルのインパクトから好奇心をくすぐられて読んだのが最初だった。13才の私にはどう読んでも「死」への恐怖が強調されているようで(怖かった…)と印象に残っていた。そして今、32才になり、友人・我が子を見送り、いずれは母・そして私にも必ず訪れる「死ぬ瞬間」をいかに迎えるのか?そのために日々をどう生きて行くのか?皆が恐れてやまない「死への恐怖」のメカニズムを、精神科医である著者が見事に解き明かしてくれている。13才のあの時、読んでいて良かったとも思える。トピックが「死」であるからといって、子供には…などど思わず、直面する現実を親子で考える時間のきっかけにさえなる。良書とはこういうものであり、これはそう呼ぶに相応しい1冊だと確信する。

・「人生を考える20世紀の古典
著者はスイス生まれの心理学者。アメリカへ渡り、200人の末期ガン患者に直接面談し、彼らが死にいたるまでに、「否認と孤立」「怒り」「取り引き」「抑鬱」「受容」の5段階の心の動きがあることを発見した。何人も死を恐れているのだが、なかんずく、「病気を治療する」ことのみを教育された医者そのものが死を直視しようとせず、治る見込みのなくなった患者をいかに孤独のうちに死に追いやっているかを鋭く指摘する。尊厳死とかホスピスの出発点となった本であり、それらの著作のある日本の山崎章郎氏や柳田邦男氏にも大きな影響を与えた。レイチェル・カーソンの「沈黙の春」が環境保護運動の出発点となったように、この本は尊厳死の古典となるにちがいない。

・「直らない病気に冒された患者の心
直らない患者に医者は冷たい、という。病院は病気を治すところであって、直る見込みのない病気はもはや医者のものではないからである。末期医療の重要性が認識されて久しいが、この現状は今も変わらないようだ。

直る見込みのない病に冒され、死を待つしかない患者の心は、想像を絶する。本書はそうした末期患者へのインタビューを通して、患者の怒り、恐怖、不安、悲しみを和らげていく試みの記録である。

何人もの患者が登場するが、皆、何がしかの凝りを心に持っていてそのために苦しんでいる。インタビューをきっかけにその心情を吐き出し、家族との絆を深めたり、心の平静さを取り戻したりしていくその様子にはほんとうに胸を打たれる。

キューブラー・ロスといえば臨死体験とか死後の世界というイメージが強いが、本書にはそういったニュアンスは全くない。原書の出版は1969年というからもう40年ちかく前になるが、いまだに末期医療のバイブルとされている名著だそうだ。その評判に偽りはない。

・「良書だがいくつか疑問も
 「死の五段階受容説」を提唱した本として著名である。 しかし、読んでいて不思議に思ったのだが、必ずしも著者自身は「五段階の受容が段階的に行われる」とは明確に書いていないのだ。確かに、章には「第一段階 第二段階」とあり、「まず最初の反応は・・である」という書き方がしてあるのだが、ここで挙げられている具体的なケースとなると、必ずしもこの五段階をその通り踏んでいない変則的なケースの方が多い。なので、「五段階受容」と理解してしまうと、必ずしも実際にそぐわないのではないか、という疑問がある。 もうひとつの疑問は、おそらくキリスト教的死生観から来る「受容」をベターとみなす価値観である。「死」が約束されているひとは、「死」と闘おうとせず、静かに来るべき「死」と和解したほうがよい、という価値観から設立されているのがホスピスである。しかし、宗教的なバックグラウンドなしに、「死」と和解して死んだほうがよい、と言い切れるものだろうか? あくまで「死にたくない、生きていたい」と生に執着する生き方もあるのではなかろうか? この本に関して以上のような疑問があまり表立って唱えられていないが故に、わたくしは不思議に思う。実際、日本という非キリスト教国では、ホスピスはうまく機能していないのだ。 疑問は呈したが、末期医療に一石を投じた古典であることは間違いない。日本の読者と言えども一読の価値はある名著だ。

・「結構おもしろい
この本は1969年に出版されてから、末期医療に関わる人の「聖書」とも言うべき存在になっているらしい。ガンなどの病で亡くなる患者の死は、一瞬ではなく、五段階に分かれるという、「死の五段階説」について書かれているのがこの本の大きな特徴。まずガンを告げられた患者は「否認」の状態に入る。つまり、「俺がガンになるわけなんかない」と考える。2段階目は「怒り」である。「何故俺(私)なんだ。」という気持ち。3段階目は「取り引き」。「俺(私)が死ぬのはしょうがないから、息子が20歳になるまで生かしてください」と神や医者と取り引きをしたがる。4段階目は「抑鬱」。入院によって体力がなくなり、病気の事実を否定できなくなると、無気力や喪失感が生まれてくる。そして最後が「受容」。この段階に入って患者は死を覚悟する。この5段階は人によって長さや順番が変わることもあるという。自分は別に医療に携わる仕事をしているわけでもないし、その予定もないが、なかなか勉強になった。

死ぬ瞬間―死とその過程について (中公文庫) (詳細)

スカイ・クロラ (中公文庫)

・「これは最終巻ではありません
これが最終巻だとレビューを書いている人がいますが、これは誤りです。出版された順に並べると以下のようになります『スカイ・クロラ』『ナ・バ・テア』 『ダウン・ツ・ヘヴン』 『フラッタ・リンツ・ライフ』 『クレィドゥ・ザ・スカイ』 敢えてはじめから時系列順に読む必要性は無いでしょう。これからスカイ・クロラシリーズを読もうと思っている方は参考にしてください

*追記全体として読んだときのストーリの最終巻は確かに本巻なのですが、やはり出版順に読むのがベターです。いきなり時系列順に読んでしまうと楽しめないトリックも多いからです。

・「純度
時代は現代っぽいのだけど、社会は戦争をしていて、しかし全市民が戦争をしているわけではなく、企業が仕事として、戦争をしている。

そういう背景設定。

主人公はその企業の飛行機のり。敵の死、同僚の死。そういう中にあって、主人公は「キルドレ」。最後には衝撃的だけどクールな結末が待っています。

僕はこの本を昼休みは就寝前に、こまぎれに読みましたが、読んでいる間(1週間くらい?)は、とても幸せな気分でした。

小説を読んでいる間、空を飛ぶようにトリップした気分になれます。なぜなら、この小説の訴える部分がとても純粋だから。その純粋さゆえに、自分の中の汚れが浄化していくような気分です。

続編「ナバテア」も読んでみたいと思います。

・「僕らのどこかの部分としての『キルドレ』
2001年6月リリース。森博嗣がミステリィの謎解きを捨て去り純文学に挑戦した最初の作品、と言うことができると思う。このように出来上がった作品を読むと森氏の文章は実に切れる。僕は今の文学界でこれほどの切れ味を持った作家をあと一人しか思いつかない。もう一人は村上春樹だ。

森ワールドからさして重要でも無かった『謎解き』と『おちゃらけな会話』を除く。そこには極めて純度が高まった純水のような新しい森ワールドが出来上がる。この高純度森ワールドの登場人物たちは、純化されつくした生死を語り、空を飛び回る。秒単位で自分の思考と視点を捉え、その時の感情を自分なりに表現する。そういった『刹那』がこの作品にはあると思う。

それは実は『僕ら』を高純化させれば奥の方に残るもの。僕らのどこかの部分としての『キルドレ』を読んでいるのかもしれない。それを描ききった本作こそ森博嗣の現時点の最高傑作だと思う。

・「スカイ・クロラ・・・この一冊を乗り越えれば「ナ・バ・テア」で魅せられる
最初一読したときは、まったくおもしろく感じませんでした。でも、皆さんのレビューを読み、映画までなるんだから面白さはあるのだろう・・・どこにある??なぜ私は探せないのか・・・・悔しくって、二読しました。ニ読してる途中・・・なぜか次の話を読みたくなり途中で続きの「ナ・バ・テア」を読みました。このスカイ・クロラがおもしろくなくても、頑張ってナ・バ・テアまで読んでください!!!!!!ナ・バ・テアを読むとなんだか最初の1ページでぐっとおもしろいです!!!!!!!!この作品はあくまでシリーズで読まないと意味がわからない・・・と思います。「ナ・バ・テア」でなるほど、この作品がフューチャーされている意味がわかると思います

・「ある意味、不思議な作品。
映画化の話が出る前に読んだのですが、これが果たして魅力的な本なのかは、かなり疑問なところです。この疑問は作品そのものよりも、むしろ作者に対するものが大きいのかもしれません。というのも、小説内に使われている表現自体は悪いものではないのに、キャラクターの行動や全体の流れ、小話などは空回りな感じ。これはこの作品だけでなく、作者の他の小説に対する総評として、自分がずっと抱いてきた感想です。

シリーズものなので、あえてこの巻では話の流れを理解できないようにしたのかもしれませんが、これは逆効果だと思います。少し、狙いすぎた感じがしすぎていて…このあとのシリーズも読んでいくたびに、ニヒルに構えている感は否めないです。

人気は高いようですが、過度の期待は禁物。むしろ、こちらもニヒルに構えて読んでいくと、良いかもしれません。

スカイ・クロラ (中公文庫) (詳細)

安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方 (中公新書)

・「「信頼」をキーワードに社会的矛盾を鋭くえぐる警世の書
コンピュータの信頼性から人間に対する信頼まで,我々を取り巻く日常は「信頼」の二文字をベースに回っていると言っても過言ではない.

にもかかわらず,日本人の言う「信頼」は,グローバルな社会にあっては,むしろ人間関係の障害になりかねないと警告する.つまり,我々のいう信頼は実は本当の「信頼」ではなく,本来は「安心」とでも呼ぶべきものであり,「内なる人々に向けた“安心”」は,実は「“外”の人間を分けへだてる“障害”」になっていると指摘する.

こわいのは,そうした矛盾を知らず知らずに,しかも無邪気に再生産しつづけてしまう我々の意識と社会的システムである. 著者はこうした「社会的矛盾」に真っ向から取組む気鋭の学者である.

根源的テーマに挑み続ける著者のそんな姿勢は,読者に,「大事なキーワードは自分のアタマでしっかり考えなければいけません」と迫っているようにさえ感じられる.

人々は,現代を不確実な世の中だと嘆く.しかし,“人こそが最高の不確実な存在”なのではないだろうか.とすれば,不確実というコインの裏には『無限の創造性や可能性』が潜んでいると前向きにとらえることもできるはずである.

とすれば,問題は不確実性そのものにあるのではなく,人間を含む「不確実なもの」を“与件”としてしっかり見据え,その上で,『本当の信頼構築』に向けた“我々の正しい理解と日々の行動”が求められているのだと思う. 本書はそうした,いわば“信頼構築の旅だち”に向けたガイドとなる好著である.しかも,新書版でもあり読みやすい.

すでに何人かの友人や後輩に紹介してきた.「信頼」について考えあぐむ人たちであるが,異口同音にその鋭い問題提起に感嘆している. 著者の前著「信頼の構造」(日経文化図書賞受賞,東京大学出版会)の姉妹編である.余裕あればこちらもあわせて読むことをお薦めしたい.

・「「品格」よりも、社会構造
糸井重里氏の『インターネット的』(PHP新書)で紹介されていたので読んでみました。期待以上に興味深い本です。

もっとも興味深かったのが、男女差別が生まれる理由を解説した部分です。「男女差別が生まれるのは偏見があるから」と言われますが、実はこれは社会構造への適応の結果であるとしています。

つまり、(男女差別がある)→女性は、出世の機会が少ないため、がんばることへの報酬や、サボることの不利益が少ない→全体的な傾向として男女の意欲や成果に差が出る→人事担当者は、終身雇用のもとでは「はずれ」の人材を選ぶことのコストが大きいので、統計的に「はずれ」が少ない方を選ぶ→男女差別が強化される。 という構造です。そのため、いくら「男女差別は良くない」といって意識変革を迫っても、「差別文化」の構造が変わらない限り問題は解決しません。

最近は、社会問題に対する解決策として、情緒的に「昔の日本人の心を取り戻せ」との提案がなされたりしていますが、筆者が実証するとおり、これはむしろ社会構造の問題であり、心の持ちようで解決する問題ではないことが分かります。

この他にも、「日本人はアメリカ人よりも個人主義である」ことや、「正直者がバカを見る」というのは必ずしも正しくないことなど、世間一般で信じられていることとは逆の事実が実証実験の結果と共に論じられており、衝撃的です。

社会心理学の立場から、人々の行動や文化を、人間の性質ではなく、社会構造から読み解く本。「日本人の心は貧しくなった」的な現代批判とは違った角度から現代の日本を眺めるためにも、一読を強くおすすめします。

・「おかしな実験、おかしな結論
この本の最初の方に出てくる「日米比較実験」のところで、あ、こりゃヒドイと思いました。アメリカは、所得階層・人種・宗教などが全く異なる人々が集まった社会です。「日米(一流?)大学の学生」に対する調査だけで、「アメリカは信頼社会、日本の集団主義は”神話”」などと社会全体を断じてしまうなんて、中学生だって「なんかヘンだな」と感じると思います。私は心理学を学んだことが無いのでよく分かりませんが、こんな調査でこんな結論出して良いのかなあ?? もし、それで良いと言うなら、心理学は学問とは言えませんね。こうなると、この章以下を読めば読むほど「なんか、怪しいな」と思えてしかたありませんでした。まあ、文章は面白おかしく書いてあったので星1つ差し上げます。

・「「人生捨てたモンじゃない論」を放つ実しやか元気な本。
読み進めるその都度その都度、「ええと、いや、ちょっと待ってっ」と言いたくなってしまいました。一辺倒な実験方法への疑問や茶々入れや、専門用語の多用でアタマがこんがらがるからではなく(実を言うと、ちょこっとだけそれもありましたが)急に自分の固定概念をぐるんと廻される感じがそこかしこに点在していたからです。

端的に述べようとすればこの本、「お人よしは救われる」ことを「科学的に証明」した本です。「社会心理学における経済論」というより、「人生捨てたもんじゃない論」といった方が適切かと思います。私は無知ですから、この本が社会心理学の学問においてどれほどの価値があるのか全く判りませんが、

理解することで、生きることに「元気の出る本」です。

活字が非常に細かいのと、専門用語が私の様に本を普段から読み慣れていない人は、いきなり読むと多少抵抗があるかもしれませんので、じっくり、ゆっくりと、たまーにちょっと戻ったりして。是非読んでいただければ。お値段もそれなりですし、ね?

・「社会心理学って面白い
我々が信頼だと思い込んでいるものは、じつは不確実性の小さい関係内での「安心」なのだと著者は説く。日本社会を支えてきた安心が、現在の経済、政治、外交他様々の問題によって崩壊しつつある。そのことは真の信頼社会を築く絶好の機会でもある。どうすればよいのか。

社会心理学者の著者は豊富な実験データをもとに、我々の常識を覆してゆく。終身雇用や就職男女差別、あるいは大学偏差値などの問題も「信頼」の観点から切り込んでいる。難しい論理を展開させることなく、平易に説明しようとする著者の努力がうかがえるし、実際とてもわかりやすい。一つ難を言うと、実験の説明がやや冗長でそこは読んでいて疲れる。だから星四つ。

情報が隠匿あるいは操作される社会や、多くの人が多くの可能性を奪われた社会では信頼の文化は育たない。「知らぬが仏」ではなく、知りたいことは知る、教えられることは教える、そしてそれらの権利が守られる、個人個人も努力する、そんな簡単なことが信頼社会を築く一歩となるはずだ。

安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方 (中公新書) (詳細)

ある明治人の記録―会津人柴五郎の遺書 (中公新書 (252))

・「辛酸をなめた会津の少年の記録
 北清事変で名をあげた元陸軍大将・柴五郎の少年時代の聞き書きである。

 柴は会津藩士の子である。戊辰戦争で会津城が官軍の攻撃を受けて落城した際にはわずか10歳。母や祖母等は自死し、生き残った父や兄達と半ば流刑地のような津軽の地で餓死線上の日々を過ごす。紹介する人あって東京へ出るも、下男として扱き使われる。学費の要らない陸軍幼年学校に入り士官学校を入るところでこの書は終わっている。

 勝者から描かれがちな維新史を敗者から記録しているところに本書の価値がある。何度も屈辱を味あわされながらプライドを保ち成長する少年とそれを支える大人達の姿勢に涙を禁じえない。是非読んでいただきたい。

・「敗者側の貴重な証言
 会津藩は戊辰戦争後に「賊軍」とされ、新政府より過酷な処罰を受けた。会津人は凄惨な生活を強いられるのだが、そのようなことは教科書に載らない。 会津藩に限らず、敗者側は語ることなく、記録を残さず、それは代々受け継がれて今日に至っている。それだけに敗者側の赤裸々な体験が刊行されているあたり、意義が大きい。 本書は、会津人柴五郎の幼少期から士官学校までが「遺書」としてまとめられているのだが、編著者の「歴史とは何か」という問いかけも鋭い。歴史を見直す最良のテキストと思われる。 

・「何となく買ってしまった本だがおもしろい
 会津藩出身で最後には陸軍大将、陸軍参事官まで栄達を極めた柴五郎氏の生誕から陸軍士官学校入学までの自らが書いた記録が本書の中におさめられている。

 文章は現代人でも難なく読め、中身もおもしろい。

 戦後の会津藩のおかれた状況や不遇、そなの事を知るためにも貴重な資料とも言えるかもしれない。

ある明治人の記録―会津人柴五郎の遺書 (中公新書 (252)) (詳細)

新訳 君主論 (中公文庫BIBLIO)

・「現代にも通じる処世術
マキアヴェリの「君主論」といえば、いわゆる権謀術数主義として、目的のためには手段を選ばない非道徳的な主張がイメージされるが、それが曲解に過ぎないということは、実際に読んでみれば明らかである。

「君主は、民衆を味方につけなければならない」「君主は、けちだという評判など、少しも気にかけてはならない」

「だれからりっぱな進言を得たとしても、よい意見は君主の思慮から生まれるものでなければならない」

といったような主張について、理路整然とした場合分けに基づき、具体例とともに、明快な論拠が示されている。これは、現代の為政者や、企業のマネジメント層にも、そのまま当てはまるであろう「上に立つ者」のあるべき論なのである。

具体例は、当時のイタリアのものが多いため!、なかなかぴんと来ないが、詳細な訳注により、おおよそのことは理解できる。古典としては、きわめて馴染みやすい部類と言えよう。

約250ページの本であるが、本文は約150ページであり、残り約100ページを占める訳注と解説が充実している。また、和訳も非常に読みやすい(おそらく「君主論」の和訳としては一番読みやすい)。お薦めの一冊である。

・「苦味が美味しく感じられる頃
 中国や日本の古典は 経営者にもよく引用される。「孫子」「五輪書」「論語」「日暮硯」等 いくらでも例は挙げられる。西洋の古典は 余りビジネス雑誌に出てくる事も無い。その中で 本書は健闘している。

 マキャべりというと 元来悪いイメージが付きまとってきたのも日本である。性悪説に基づいた冷徹な「嘘つき」というようなイメージかと思う。小生もご多分に漏れず そんな先入観で一読した。

 とんでもない。マキャべりは「人間とはどういう動物か」を語っているに過ぎない。

 彼には「人間の善悪」というものは無い。善い悪いは抜きにして ただ 「人間とはそういうものだ」という彼なりの冷静な分析を披露しているに過ぎない。その意味では科学者が実験の結果を報告しているだけと同じだ。但し そこに分析されている人間の姿が 我々にとって 時には辛辣であることが 科学者マキャべり自身の評判を悪くしている。マキャベリにしたら迷惑な話だ。

「いかなる手段も 結果さえよければ必ず正当化される」「人は恐れている人より 愛情をかけてくれる人を容赦なく傷つける」  こんな言葉を否定することは難しい。吉田兼好が読んだら大声で笑って同意したに違い無い。

 「辛いのは中傷でなく真実である」とは 誰の言葉だったか忘れた。 マキャべりへの毀誉褒貶の原因は 彼の本に含まれている 苦い真実である。そんな「苦味」が美味しいのは 小生も中年だからだろうか。 

・「欲望とは何か、欲望に何が出来て、また何をしてしまうのか
 確か「プレイボーイ」誌のインタビューか何かで、出所したばかりのマイク・タイソンが言っていた。おおざっぱな記憶によれば、ざっとこんな感じだ。

「刑務所では読み書きと数を数えることを学んだ。それまでは、自分のファイトマネーがいくらかすら、知らなかったんだ。読むことを学んで、マキャベリを読んだ。みんな、彼のことを昔のイタリアの学者かなんかだと思っているけど、彼は欲望とは何か、欲望に何が出来て、また何をしてしまうのか、について語ったんだ。だからこれは、おれたちの本だよ」

 「マキャベリズム」と呼ばれるものに由来する偏見に根ざした彼への悪評を払拭し、「真実のマキャベリ」を回復させようというのが、真面目なマキャベリ学者がずっと取り組んでいる仕事だが(そして名誉回復というのはいつも、面倒くさく時間ばかりがかかる仕事だとしても、大切な仕事ではあるのだが)、この字も読めなかったボクサーのようには、だれもこんなに正しくマキャベリを読んでこなかった。

・「うんうん
私は以前まではこの種類の考えには肌さむい感覚がありましたし

多少理解しがたい感もありましたが、多勢のリーダーを経てさと

りました。

こうならざるを得ないんです。

現実的にこれが一番ベストに運びました。

人の主観なんてよほど強い信条が慣習がないと一致しません。

なにも少数派を弾圧しろという意味ではなく、少数の多少の

犠牲と多数の最低限の満足を選ぶのに迷った時にこの本を

参考にしてほしいのです。

とっても残忍な雰囲気もありますが事実この方が平和だったりします。

お読み物としても面白い。

熱中しましたし、訳がわかりやすい。

中庸思想が悪いというより、こちらの方がより現実的で、

よりただしいと思います。

・「政治学の古典的名著
マキャベリのこの「君主論」は純粋な政治学の古典的名著である。その点では他のカスタマーの方々はまだ読みが浅い印象を受ける。

例えば君主論の記述の中に

「君主が尊敬を集めるには、なによりも大事業を行い、みずから比類のない手本を示すことである」「早いうち気づいて手当てをしないと、時がたつにつれて、病の発見はやさしくても治療がむずかしくなる」「民衆にあることを説得するのは容易だが、説得されたままの状態に民衆をいつまでも引きとめておくことはむずかしいのである」

これを地で行っているのが小泉純一郎だとはいえないか?「郵政民営化」という「大事業」を行い、「不良債権処理」という「治療」を行い、発足当初から高い「内閣支持率」を維持している。

まさに小泉純一郎は「政治学的」に見れば、高い評価を下せるのではないのだろうか?

新訳 君主論 (中公文庫BIBLIO) (詳細)

経済学的思考のセンス―お金がない人を助けるには (中公新書)

・「世の中の問題を経済学という切り口で見る時のポイント
本書の狙いは、世の中で起きている格差の問題について経済学的な意味を考えることで経済学的な思考のセンスを身に付け、社会を視る眼を養うことである。ここで言う経済学的思考のポイントとは、1)金銭的なインセンティブの観点で物事を見ること2)物事の相関関係ではなく因果関係をきちんと押さえることである。ただし、人々の行動原理には、名誉、プライド、価値観、使命感、生きがい等の非金銭的なインセンティブも大きく関係している。

1章、2章では、身長や美男美男度と賃金の関係、オリンピックのメダル数と人口&一人当たりのGDPとの関係を例に、こんなことも経済学者が研究しているのか?という驚きを提供し、経済学的な思考に対する興味を喚起してくれる。そして、3章、4章では、現在から将来の日本が抱える問題について論考している。具体的には、V章では年金の仕組みを例に年功賃金について検討し(賃金抑制のための成果主義の問題についても言及)、W章では所得格差と再配分について取り上げている。

1〜4章では興味を引くようなトピックスを取り上げ分かりやすく説明しているため、単なる読み物として面白く読めてしまう。しかしながら、プロローグではこの本の目的として“お金がない人を助ける具体的な方法を提示することではなく、お金がない人を助けることの経済学的な意味を考えてゆくことである”と述べられており、エピローグでは所得格差の問題は“機会の不平等や階層が固定的な社会を前提として所得の平等化を進めるべきか、機会均等を目指して所得の不平等を気にしない社会を目指すかの意思決定の問題である”と指摘している。

本書を読む前にエピローグとプロローグを先に読むほうが、本書のポイントを明確にして読み進められるかもしれない。

・「センスのいい入門書
あとがきに「日常のさまざまな話題を経済学の視点で議論することを通じて、経済学の本質を読者に理解していただくことを目指し」とありますが、本書は、その点で非常に成功していると思います。日常の話題から、経済学へ掘り下げていくため、自然と読者は引き込まれます。最新の論文とかも引用してあって、今の経済学の学問としての雰囲気も味わうことができますし、最後に引用文献がまとめてあるので、更に進んでいくこともできます。この本を読めば、経済学って面白そうだと感じるでしょう。

・「一般人と経済学を繋げる良書
 経済学という、庶民には(私もそうですが)なかなか取っつきにくい学問を・・・

・女性は何故、背の高い男を好むのか?・自然災害に備えるには?・プロ野球監督の能力

 といった一見しただけでは「これの何処が経済学と繋がっているの?」と思われるトピックをネタに経済学の本質(ここでは「意欲」と「因果関係」の証明)を説明しています。

 そして(ここからが本題だ)上記のような軽いネタで読者を引き込んだ後に待ち受けるのはこの国の年金未納と所得格差についての論考です。

・何が原因で年金未納や所得格差が起こって いるのか?・それに対する処方箋は有るのか?

 それは読んでのお楽しみですが、しっかりとしたデータを元に論を展開しているので、読後に得るものも多いと思います。

 「格差」という言葉が一人歩きをしている感を受ける現代だからこそ読んでおきたい一冊です。

・「新書とはかくあるべき
最近、タイトルだけの新書が圧倒的に多いのですが、本書はめずらしくまともな経済学者によるまともな新書です。経済学に基づく適切な分析・検証による内容の濃い本です。著者の「日本の不平等」を時間が無くて読めない人にはお薦めです。

出版社はこのような新書を出さず、タイトルだけで売ろうと思っているようですが、その結果新書はすでに週刊誌レベルに成り下がっています。まともな新書を探すことがすでに難しくなっています。

・「経済学という眼で見ると世の中も変わって見える
身近なさまざまな事を経済学的に解釈するとどのようになるかという本です.例えばプロ野球再編問題を経済学的に見るとどうなるか,野球選手の年俸は高いのか安いのかなど.あるいは,身長や容姿が所得に関係するのかしないのかといった話です.

身長が高いほど,美男美女ほど所得が高い傾向があると言われてがっかりではありますが,それよりも経済学者がこういうことをまじめに研究しているということを知ってびっくりです.

前半は上記のようなやわらかい話題でとても楽しく読めました.後半は,賃金や所得格差の話になって若干難しく,負け組意識のある私はちょっと暗い気持ちになりました.

いずれにせよ,I章,II章は読み物としても楽しく読めます.経済学って難しそうだなと敬遠されている方もきっと目からウロコが落ちますので,是非読んでみてください.

経済学的思考のセンス―お金がない人を助けるには (中公新書) (詳細)

流れる星は生きている (中公文庫BIBLIO20世紀)

・「流星とエネルギー不滅の法則
著者が子供たちへ、祈るように書いた遺言(遺産)が本書となった。次男は「国家の品格」の著者でもある藤原正彦氏である。

日本人である一人の女性の満州引き揚げの苦難を綴った手記である。生まれたばかりの赤ん坊を含め子供3人を連れての引き揚げは想像を絶する苦難があった。過酷な状況の中で子供を連れて生きることの辛さと責任感、そして愛情が伝わってくる。

夫からの「子供たちをたのむよ」の言葉への責任感、食料のない状況で子供3人と自分自身を餓死させないためのぎりぎりの選択、そして子を思う母の愛情と母を思う子の健気さに胸を打たれる。

人は極限においてその本性を見せるのであれば、著者は責任感と愛情の塊である。その本性は、満州引揚げを果たした後も子供たちへ遺産を残そうとこの本を書かせた。

産後1ヶ月の女性一人で、生後1ヶ月の赤ん坊と3歳と6歳の男の子を命がけで日本に連れて帰って来たのである、並大抵のエネルギーではない。

夫の言う「流星のもっていたエネルギーは何かに変換されて生きている」(流星とエネルギー不滅の法則)の通り「流れる星は生きている」を通してこの本を手にする読者にエネルギーが変換されていくだろう。

子を思う親の愛情(エネルギー)に触れるためにも是非読んで貰いたい。

・「終戦記念日に手にして欲しい一冊
 敗戦後の混乱期、幼子をかかえて母はひとり日本を目指して朝鮮半島を南下する。極限状況の中、むきだしとなり醜い姿をさらす人々のエゴイズム。そこには、それまで語られていた美名も英雄も名誉もない。ぎりぎりの中で生きることを強いるもの、それこそ戦争の無残さだ。

 こうした戦争の記録が長く読みつがれることを祈らずにいられない。

 

・「母は強し?
 昭和20年8月10日未明から始まった,満州・新京(長春)からの脱出行。 「見栄と,ていさいのため」に家族を顧みない夫は,新田次郎である。連れて逃げた3人の幼子の一人,川を渡るときに恐怖のためにヒーヒー泣き,現在でもなぜか川が怖いという次男は,藤原正彦である。 みなのためを考えて活動する夫を無能者扱いしたり,800円で売った着物を「600円で売りました」と言って200円着服したり。こうしたことは,極限状態で生きていく上では必要なことであろう。そうしたことも含めて,当時の生活をリアルに描写しているのは,さすがである。

 そうしたリアルな描写のために,極限状態での「公平」とは何かについて,真剣に考えさせられたような気がする。 例えば,著者は,1日米2合の配給が,5歳以下の子どもは1日1合となったことを不公平と訴える。また,著者は子どもがいて労働に出ないのであるが,子供がいない人たちが労働に出て,「私たちのおかげで配給がもらえるのよ」という顔をしていることが不満であるという。 これを逆の立場から見れば,「子どもにかまけて労務作業に出ることもなく,小さな子どもの分まで大人と同じ配給を要求する,ずうずうしい女」となろう。 見る人の立場によって「公平」の内容が異なるのは当然であるが,ちょっとした不公平が直ちに一方の死に繋がるような極限状態では,「お互いさま」というようなゴマカシは利かないのである。

・「極限状態での人間の強さと弱さ
美しいタイトルと内容はほとんど関係ありません。終戦直後に三人の幼い子供を引き連れて朝鮮から脱出したときの著者のつらい体験記です。極限状態での人間の強さ、弱さの描写が抜群で、幸せな時代に生まれた世代にとっての「教訓」も多いですが、単なる読み物としても(不謹慎は承知で)抜群に面白いです。ちなみに「幼い子供」の一人は、あの「国家の品格」の藤原正彦さんです。「あぁ、ここで著者がちょっと諦めたら、あるいはこのささいな幸運がなければ『国家の品格』は生まれなかったのだなぁ」と思うようなピンチが次々と襲ってくるので、読み始めたら止まりません。

・「いや、すごいの一言。
この本はすごい。今この世の中で漫然と生きていられる自分を幸せに思う。感謝を感じることができる。

本は1日2日であっという間に読めてしまうが、時々読み返してみたいと思う。自分は不幸だ、ついてない、とか思うことがあったとしてもこの本を読むと今の自分の幸せを感じることができるのではないだろうか。数百円でこの感覚を感じられるなら安いものと思う。

戦後すぐはかなり話題になりベストセラーだったようだが、私は最近までこの本のことは全然知らなかった。

忘れさられて欲しくない一冊である。

流れる星は生きている (中公文庫BIBLIO20世紀) (詳細)

八日目の蝉

・「すべてを捨てても、だた一つ大切なものを守りたい強さ
不倫相手の赤ん坊を誘拐して逃げる女。どうしようもない男のために人生棒に振ってバカだな・・・と、どこか冷めた視点で読んでいたのですが。中盤、追い詰められて、迷うことなくなにもかも捨てて逃げ出そうとするところでなぜか、不意に泣けてきました。ほんと突然に、何かが私の中で弾けたように。その後も、ずっと、心を揺さぶられるというか。(陳腐な表現しかでない自分がもどかしい)

もしかしたら私が今現在、女で、小さな子供がいて、夫がいて、住むところがあって、平穏に暮らしていられるからかもしれません。そんな平凡な日常を、どんなに願っても手に入れることのできない主人公の、「ただこの子と一緒にいられるだけでいい」という強い思いと行動は、私に何かを訴えてくるのです。主人公は犯罪を犯し、身勝手な行動で周りを不幸に巻き込んでいるのだとしても、とりあえずそれは置いといて、今この瞬間の、二人の幸せが続いたらいいのに、と思わせます。

捨てられないものだらけなのに、持っているものの大切さも理解していない。そんな自分に気づかされた一冊です。

・「泣ける
この本を読み終えた時、泣いていた。べつにどの登場人物に共感するわけでもないし同じような体験をした人もいない。妊娠もしていないし、堕胎もしていない。内容的には辛辣な部分が多くある。しかし何故だが、読み終えた時とても優しくせつない気持ちになるのだ。角田光代さんは、全作品通して言いたい事は同じような事に思える。女同士の友情、母親への懸念、めぐりくる立場の変化、家庭、主婦、そういったものだ。この作者の作品で「彼女のこんだて帖」という、ほぼ自分のエッセイも混じっているのかもしれないと思わしき母親への気持ちを、料理という題材を使って書いたものがある。それと同じように、この八日目の蝉でも、「家庭の味」「料理」といったものがリアルに描かれている。彼女の書く文章や人と人とのやりとりには温度があるのだ。じめっとした、女同士の閉ざされた世界で守る永遠の処女性のようなもの。それを尊く思う気持ちと毛嫌いする気持ちが混在するのは何も少女に限った事ではない。大人になってもなお、それをひきずったまま殻から出られない女性を書かせたらこの人の右に出る者はいない。この本はミステリー仕立て(謎はないのだが)になっていて、先が気になりどんどん読み進めていく事ができる。そして最後にはやりきれないせつなさとほっこりした優しさ暖かさ、そして失ってしまったものへの憧れなどを感じられるだろう。みんなが未来に向かって歩き出そうとしている終わり方もいい。

・「湘南ダディは読みました。
それなりに各紙でも取り上げられていたので読んだのですが、ウーン、まあ、どちらかといえばお薦めしない本です。かって堕胎させられた不倫相手の家から乳幼児を誘拐し全国を逃亡しながら4歳まで育てる女の話と、誘拐犯に育てられた子として好奇の目にさらされながら成長した娘が自分とその女、実の親達との関係を見つめ直す話の2代にわたる輪廻を描いたものですが、このようなテーマなので当然のことながらどうにも暗いのです。 私は読書の楽しみは基本的には作中でよい人や格好いい人に出会えることだと思っているのですが、この作品には会ってみたいと思うような人は誰も登場しません。

7年間地中で時を過ごしてきた蝉の幼虫が、羽化して精一杯鳴き続けて7日目には死ぬ一生ははかないが、もし8日目に生きている蝉がいたら取り残されてもっと哀しいという寓意も、この物語のタイトルとしては読者には腑に落ちないのではないでしょうか。ラスト近くには8日目に生きる意味を主人公達に語らせますが、それがこの物語の登場人物たちの様々な生き方の何を暗示しているかも不明瞭です。

それと ――の頭の中できいんと金属音が響く。赤ん坊の泣き声が高まると、金属音も同時に大きく響いた。それらは混じり合い、ぎゃわん、ぎゃわん、ぎゃわんと響く赤ん坊の声が ――というような擬音語や擬態語を使われると、私はもうそれだけで書き手のセンスを疑ってしまうのです。劇画ではないのですから、形容することによって状況を読者に想像せしめるのが小説家でしょう。これじゃ小学生の作文などにある、スーと戸が開いたとかゴーンと鐘がなったと変わらないじゃないですか。スタイルとしてこれらを多用するのならまだ許せますが。そんなことからもお薦めしない訳です。

・「血のつながりも、恋愛を超えた愛
著者はじめての長編サスペンス。 実際にあった事件の小説化なのかな?って思ってしまうほど リアリティがありました。 揺るがないあたたかい愛情に包まれた作品だから重さや暗さがない。 角田さんだからこそ成せる技です。

血のつながりってなんなんだろう・・・。 薫ちゃんへの希和子の愛情はまさに母親そのもので、 2人の中間に不倫相手の男性なんてもはや存在しないほどに強固なものになっていた。 果たして薫ちゃんにとって、実の両親と暮らすことが幸せだったのか、 それともあの島で希和子と暮らすことが幸せだったのか・・・。 でも、「なぜ私だけが」と思ってきた被害者意識を、 「なぜ私たち家族が」と広く感じられるようになれば、 壊れていた家族はきっと再生する。 この家族はこれから新しい家族を迎え、 やっとこれから本当の家族になっていくのだな、と 光を感じるラストがすがすがしかった。

できれば希和子のために、 サスペンスではなく、親子の愛情を描いた作品として読んであげてほしいです。

住民票も保険証もないのに、 若い女が赤ん坊を抱えて知らない土地で生きていけるなんて不可能な話。 でもこの都合の良さにはあえて目をつむります。

・「この本はサスペンスではありません
本の帯に「角田光代が全力で挑む長編サスペンス」とあるが、これはそのつもりで読むと肩透かしにあう。サスペンスは読者が謎を探るものだが、この本は誘拐事件が元になっているだけで、読み進めていくと焦点がサスペンスとはずれてくる。赤ちゃんを誘拐した女の逃走より、育児に不安定な母親の内面を描いているような展開だからだ。自分が産みもしてないのに自分が産む筈だった子供と摩り替えて誘拐した子を育てていこうとする女は、一度失っただけに子どもに自分の人生を捧げて育てる。自分の全財産も、将来も、何もかも棄てて、この子と少しでも長く一緒にいたい献身な育児の反面、このままでは小学校にさえ行けない子どもの将来を気に病む。子どもが産めないと思った女の逃走劇は、生後6ヶ月から3才までの一番可愛いときを両親から奪う。第1章でその女を、第2章でその誘拐された女の子を描いたこの本は、人に感想を聞かれたら、人の人生を滅茶苦茶にした女の利己主義に共感出来るならいいんちゃうと逃げてしまうと思う。それは、赤ちゃんは可愛いし3才までなら子育てをしてみたいのが気持ちでは分かるのだが、人として親としての責任を背負わなくてもいい3才までの時間だけを奪う女の心理に嫌悪が走るからだ。

八日目の蝉 (詳細)
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